3月26日の花:バコパ=大事な思い
庵、青京/2P




夭逝。
同義として夭折とも言われるその言葉は。
若くして死んでしまう事を意味する。
悪趣味な、と庵は内心で思う。
それを見透かしたように陽生は「悪趣味だろ」と笑う。
「ウチのお母んはさ、元々体の弱い人で一人産めれただけでも奇跡やったらしいんやけど、ポカして二人目を…俺を孕んでもうた」
愛し合って結ばれたのだからセックスをする事は当たり前だと思う。
だがコンドームとて完全な避妊率を誇るわけではない。
ピルとて常に様々な薬を服用して体調を保っていたらしい母が飲めばどうなるかわかったものではない。
「オヤジは堕ろせ頼んだらしいわ。ま、そらそうや」
まだ無事に生まれるかどうかも分からない我が子と、産めば高い確率で死を迎えるだろう最愛の妻。
答えなど考えるまでも無い。
「お母んは産みたい言うて聞かんかったそうや」
彼女は己の胎の内に宿る生命を慈しんだ。
ここでこの小さな命を消して生き長らえた所で、自分にはもう何年もの時間すら残されていない事を彼女は知っていた。
最期の瞬間まで彼女は満たされていた。
それは幸せという名をした大義に満たされていたのかもしれない。
最早朽ちるだけと思っていた所に舞い込んだ光。
自分はまだ、生命を産み落とす事が出来るのだと。
彼女にとって、それは天啓に等しかったのかもしれない。
この生命を人として形作り、産む事が自分の生の意味であり、意義なのだと。
自分の胎から産まれたその赤子があげた、力強く甲高い産声を耳にしたその瞬間。
彼女は例えようも無い幸福感に満たされてその両の瞼を閉ざしたのだ。
ああ、良かった。
ありがとう。
そして、
おめでとう。
だがその思いは最愛の夫に伝わる事はなかった。
そして、赤子自身にも。

 

 

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