5月13日の花:キランソウ=追憶の日々
上条、内藤/CASSHERN




薫の父は、上条家の使用人だった。
一言で使用人と言っても、下層階級出身の父にそう大した仕事を貰えるはずもなく、いつも余り質の善くない雑務に追われていた。
その頃の薫は母と妹と三人で小さな借家に住み、上条邸に住み込みで働いている父の僅かな仕送りで食いつないでいた。
だがやがて母は過労、そして妹は公害病で倒れ、薫は父の元へ行く事になる。
「旦那様、息子の薫です」
まだ、十の年を迎えたばかりの頃だった。
父に背を押され、一歩前に踏み出した薫はぺこりとお辞儀をした。
「内藤薫です。宜しくお願いします」
ただ飯食らいはこの屋敷に必要無い。
当然、薫も上条邸の使用人の一人となるべくここに居る。
老人は薫の頭の天辺から足の先までを粘着質な視線で見回し、やがて口を開いた。
「ミキオの玩具には丁度良いだろう」
玩具、と老人は言い切った。
彼らにとって、下層階級出身の使用人とはその程度のモノだった。
それでも父は光栄の限りだと頭を下げていた。
その瞬間から、内藤薫は上条の息子専用の玩具となった。
とは言っても非道を強いられるわけではなく、子息専用の小間使いといった所だ。
薫より幾つか年上らしい彼は薫を人以下に扱う事こそしなかったが、やはり自身が命令する立場にいる事は当然だと思っているようだった。
それでも彼は何かと薫を構ってくれた。
珍しい菓子を分けてくれたり、彼の部屋の蔵書も自由に借りる事が許された。
薫への呼称も、「おい」、「お前」から「内藤」となり、そして「薫」へと変わっていった。
五年も経つ頃には彼の有能な執事として他の使用人たちからも一目置かれるようになった。
彼自身、薫を心底気に入っていた。
何処へ行くにも連れ歩き、薫の制服も彼が特別に作らせていた。
時にはこの戦に付いて熱く語り、時には他愛も無い話で笑みを交わし合った。
彼は薫を有能な右腕であると同時に無二の友だと思っていたのかもしれない。
それを口にする事はなかったが、薫も彼の寄せる信頼を全身で感じていた。
このまま戦争が続こうと終わろうと、自分たちの関係に変わりはないだろう。
何も恐れる事はないと思い込んでいた。
「内藤君、旦那様がお呼びだよ」
だから全てが崩れ落ちる瞬間がすぐそこにまで迫っていると、
「旦那様が?…諒解しました」
その時は、全く気付かなかった。

 

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