2月3日の花:アネモネ(紫)=辛抱
庵、京/嵐の夜に




とうとう、雪が降り始めた。
上れば上るほどに多くなっていく純白のそれ。
きっとこの先には吹雪が待っている。
けれど引き返すわけには行かない。
自分達を追う狼達も、この山を登っているのかもしれないのだから。
何時の間にか周りの景色は真っ白に変わっている。
「明日は晴れるって」
京はそう言い聞かせるように呟いた。
けれどその言葉とは裏腹に、時が経つ毎に舞い散る雪に風が混じっていき、次の日には吹雪と変わって行く。
もう喋る事も、目を開けている事すら適わない程の凄まじい吹雪。
何処を見ても荒れ狂う雪。
岩陰すら見えない。
「……っ……」
不意に庵が膝をついた。
「庵!」
すまない、と彼の唇が動いたのが分かる。
山羊である庵は狼である京より寒さに遥かに弱い。
「庵!庵!!」
何処かで休める場所がないかと見渡すが、やはり雪以外視界を過ぎるものはない。
京は必死に雪を掘り、その下の岩や石をも掘り下げ、その僅かな穴の中に庵を引きずり込んだ。
「庵、庵…!頼むから、お願いだから俺を独りにしないでくれよ…!」
京は庵に覆い被さる様にしてその凍り付いたように冷たい体を温める。
やがてその祈りが通じたのか、庵が目を開けた。
「京…」
「庵!良かった…大丈夫だから、きっと明日には吹雪も止むから…だから庵…」
だが庵は微かな笑みを浮かべ、彼の名を愛しそうに紡いだ。
「京、俺を食え」
「なっ、何言ってんだよ!」
「この寒さでは俺はもう一日ともたんだろう…だから京、」
「嫌だ!!そんな事したら庵ともう話せないじゃねえか!そんなの嫌だ!!」
「京…俺は今、幸せだと思っている。自分の総てを掛けても良いと思える存在に出会えて…」
「俺だって庵と会えて良かったって思ってる!すっげー幸せだって!だから、だから…!」
ぱたぱたと庵の頬や額に雫が落ちる。
庵はぎこちない動作で右手を持ち上げ、京の頬を撫でた。
「例えば、京…もし初めて出会ったあの嵐の夜…俺が八神だと始めから知っていたらどうした?」
「…食ってた。…返り討ちに遭ったかもしれないけど」
京の応えに庵がくつりと笑った。
「その時に戻ればいい…俺を俺だと思わず、『八神』だと思えばいい」
「俺はっ…俺は別にここで飢え死にしたって凍え死んだって良いんだ!ただ、庵と話せなくなるのが嫌なんだよォ…!」
「…この吹雪の中で、ずっと考えていた…生にはいつか終わりが来る。それが今か、もう少し先かの違いだけで…だが、俺たちが出会えた事が消えるわけではない…」
京は己の頬に当てられた庵の手に自分の手を重ね、やがてこくりと頷いた。
「…わかった…なら、庵が眠ったら…痛くない様にするから…全部残さず食べるから…」
「…ありがとう、京…」
ゆっくりと眼を閉じる庵。
京はその手を握り締めたまま、ずっとその顔を見下ろしていた。

 

 

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