1月27日の花:ムスカリ=通じ合う心 庵、京/嵐の夜に |
草薙一族の住まう谷、そして八神一族の住まう草原。 草薙の主の名は京。八神の主の名は庵。 狩るものと狩られるもの。 草薙は八神を見下し、八神は草薙を憎み今まで過ごして来た。 だが、京と庵が通じていることを知った彼らはそれぞれ主を見張り、そして一つの結論を導き出した。 これを利用し、相手から情報を聞き出す可。 京も庵も、この軟禁に近い状態では頷くしかなかった。 やがて八神の草原に一本の筋が浮かび上がる。 それを追う様に、草薙の草原にも。 ほんの数日前までは二人だけの秘密の合図だったそれ。 けれど今は、もう秘密では無くなっていた。 約束の、時が来た。 「…よお」 「ああ…」 何処か湿っぽい空気に包まれた峠で、京と庵は数日振りに顔を合わせた。 お互いは暫く無言で見詰め合う。 どれだけ見ようと、やはり目の前の相手は自分とは違う種族だ。 「あー…その、どうする?谷川の方まで行ってみるか?」 ぎこちなく笑う京の姿に庵の視線が伏せられる。 「…そうだな」 二人の視線は交わらぬまま、そしていつもはぴったりと寄り添うように歩いた姿も、一歩離れて。 視線を、感じる。 多くの視線を。 北の丘には狼の群れが、西の林には山羊の群れが。 そしてその噂を聞いたリスや猿、森中の動物達が。 息を潜め、二匹を取り囲むように身を潜めている。 「庵は…」 その視線に耐え兼ねたのか、視線を足元に落としたままの京が口を開く。 「谷川へ行ったことはあるのか?」 「いや…」 それとは反対に、少なくとも表面上はいつもと変わらぬ庵が短く応える。 「そっか…俺はたまに行くぜ」 自分の足元ばかり見ていた京は知らず庵のすぐ傍らにまで近付いていることに気付き、咄嗟に間を取って視線を上げる。 「……」 庵の感情の伺えないその視線に、責められているような気がして京は再び視線を落とした。 京の脳裏に社の叱責、真吾の嘆願、そして一族の説得の声が甦る。 庵から色々と聞き出さねばならない。 けれど、言い出せない。 そんな気まずい空気のまま河原に辿り着くと、京の内心を汲んだかのように空は雨雲に覆われていき、京や庵、そして身を潜める動物達がそれに気付いた頃にはそれぞれの頬や額をぽつりぽつりと雨粒が落ち、たちまちどしゃ降りの大雨に変わってしまった。 二人を取り囲んでいた気配がざわめいて雨宿りに追われる。 大きな雨粒がそれこそ滝の様に降り注ぐ中、京と庵も軽々と岩から岩へと飛び移りながら近くの大岩の下へと向かった。 元々多かった川の水量は見る間に増していく。 その時、暗い雲の中から一筋の激しい光が落ち、それに驚いた京が足を滑らせてしまった。 「うわっ!」 「京!」 庵が咄嗟にその体を抱きとめるが、何せ庵の立つ場所も雨に濡れて滑りやすくなっている岩の上だ。 二匹はそのまま倒れ込むように尻餅を搗き、フゥ、と息を吐いた。 そして二匹は目を開けるのも困難な雨の中、暫くそのままじっと身を寄せていた。 久しぶりに感じたお互いの体温に、例え様も無い安堵が湧き上がるのを感じる。 「…なあ」 京がぽつりと呟いた。 雨音に掻き消されそうなその声は、けれど庵の耳にははっきりと届いていた。 「俺、謝らねえとなんねえことがあるんだ…」 「……お互い様だ」 「…そっか…」 そして再び沈黙が落ちる。けれど先程とは違って、気まずさは感じない沈黙だった。 「……どうする?これから」 散り散りになったものの、それでもまだ注がれる多くの視線と気配に庵はくつりと喉を鳴らす。 「もう秘め事では無くなったようだしな」 「行くか帰るか、どっちかだな」 「俺を食って終わりにする手もあるが」 アハハ、と京が笑い声を上げる。 「それが出来りゃ簡単なんだけどなあ」 すると後ろから柔らかく抱きすくめられる。 「どうせなら、行ける所まで行ってみるか?」 耳元で響くその低音に擽ったそうに京は肩を竦めて笑い、自分の腹の上に乗せられた彼の手に自分の手を重ねた。 蹄のある白い手に重なる、鋭い爪を持つ漆黒の手。 違和感はもう、感じなかった。 「俺さ、その覚悟…出来てるぜ」 打ち付ける雨に細めた眼でじっと見詰めるその先には、ぼんやりと向こう岸が見えた。 けれど、谷川は先程よりも更に勢いを増し、轟々と低い唸り声を上げている。 「行くか」 その声に京は立ち上り、同じく立ち上った庵に笑いかける。 「絶対に生きてまた会おうぜ」 二匹は川岸に並んで立つと、京の「いっちにのさんっ!」の掛け声と共に岩を蹴った。 荒れ狂う川面に水飛沫が二つ上がる。 激しい雨のカーテンが、動物達の眼から二匹の姿を消し去った。 |