3月29日の花:リナリア=小さな恋の始まり
庵、京/2P




紫が前触れも無く訪れるのはいつもの事だった。
ただ、今回はいつもと少し違っていた。
「…黒谷も連れてきたのか」
彼の背後にはもう一人、自分と同じ顔をした青年がぼんやりとコンクリートの床を眺めていた。
帽子から靴まで黒尽くめの黒谷は庵の視線を感じるとその視線を上げ、二度瞬いた。
相手を伺う時の彼の癖だ。
「怒っているわけではない。珍しいと思っただけだ」
すると黒谷は再び視線を己の足元に落とす。納得したようだ。
「…とにかく入れ」
我が物顔で上がり込む紫と、小さく「お邪魔します」と呟いてその後に続く黒谷。
恐らく黒谷自身が望んだのではなく、紫が気まぐれを起こして無理矢理引っ張ってきたのだろう。
二人に続いてリビングへ行くと、ソファの上で寝そべって雑誌を読んでいた京が目を丸くしてこちらを見ていた。
そしてその童顔を歪め、一言。
「…キモイ」
紫が何やら反論していたが、庵としては京の意見に敢えて反対はしない。
顔立ちは同じなのに無駄に赤、紫、黒と髪の色が違い、雰囲気も違う。
何かこう、雑然とした印象を受けるのだろう。散らかった部屋のような。
いっそ三人とも同じならすっきりするだろうに。
恐らく京はそんな印象を受けているのだろうと庵は思う。
「で、誰だ?その黒一色の暗い奴」
庵の影その二ってのは分かるけど、と彼は起き上がって黒谷の前に立つ。
「八神黒谷だ。人見知りが激しいから余り苛めるなよ」
「人見知り」
京が凄まじく疑いに歪んだ顔で庵を見る。
てめえと同じツラで人見知り。
何の冗談だ。
顔全体でそう訴える京。
事実なのだから仕方ないだろう、そう続けようとしてふと気付く。
黒谷が紫乃至庵の背に隠れない。
ただじっと目の前の京を凝視(とまではいかないにしても)している。
珍しいこともあるものだと思いながら庵は京を紹介してやる。
「黒谷、今更だろうがこれが草薙京だ」
これって何だよ、と京の文句を受け流して黒谷を見る。
「黒谷?」
未だに京を見続けている黒谷に再度声を掛けると、はっとしたようにその肩が揺れる。
どうやら京を見ていたというよりは自失状態にあったらしい。
「…っ…」
油の切れたロボットのようにぎこちなく庵を見る黒谷。
その表情は何処か戸惑いの色を滲ませている。
「どうした」
だがすぐに黒谷は紫の背後に隠れてしまう。
「黒谷?」
今更のようなその反応。
「ほほぅ」
紫はにやりと笑うと京と庵の顔を順繰りに見やる。そして深まる笑み。
何だ、と口にしようとしてはっとした。
まさか。
「……」
答えを求めるように紫を見れば、彼はニヤニヤといやらしい笑みを一層深めた。
そういう事か。
「何だよ」
一人理解できていない京が訝しげな顔で黒谷、紫、そして庵を見る。
「ハァーッハハハハハァ!」
とうとう耐え切れなくなった紫がげらげらと笑い出す。愉快で仕方ないといった風だ。
「だから何なんだよ!」
わけわかんねえ、と怒る京と指差して大笑いする紫。
ひたすら紫の影からじぃぃぃっと京を見つめる黒谷。
「………」
何故だか、何故だか無性に、こう、何というか。
「鈍感の相手は大変だなァ、庵!」
高らかに笑いつづける紫に対して。
「だから何なんだっつってんだろがー!!」
とてつもない敗北感を感じた庵だった。

 

 

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