2月17日の花:スカシユリ=偽り
ユキ、ゲーニッツ、京/96




京が久しぶりに日本に帰って来た。
京はホテルに着いたら電話するって言ってたけど、京が空港に着いた時からもう私にはわかってた。
京が帰って来たって。
昔ほど強くは感じなくなったけど、それでも分かる。
何処のホテルなんだろう。空港からタクシーで向かったとすると、そろそろだと思うんだけど。
私の手の中で携帯電話が軽やかなメロディを奏でた。
小さな画面には見慣れない番号。
「はい」
ああ、やっぱり京だ。
ホテルからかけてるの?体は大丈夫?怪我してない?
そう、良かった。
京は、今年はいつものチームで出場しないらしい。
二階堂さんは一緒だけど、大門さんが出られないそうで。
今年は公式試合らしくて、テレビでも結構特番を組んだりされている。
そこで見た、京のチームの三人目。
背の高い、穏かな顔をしたおじさん。
職業、牧師。牧師さんが大会に出ても良いのかしら。
街へ買い物に出かけたら、京が近くに居るって感じて辺りを見廻した。
そうしたら雑貨屋の店内で同じ様に辺りを見まわしていた京と目が合った。
店内に入って名前を呼んで私が駆け寄ると、京も片手を上げて笑った。
隣りには、あの牧師さんが居た。
白いシャツにグレーのズボンの、イギリス辺りの街中なら何処にでも居そうなおじさん。
「ユキ、こいつが今度一緒にチーム組んだゲーニッツ。ゲーニッツ、俺の幼馴染みの十握ユキ」
「はじめまして」
私がお辞儀をすると、ゲーニッツさんは「はじめまして」と優しげな笑顔を浮かべた。
「俺らこれから喫茶店でも行こうって話てたんだけど、お前も来るか?」
「え、良いの?」
「良いって。あ、これ、金払ってくるからちょっと待ってろよ」
レジへと行ってしまった京の後姿を見ていると、視線を感じてゲーニッツさんを見上げた。
「京のプロフィールに書かれている方ですよね」
ゲーニッツさんの問い掛けに私は照れ臭くて笑った。
「はい、恥ずかしいからやめてって言ってるんですけど…」
「十握、ユキさん」
「はい?」
「本名は何と言うのです?」
冷たい水がざぁっと音を立てて背筋を流れ落ちていくような気がした。
「…え?」
どう対応して良いのかわからずにゲーニッツさんを見上げる。
ゲーニッツさんは変わらず穏かな優しい笑みを浮かべて私を見ている。
「こ、これが私の本名ですが…」
震えそうになる声を抑えて告げると、彼は「これは失礼」と謝罪した。
「あの…!」
貴方は何処まで知っているの?
問い掛けようとした言葉は、京の姿に掻き消された。
「待たせたな…どうかしたのか?」
店のロゴの入った紙袋を提げた京は不思議そうに私とゲーニッツさんを見比べる。
「あの、あのね、京、私用事あるから行くね」
「え?」
「喫茶店、行けなくてごめんね、それじゃあ」
「ユキ?」
私は店を出るなり駆け出した。
あの人は穏かに笑っていたのに、あんなに優しそうな顔をしていたのに。
凄く怖かった。
どうして?どうしてそんな事を知ってるの?
京が話した?いいえ、そんなこと有り得ない。
だって、京は知らないもの。
私が…
息が切れて私は走る速度を下ろした。
次第にゆっくりになっていく歩調。
「京…」
私も小さい頃は大きくなったら京のお嫁さんになるんだって思ってた。
真っ白なウェディングドレスを着て、京のお嫁さんになるんだって。
『伴侶』って、そういう事だと思ってたの。
「…どうしよう」
ゲーニッツさんの事、おじさまとおばさまに言った方が良いのかしら。
でも、楽しそうに笑っていた京。
いつも何処か退屈そうにしていた京が、本当に楽しそうに笑っていて。
「……」
夜にでも、京に電話してみよう。
京があの人の事をどう思ってるのか。
全ては、それを聞いてからにしよう。

 

 

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