3月27日の花:キルタンサス=屈折
青京/2P




「お母んの葬儀が終わってからさ、ばあちゃんがオヤジに名前決めてやれ言うたらしいわ」
ソファから腰を上げ、陽生は勝手知ったる態度でキッチンへと向かう。
「ほんで決まったのがこの名前」
冷蔵庫の扉を開け、缶ビールを二本取り出して庵を振り返る。
「さすがにマズイやろって事になったんやけど、オヤジはもう届け出した後やった。よう役所の人間もこの名前を通したもんや」
ずっとリビングの入り口で突っ立っている庵に手にした缶を一つ渡してプルタブを引き上げる。
ぷしゅ、とガスの抜ける音。
「ばあちゃんが余りにもって事で、普段は今の字を使う事にしてさ。ガッコも先生に頼んでさぁ。ずっと太陽の陽に生きるで通ってたんだぜ」
さすがに免許証などは「夭逝」の方だが、と彼は笑い、ビールを呷った。
「オヤジはまあ渋々って感じで俺を育ててたんだけど、そういうのって子供って敏感じゃん?達彦、あ、兄貴の事ね、達彦もそういうの感じ取っててさ、一緒に遊んだりとかした事なかったな。年が離れてる事もあるだろうけど」
そして「うーん」とわざとらしい唸り声を上げて考え込む。
「何が言いたかったのか忘れた」
だから今のも無し、と彼は笑ってまたビールを呷る。
「……わざとか」
「は?何が?」
残量を確かめるように缶を揺らしながら陽生はきょとんと目を丸くする。
そんな仕種は京とそっくりだ。
「貴様の妙な言葉訛りはわざとだな」
庵の言葉に陽生は一層その目を丸くし、やがて「あちゃー」と視線を逸らした。
「馴れん事話すとあかんわ」
途中から標準語に戻っていたと自分でも気付き、彼は苦笑と共に肩を竦めた。
「今では殆ど地なんだぜ?」
切っ掛けは子供じみた意地さ、と彼は笑う。
「俺は京の影だけど、京の代わりじゃない。京を守りたいとは思うけど京になりたいわけじゃない」
それを示したかったと彼は言う。
庵は誰に示したかったのかとは聞かなかった。
彼の薄っぺらな見せ掛けの笑みがそれを拒否していた。
それにしてもしまったなあ、と彼は呟く。
「バレちまったのはてめえで二人目。名前の話をしたのも同じく。何なんだろうな、そのツラには隠し事できねえっつーのか?」
その独り言じみた呟きに庵が反応する。
「…紫か」
己の影の一人の、不敵な笑みが脳裏を掠める。
「何でそうなるんだよ。黒谷かもしんねえだろ」
むっとして言い返す陽生から視線を外し、庵は手にしていた缶を漸く開けた。
「あの引き篭もりが貴様の前に姿を現すとは思えん」
真夏だろうが黒の長袖ハイネックを着込み、部屋の隅っこで膝を抱えているその姿が容易に浮かび、陽生は引きつった笑みを浮かべた。
「…御尤も」
庵は己の掌の体温で微かに温まったビールを呷り、ふと陽生を見る。
「貴様ら、親しいのか?」
紫自身からそんな話は聞いた事も無いのだが。
すると陽生は再び唸り声を上げ、首を傾げた。
「どうだろ。ちょくちょく会うけど?」
「…そういう事か」
その一言で庵は合点がいった。
何故いつも紫が彼が知りようも無いはずの、自分と京の喧嘩その他諸々の情報を知っているのか。
京が陽生に事を愚痴り、陽生が紫に酒のツマミ代わりに暴露する。
そして紫がそれをネタに二人をからかう。
見事な伝言ゲームが出来上がるというわけだ。
「何が?」
だが京と同じくそれに自覚の無い陽生はきょとんとしたまま庵を見ている。
「…何でも無い」
庵は溜め息を吐き、ソファへと向かった。

 

 

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