3月19日の花:デンドロビウム=思いやり
庵、京/2P




その男が馴れ馴れしくも京と手を繋いで庵の前に現れたのは夕方と呼ばれる時刻を疾うに過ぎてからで、更にはその第一声が、
「おい、茶ァ入れんかい。アールグレイな」
であり、第二声はというと、
「インスタントなんざ飲ませんなよ?葉ァから入れろ。有り難くもこの俺が持参してやったからよ」
この有り様だ。しかも自分はソファで京の隣を陣取りふんぞり返っている。
これで彼に好印象を抱く者が存在するとするのなら見てみたい。
いっそ紅茶に毒でも盛ってやろうかと真剣に思うほどだ。
だがあれでも京がとてつもなく懐いている相手だ。
それはもう庵と奴とどちらが好きだと問いたくなるくらい。
寧ろ「陽の方が好きかな〜」と即答しそうなだけに笑えない。
恐らく京の中で庵は精々三番目くらいなのだろう。
それも仕方ないと思わないでもない。
幼い頃から共に過ごしてきた彼らの絆の強さを知らないわけではないのだから。
だが。
「つーかコーヒーカップに紅茶入れんなよな」
「俺も庵もコーヒーばっかだしなぁ」
「そうだ京、今度一緒にティーカップを買いに行こう。で、お前を紅茶派に引きずり込む」
「えー、紅茶って面倒じゃんかー」
「馴れればそうでもないって」
当主とその『影』が揃って表に出るなと教わらなかったのかこやつらは。
幾ら似ていると言っても所詮は違う人間同士。
僅かながらの違いを覚えられ、見分けられてしまっては影武者としての役目は果たせない。
「えー、良いじゃねーかよ」
「八神は相変わらずお堅いのぉ」
当然のように反発する二人。
だが庵と違って京の影武者はこの男一人しか居ない。
「それくらい弁えろ、ヨウセイ」
京からはヨウと呼ばれていた男の顔がぴしりと引き攣る。
「その名で呼ぶな言うたやろ」
男の名前は草薙陽生。何故か彼自身がその名を嫌って「陽」で呼ばれる事を好むのだ。
「己の立場も弁えぬ輩の言う事を聞いてやる謂れはない」
陽生は本家筋の人間で、本来の氏は橘という。
陽生は京より三つ年上だったが、背格好にも大差が無く声も良く似ていた。
その為に京の影武者に抜擢され、「草薙」を名乗る事を許されていた。
「草薙」の姓を直系でもない人間が授かる事がどういう事なのか、忘れてはならない。
どれだけ彼らが親愛の情を育もうとも、当主とその影武者の立場は変わらない。
庵と京がどれだけお互いを想い合おうと、八神家と草薙家の当主である事に変わりなど無いように。
「わかっとるわ、んなもん…今だけや」
ちっ、と舌打ちしながら彼は吐き捨てるように言う。
「ここに住むんは「用事」が片付くまでや。そう長い事はおらへん」
それに、一緒に出かけるときは変装するし、と言い訳のように呟いてから陽生は京の手を取った。
「偶に会えた時くらい、見逃せや」
「なあ、俺も陽と一緒に出かけたいんだ。良いだろ?」
まるで親に懇願する子供のような眼で見つめられ、庵は溜め息を落とす。
「…貴様の影だ。貴様の好きにしろ」

 

 

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