3月30日の花:アーモンド=希望
庵、京/2002




何枚も重ねたティッシュから顔を上げた京の目は、赤くなっていたがもう涙は流れていなかった。
「泣き止んだか」
「聞くなバカ、タコ、スカ、ボケ」
多めの罵倒の言葉は聞き流す事にする。
「一言に健忘と言っても記憶そのものが消えてしまったか、脳のどこかに仕舞い込んでしまったかで大きく違ってくる。俺の場合は後者だろう。とすれば方法はある」
真っ赤な瞳で京はきょとんと庵を見る。
「何の」
何の、とか言いやがったよコイツ。
「……記憶を取り戻す方法だ」
「!どうやって?!」
「草薙にもあるはずだ。禁千四百六拾二式…」
京の視線が左右に揺れる。
「…ユメウズ…」
数秒の沈黙の後、ぽつりと漏らした名。
「そうだ。夢埋なら可能性を見出せる」
静にに告げる庵に、だけど、と京の瞳が困惑に揺れた。
夢埋とは相手の精神世界へと潜り込む禁呪とされている。
精神世界と言っても確かにそこが相手の思考の内なのかは定かではないが、潜り込んだ相手へのコンタクトが可能であることは事実らしく、それを例えるとして精神的な世界とする。
草薙、八神どちらにしろ夢埋が禁じ手とされて久しく、術の引継ぎも禁呪は総じて当主に代々受け継がれていく。他の者は一切それを知ることは叶わないのだ。
その為に夢埋が真にその力を発揮するものなのかどうかも怪しいものなのである。
だが継承したそれが真であるのなら、京が庵の内面へと潜り込み、記憶の扉を開くことが可能と言えよう。
蛇足だが同じように眠っている相手と思考を同調させる『夢渡』が次式として存在する。
「もし失敗したら…」
夢術はどれも術者自身の精神(とされるもの)を相手の中へと潜り込ませる為、万一失敗、並びに相手の拒絶によって何かしらのトラブルが起こった場合、術者は精神的な負傷、最悪の場合は廃人となるとされている。
「臆したか」
「俺が気にしてんのは自分じゃなくてテメエだよ!」
べしっと庵の二の腕を引っ叩く。
術を受けた側とて勿論危険は伴う。本来ならば不可侵であるはずの領域に異物が入り込むのだ。例え合意の下で行われたものであっても精神的負担は大きいと予測される。
現に外法帖に記された記録を溯れば双方共倒れも珍しくないようだ。
「万一の時は貴様も道連れにするだけの話だ」
「俺は真面目に言ってんだっつーの!!」
憤る京に対し、庵は変わらず淡々とした視線で京を見る。
「冗談を口にした覚えはない」
当たり前のように紡がれた言葉に京の怒りのボルテージが下がっていく。
「…余計悪いっつの」
唇を尖らせ、拗ねたように呟いた。
「バカじゃねえの」
何より、それを嬉しいと思ってしまう自分が。
「どーなっても知らねえからな」

 

 

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