3月14日の花:ポプラ=哀歌
庵、京/2002




ぱしんっ、と乾いた音が響いた。
頬を打たれた庵はそこを押さえる事もせず、ただ静かな眼で京を見る。
その視線が癇に障ったのか、その唇が再び戦慄いた。
「〜〜ッ避けろよ!!」
彼の声帯は今度はその役目を果たし、身勝手な喚き声を紡いだ。
「てめえホントに忘れてんのかよ?!ホントは記憶無くしたってのは嘘なんだろ!」
「どうしてそうなる」
僅かに呆れの色を滲ませた庵にどうしてもこうしてもない、と京が更に喚き散らす。
「再開したばっかの頃は殺す殺す突っかかってくるわレイプするわ散々鬱陶しいヤツだったじゃねえか!」
「………」
恐らく事実なのだろうが酷い謂れ様である。
「なのに今は今までの事全部忘れてるとか抜かすくせに殺すとか言わねえし襲ってこねえし何なんだよ!中途半端なんだっつーの!忘れるなら何もかも忘れちまえば良かったんだ!!こんなっ…!」
「好きで忘れたわけではない」
嘘吐き、と即座に否定されてしまう。
「だから何故そうなる」
「だって…!飽きたんだろ…?こんな、家族ごっこに嫌気が差したんだろ?!」
「京」
「だから記憶無くしただなんて言って出て行くつもりだったんだろ!!」
「京、少し落ち着け」
勝手にヒートアップし続ける京を宥めようとするが、呼べば呼ぶほど彼は庵を拒絶し、喚き散らす。
「だったら始めからそう言えば良いじゃねえか!こんな回りくどい事しなくても…!」
「京!」
「っ…!」
声を荒げると漸く彼はびくりと揺れて口を閉ざす。
「少し落ち着け」
宥める声に再び京の唇が震えた。
「だっ、だってっ…庵がっ、いおっ…ぅ、うーっ」
「きょ、きょう?!」
くしゃりと表情を崩して泣き始めた京に、さすがの庵の声もひっくり返った。
「庵のあんぽんたんーっうぁーぁっ」
幼稚園児のようにぼろぼろと泣き出してしまった京に庵は慌てふためき辺りを見回すが当然助けになるような物などありはしない。
「全く…子供のように泣きおって」
情けない、と思いのほか柔らかな声で庵は京を抱き寄せる。
「ううぅーっ…庵の頓馬ぁー色ボケェー」
低レベルな文句を漏らしながら、それでも京は庵の背に腕を回してしがみ付く。
頭をぐりぐりと胸に押し付けてくる京を見下ろしながら庵はその口元を僅かに綻ばせた。
ああ、認めよう。
この想いは記憶から来るものではない。
もし魂というモノが存在するのなら、これはそこから訪れるものだ。
例え全ての事を忘れてしまったとしても、自分すら分からなくなったとしても。
京を愛しく想う事だけは、決して忘れないのだろう。

 

 

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