3月10日の花:チューリップ=望みなき愛
庵、京/2002




「静かに出来んのか貴様らは」
「「「庵!」」」
リビングに現れた庵の姿に、困り果てた表情の三人が一斉に声を上げる。
「おとうさん!」
するとみづきがぱっと泣き止み、とてとてと庵の元へと駆け寄った。
自分の脚に飛び付いてくるみづきを避ける事こそしなかったが、微かに顔を顰めた庵のその反応を敏感に察したのか、みづきはすぐに庵の脚から離れ、困惑顔で父と慕う男を見上げる。
「おとうさん、おびょうきまだなおらないの?」
京たちが庵の現状をみづきにどう説明したのかは知らないが、庵はただ無言でみづきを見下ろしている。
「どうしておかあさんとみづきといっしょにおやすみしてくれないの?どうしてみんなといっしょにごはんたべないの?おさんぽももうしないの?どうして?おとうさんはおかあさんのこときらいになっちゃったの?みづきのこともきらい?」
「………」
庵はじっと見下ろしていた視線を逸らし、無言のまま踵を返した。
「庵!」
そのすがるような京の声に苛立ちながら庵は自室へと戻る。
そのままクロゼットの前に直行すると、京が足早に部屋に入ってきた。
「なんで何も言わねえんだよっ」
「お前など知らんとでも言っておけば良かったのか?」
「そうじゃなくてっ……何処行くんだよ」
上着を手にした庵に、京の表情が強張る。
「八神の家に帰らせてもらう」
「何で…!」
「これ以上ここで貴様らと馴れ合っていても時間の無駄だ」
部屋を出ていこうとする庵の腕を京が掴む。
「駄目だ!そんな事、絶対に許さねえ!!」
「貴様に許可を得る必要など無い」
「イオリッ!!」
その手を振り払おうとする庵に京は悲しげに顔を歪め、そして何かを早口で唱えた。
「きさ…」
それが何か理解すると同時に庵の意識は急激に閉じられていく。
糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる庵の体を抱き留め、京は唇を噛んだ。
「…だって、あの家に行っちまったら帰って来ないだろ、お前…」

 

 

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