2月23日の花:エニシダ=幸せな家庭
紫舟、京/2001




今でもはっきりと覚えている。
この家から出て来たあの男の姿を見た時の胸騒ぎを。
立ち竦む自分に邪悪な笑みを向け、そして黒い高級車に乗って去っていったその姿を。
始めは、あの男が妻に何か危害を加えたのでは、と思った。
だが、この時間なら妻はまだ病院だ。
何事も…。
居間に辿り着いたその脚は、いや、全身が凍り付いたように動かなくなった。
壊れた人形の様に転がされた息子の姿。
顔やシャツの捲り上げられた腹には殴られた跡が残り、ズボンと下着の剥ぎ取られた下肢には明らかにそれと分かる痕跡が残っていた。
震える手で息子の青褪めた頬に触れると、痛みからか微かに反応した。
生きていた。
安堵と悔しさと哀しみと、もうどんな感情か判別を付ける事は難しいうねりの中、その体をぬるま湯で絞ったタオルで清めた。
嘲笑うように内股にこびり付いた精液と血液。
噛み締めていたのだろう、切れて血のこびり付いた口元を拭うとその体はびくりと跳ねた。
泣いた跡がはっきりと分かり、それが一層痛々しかった。
目が覚めてからも事態を良く理解していないのか、それとも逃避していたのかは分からない。
けれど懸命に笑って話すその姿が痛々しく、何より、申し訳無かった。
あの男に草薙と八神、そしてオロチの話をしなければ。



結局二泊三日となった京たちは昼前に帰る事にした。
残念ねぇ、と繰り返していた静は朝食を終えるとすぐに出勤していった。
「んじゃ、また来るわ」
紫舟にひらりと手を振って玄関へ向かった京だったが、ふと思い出して履きかけた靴を脱ぎ捨てた。
「悪い、ちょっと待っててくれよ」
庵たちにそう言い残して居間へと戻ると、紫舟が紙面から視線を上げた。
「親父」
「何じゃ、忘れもんか」
「ルガールの事だけど」
ぴくりと紫舟の表情が強張る。
だが、京は笑って「気にしてないから」と続けた。
「もう、気にならねえんだ。いやぁなんつーか、幸せ絶頂って感じ?」
だから、もうアンタも気にしなくて良いんだぜ?
「それだけ。じゃあな」
言うだけ言って京は行ってしまった。
「……ふん」
玄関の扉が閉る音がする。
紫舟は何でもなさそうに再び紙面へと視線を落とす。
しんとした室内。
いつも通りのその空気。
――いやぁなんつーか、幸せ絶頂って感じ?
つい先程の京の声が甦る。
「浮かれおって、全く」
そう呟く紫舟の表情は、泣き笑いの様に歪んでいた。

 

 

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