5月10日の花:ストック=愛の絆、豊かな愛
キャシアス/奴隷市場




目覚めると言う感覚は、毎回異なるものだとキャシアスは思う。
ぶつりと夢が途切れるような目覚め。
すうっと湖の底から引き上げられるような目覚め。
誰かの呼び声に導かれる目覚め。
その朝、キャシアスが感じたのはふわりと霧が晴れるような目覚めだった。
両の瞼の下からその眼が覗いてもその焦点は未だ合わず、ぼんやりとしている。
そんなまどろみの中、キャシアスは腕の中の温もりに気付いた。
漸くピントを合わせた視線を腕の中へと向ける。
自分の腕を枕に寝息を立てている女性。
朝日を反射して美しく輝くブロンドヘアーの女、セシリア。
菫色の瞳を隠している瞼にも、金の縁取りが微かに煌いている。
そして更にその下、彼女と自分の間には幼い少女が明るい栗色の髪を以ってその存在を主張している。
ああ、とキャシアスは感嘆の息を吐く。
あの独特の匂いに満たされた空間。
奴隷市場。
自分の前に引き出された三人の娘たち。
正直な話、誰でも良かった。
すぐ帰国する事になるだろうと踏んでいたし、見ず知らずの人間と共に過ごすのは躊躇われた。
けれどそんな自分を親友は明るく笑い飛ばした。
動物を飼うより簡単だと彼は言った。
彼女たちは自分と同位の者ではない、奴隷なのだと。
自分の奴隷に気を遣ってどうするんだい。
その言葉に後押しされるようにキャシアスは三人の娘たちの中から一人、セシリアを選んだ。
彼女への同情が一番強かったからだ。
何より、彼女の幼い妹、フローラの存在が決定打だった。
もし自分がここで買い取らなければこの幼い子供は姉と引き離されてしまったかもしれない。
だからセシリアを選んだ。
ただそれだけだった。
けれど今はどうだろう。
この僅かな期間で彼女たちの気配が家に、そして自分の傍らにある事が当たり前に思えてくる。
この姉妹のいる空間だけ柔らかな温もりに包まれているような気さえしてくる。
奴隷売買という善からぬ出会いであったにしろ、セシリアは自分に心を開き、フローラも懐いてくれた。
恋愛というものに対して然程夢を抱いていなかった自分は、一気にその価値観を翻す事になった。
セシリアとフローラが居てくれるだけで世界が違って見える。
見慣れた場所も新鮮に感じる。
何処へ行くにも彼女たちを連れて歩く自分に、親友は呆れたように肩を竦めていた。
わかっているさ。
フローラはいざ知らず、セシリアは自分の奴隷であると同時にこの国の奴隷だ。
自分が帰国する事になったら、彼女たちはここに置いていかねばならない。
それでも、いや、だからこそ余計に二人の事がこんなにも愛しいと思うのかもしれない。
急き立てられるような想いすら、尊く感じるのだ。
「……ぅん……」
もぞりとセシリアが身動き、キャシアスは意識を内側からそちらへと向けた。
金の睫毛が震え、ゆっくりとその下から美しい菫色の瞳が現れる。
キャシアスはそこに何物にも代え難い色を見た。
自然と零れ落ちる微笑み。
「おはよう、セシリア」

 

 

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