3月9日の花:カタクリ=さみしさに耐える
庵、京/2002




ざっと今までの経緯を説明し終わっても、庵は何も言わなかった。
馬鹿馬鹿しい、と一笑に付せられるかと思ったが、それもせず、ただ訝しげに京を見ていた。
それから三日が過ぎ、一週間が過ぎた。
庵は滅多に口を開かず、だが出て行くこともなくその奇妙な共同生活の中に居た。
それを受け入れたというよりは、何かを見極めるように。
ただ一つ、京のクローンでもあるみづきが自分の事を父と呼ぶ事だけは癇に障っているらしく、いつも自室に篭ってみづきと顔を合わせないようにしていた。
始めの内こそ京もその意を汲み、庵の元へ行こうとするみづきを引き止め、自分たちは違う部屋で夜を過ごしていた。
だが、一週間を過ぎる頃にはみづきの癇癪も耳を劈く喚き声にまで成長していた。


『ヤだ!!』
耳に飛び込んできた甲高い声に庵はまたかと思う。
またあの子供が駄々を捏ねている。
まあ、そのうち収まるだろう。
庵は再び手元の雑誌に意識を戻す。
見慣れない部屋のはずなのに、いつの間にか肌に馴染むこの部屋の空気。
自分がここで暮らしていたのは本当なのだろう。
そしてあの子供や京のクローンどもの反応からして自分と京は良好な関係を築いていたらしい。
しかもどうやらこの部屋は元々自分と京の部屋だったらしく、クロゼットの中にはそれぞれの衣類が詰まっている。けれどベッドはキングサイズが一つ。
自分は何をしているのだ。
京を殺す事、それが悲願だったはずが何を馴れ合っている。
全身を支配していた憎しみ、その奥に封じ込めたはずの想いを解き放っていたというのか。
そしてあのクローンどもを己のテリトリーに踏み入れる事を許し、あの子供を己の子供として慈しんでいたというのか。
「……」
そう、支配『していた』、憎しみ。
過去形にされてしまうその思い。
何故か今は不思議と家同士の確執だの当主だのといったどす黒いそれは形を潜めている。
『イヤ!けーたもきょーやもヤ!!おとうさんがいい!!』
『みづき!』
子供の声を上回る勢いで上がった声に庵は再び紙面から意識を切り離す。
『いい加減にしろ!駄目だっつってんだろ!!』
いつもは根気強く宥めていた京がここに来て始めて声を荒げた。
元々気の長い方ではない彼にしては持った方だ。
『おかあさんがおこったああぁあぁぁああ!!』
『うわ、おい京!泣かせてんじゃねえよ!』
『し、仕方ねえだろっ』
『あーほらほら、みーきたん泣かない泣かないよー』
「……」
騒々しさが増した。
庵は溜め息を一つ落とし、雑誌をベッドの上に放り投げて立ち上がった。

 

 

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