1月22日の花:ヒゴスミレ=つのる思い
庵、真吾、京/嵐の夜に




「マジかよ…」
京は丘を上りながら溜息を吐いた。
薄らと霧が辺り一帯を覆いつくし、遠くの山の輪郭はぼやけている。
ちっと咥えていた千振を吐き捨て、崖から身を乗り出す。
「おっ」
崖の下の小道を一頭の山羊が歩いている。
山羊の真っ白な体が霧に溶け込みそうになっていたが、それでも京の眼はしっかりとその姿を捉えていた。
「庵との約束までにまだ時間あるし、ちょっと腹ごしらえでも…ってイカンイカン。八神の奴等はもう食わねえって決めただろうが」
あーあ、と京はもう一度溜息を吐く。
「せっかく庵と会う約束の日だってのに」


その頃、庵は京の待つ場所へと向かい、丘を上っていた。
幾ら近隣の丘とは言え、さすがの庵もこんな所に来るのは初めてだった。
自分達の住む草原とは違い、岩ばかりで草など殆ど生えていない。
京たち狼の住む谷は更に険しい岩山と聞く。
彼はこんな冷え冷えとした所で育ったのだろうか。
そんな事を思いながら歩いていると、霧に煙る丘の頂上への一本道の向こうから誰かが下ってくるのが見えた。
「……」
じっと目を凝らして見詰める。
京ほど視力は良くないが、それでもその眼ははっきりと「あれは京ではない」という答えを導き出していた。
大きさからしてまず山羊ではない。
狼だろうか。
さてどうしたものか。
かちり、かちりと指先の蹄を鳴らしながら庵は歩みを止める事なくその道を上っていった。


更にその頃、京は呑気に岩の上に腰掛けて庵の事を考えていた。
(でも嬉しいよなぁ、庵のヤツ、八神なのに草薙の俺のためにここまで来てくれるんだぜ。ホント美味そ…じゃなくて、イイ奴だよな、アイツ)
京がへらっと笑ったその時だ。
「あっ!京さーん!」
突然霧の向こうから聞こえて来た声に京は「げっ」と顔を引き攣らせた。
「こんな所にいたんですね!」
嬉々として駆け寄って来たのは、京ほど鮮やかではないが真っ黒の毛並みを持つ狼だった。
「真吾、てめえこそなんでこんな所にいるんだよ」
さっさとどっか行け、と内心で思いながらそう問うと、彼は待ってましたと言わんばかりに喋り始めた。
「それなんですけどね!聞いて下さいよ!昼飯に狩った獲物がすごく美味しかったんですよ!」
京の表情が僅かに揺れる。
「…獲物?」
だが、真吾はそれに気付かず言葉を続ける。
「はい!ほら、京さんも大好物の…」
「……何処で?」
「はい!草原側の一本道近くです!」
一瞬、最悪の事態が脳裏を過ぎる。
いやまさか。
彼がこの真吾如きに捕まる筈は。
だがしかし、それでも仮にも彼は山羊で、真吾は狼だ。
そんな、まさか…!
「いやーホント美味しかったッス!あのアヒル!」
「………アヒル?」
「はい!あっ、やっぱり京さんも食べたかったッスか?スミマセン、姿が見えなかったので食べちゃいました!」
なんだ、アヒルか。
そうか、アヒルかよ。
ふーん、ほー、へー…。
………。
「…って紛らわしい事言うんじゃねえよバカ真吾!!」
「えーー??!!」


真吾が京にボコられている丁度その時。
「…貴様か」
漸く判明したその正体に庵は腕の力を抜いた。
「おお、八神のじゃねえか。お前も迷ったのか?」
そう笑うのは、猪のマキシマだ。
「…そんな所だ」
「それにしても本当にこの丘は草も木の実も無いな。ま、何にせよ俺たちの来る所じゃないんだろうよ。その上この霧だ。お前も早い所帰るんだな」
そう笑ってマキシマはその巨体を揺らしながら霧の中へと消えていった。

 

 

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