1月19日の花:セントポーリア=小さな愛
庵、京/嵐の夜に




狼が目を覚ましたのは、気配ですぐに気付いた。
眼を閉じたままでいると、狼は少しずつにじり寄ってくる。
もしここで食おうなどという気配を見せたなら、返り討ちにしてやるつもりだった。
けれど、一向にその気配はない。
そっと目を開けて様子を窺うと、彼はこの手に夢中のようだった。
うずうずと湧き上がる欲求に耐えているとはっきり分かる表情で。
その欲求を満たしてやりたい。
そう思った時には既にこの手は彼の髪を撫でていた。
漆黒の髪はさらさらと指の間を擦り抜け、彼の大きく尖った耳がぴくぴくと揺れる。顔を真っ赤にして違うと否定しながらも、そのふっさりとした尾が千切れんばかりに振られているのが可笑しかった。
この感情は、何と言っただろう。


「俺、雷って苦手。昔さーすぐ近くの樹に落ちた事があってさー。もう五感がおかしくなるんじゃないかってくらいの音と光でさ」
覇気のない狼の声が洞窟内に響く。
それは必ずしも雷だけが原因ではない。
京は溜息を一つ落とした。
(腹減った…)
だがこんな洞窟に食べる物などある筈もなく。
いや、ないわけではないのだが。極上の肉が。
京ははっとして首をぶんぶんと左右に振る。
(バカ!だから違うっつってんだろ!コイツはトモダチだっての!!)
一人悶々とする狼を眺めていた山羊が不意に腕を伸ばして狼の腕を取った。
「な、何だよ」
「余計な事を考え内容にしてやろう」
「へ?うわっ!」
ぐいっと腕を引かれ、京は八神へと倒れ込んだ。


「信じらんねえ…!」
夕立の去った夕空の下、京は傍らの山羊を睨み上げる。
「悦かっただろう?」
「わー!!」
しれっとして言う八神に京は大声を上げてそれを制した。
どうやら二度とあの洞窟に近寄れないような事をしでかしたらしい。
「帰る!!」
顔を真っ赤にしたままの京は足音荒く谷へと向かう。
「おい」
「なんだよ!」
律義に足を止め、振り返る京に彼はにっと唇の端を持ち上げて笑う。
「月を見る度思い出せ」
何を、と聞く必要はなかった。
京は一瞬にして更に赤くなり、酸欠の金魚の様に口をパクパクとさせた。
京が硬直している間に八神は踵を返し、草原へと爪先を向けて歩き出す。
「……」
その背中が少しずつ小さくなっていくのを眺めながら、我に返った京ははっとして地を蹴った。
「おい!」
あっという間に自分と彼の間に流れる空間は縮まり、彼が京を振り返る頃には京はその傍らに立っていた。
「あの、さ」
先程まで怒っていたかと思えば、既に違う事に気を取られているらしく視線が泳いでいる。
「何だ」
「だから、その…」
狼が俯き、小さな声でぽつりと問い掛けて来た。
「次は、いつ会えるんだ?」
草原も、山も、岩も、自分達も全てが夕日の茜色に染まる中、山羊はたった一人の為に穏かな微笑みを浮かべた。

 

 

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