2月26日の花:キンセンカ=傷ついた恋
紅丸、京/96




首にそれを嵌められた時、何処か、安心した。
ああ、ここに居て良いのだ。
これがある限り、自分は彼のものなのだ。


「……?」
室内に響いたドアベルの音に京は身を起こした。
誰だ?
少なくとも、自分の客ではないだろう。
ここは八神庵の部屋で、自分がここに居る事を知る者は僅かだ。
だが八神への客というのも珍しい。
というより、京がここで『飼われ』てからの一ヶ月、一度も無かった。
放っておくか、と再びソファに横になろうとする。
「……」
だがしつこく鳴らされるその音に、京は仕方ない、と立ち上り壁に掛けられた受話器を取った。
「はい」
不機嫌そうに相手を窺うと、思わぬ声が返って来た。
『京、俺だ』
「……紅丸?」
大会が終わり、八神が目を覚ましてからはずっと会っていなかった戦友。
オフになっているモニターのスイッチを慌てて入れると、そこには確かに二階堂紅丸の姿があった。
「何で、ここが…」
『ちずるさんに無理言って教えてもらった。開けてくれない?』
紅丸はカメラに向かってにこやかに手を振っている。
「…だけど、ここ俺んちじゃないし…」
『部屋に上げてくれってんじゃない。玄関先で良いから』
「……」
紅丸はじっとカメラを見上げている。
こちらの姿は見えていない筈なのに、見られているような気になってくる。
「…悪い、ムリだわ」
『京…』
寂しげな顔をする紅丸。
「…十日、いや、一週間、待ってくれ…それまでに、会いに行くから」
モニターの向こうの紅丸は、ほっとしたような、穏かな笑みを浮かべた。
ああ、心配掛けてるんだな。
「ごめんな、紅丸」
滅多に謝ったりしないのに、今はするりとその言葉を紡ぐ事が出来た。
紅丸は『わかったわ』と穏かな笑みを嬉しそうな笑みに変えた。
『じゃあ、待ってるからね、京ちゃん』
「うん、サンキュ、紅丸」
『良いのよ。それじゃあね』
バイバイ、とカメラに手を振って紅丸はマンションを去っていった。
かちゃりと受話器を戻し、再びモニターのスイッチをオフに設定する。
「…そろそろ潮時か…」
そう呟きながらそっと首に嵌められた首輪に触れる。
いつまでも、これを盾に逃げていられない。
八神もその内飽きてくるだろうし。
全てから目を逸らし、ただ生きていくだけの日々。
結局、何かが変わるわけではなかった。
相変わらず思い出す記憶は痛みを伴うものであったし、忘れられるものでもなかった。
それは仕方の無い事なのだと。
「…いい加減、前に進む事にすっか…なあ、ゲーニッツ」

 

 

戻る