6月5日の花:フウセンカズラ=あなたとともに
ブライ、鉄也/CASSHERN




その夜の月は、いつも以上に大きかった。
それは、塒にしている洞窟の中を晧晧と照らすほど強い光を放っていた。
まるで生まれ変わったあの夜のような、大きな月だった。

「キャシャーンという神を知っているか」

月を見上げながらそう言うと、鉄也はびくりと肩を揺らしてブライを見た。
「……さあ、知らないな」
だがすぐにその視線は伏せられる。
「キャシャーンとは人々を災害から守り、全ての争いを治める月の神の事だ」
「…それで?」
いや、とブライは苦笑する。
「月を見ていたら、不意に思い出したのだ。恐らく生まれ変わる前の記憶が残っていたのだろう」
「………」
ブライの言葉に俯き、黙り込む鉄也。
ブライはじっとそんな鉄也の横顔を見下ろしていた。
鉄也が何か、自分に対して負い目を抱いているのは薄々感じていた。
視線を伏せ、合わせようとしない。
かと思えば不意に哀しみの色を湛えた瞳で見つめてくる。
悔いるような眼で。
「鉄也」
頬に手を伸ばし、顔を上げるように誘えばそうっと戸惑うように鉄也がブライを見た。
その眼には、やはり苦しげな色が満ちている。
「何故、そんな眼で私を見る」
鉄也の漆黒の瞳が揺れ、またその視線を逸らされる。
「私を蘇らせた事を、後悔しているのか」
「違う!」
弾かれるように鉄也がブライを見た。
「違うっ、俺はっ…!」
「鉄也、」
「そうじゃないっ、そうじゃなくてっ…!」
「鉄也、鉄也」
「…っ…!」
ブライは声を荒げる鉄也の唇を己の唇で塞ぎ、その体を抱きしめた。
「…っ、ぅ…」
唇を唇で愛撫するようなそれと、慰撫する様に背を優しく叩かれる感触に、鉄也は次第に大人しくなっていく。
やがて緩やかにその唇が離れる頃、あんたは、と鉄也が震えるように言葉を紡いだ。
「前の記憶を、取り戻したいのか?」
「取り戻したいと思っているわけではない」
ただ、とブライは首筋に顔を埋める鉄也の黒髪をそうっと撫でる。
プロテクターに覆われた掌は、鉄也の髪の細やかな感触を感じさせてくれる事はない。
それでも僅かに感じる髪の感触を少しでも多く感じようと、何度もその髪を撫でた。
「思い出しても構わないとも思っている」
鉄也が微かに身を強ばらせたのが分かった。
これで、鉄也が何に脅えているのかが確かとなった。
「鉄也は、私に過去を思い出して欲しくない様だ」
咄嗟にブライから離れようとする鉄也を逃がさぬよう強く抱きしめる。
「鉄也」
そろそろと鉄也の腕が持ち上がり、遠慮がちにブライの体を抱きしめた。
「俺は、許されない事を、した…」
苦しげな声が洞窟の中で微かに反響する。
「あんたに、それを思い出す権利はある、けど、きっと、」
思い出したら、あんたはいなくなってしまう。
「俺は酷い事をした、惨い事をした、だけど、それを口にする勇気が無い、あんたに憎まれる事の方が怖いんだ…!」
「鉄也…」
「俺にはもう、失う痛みに耐える強さも、潔さもなくなってしまった…!」
己が身を引き裂くような声で胸の内を吐露し、謝り続ける鉄也にブライは痛ましげに眼を眇める。
鉄也、
雷という父に畏怖し、
月という母を思慕し、
人という兄弟に見放され、
全てから解き放たれた存在。
何よりも自由を得た筈の存在。
そんな彼が、私という存在に囚われている。
「鉄也」
沸き上がる言い表しようの無い感情に、感傷に、ブライは鉄也を抱く腕に力を込める。
お互いの体を包むプロテクターは温もりを通さない。けれど、それでもこうして抱き合っていると鉄也の温もりが伝わってくるような錯覚に囚われた。
鉄也と共に在りたいと思う。
仮令、いつか記憶が蘇り、私を再び憎しみに駆り立てたとしても。
それでも、最期の瞬間まで共に在りたいと。
「鉄也…」
祈ってしまうのだ。

 

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