3月31日の花:イカリソウ=あなたをとらえる 庵、京/2002 |
草薙と八神、決して短くはない歴史の中で何人の当主がこの術を使ったのだろう。 リスクばかりが大きく禁呪とされてきた『夢埋』。 けれど今の自分にとっては希望に見えた。 例えその光が薄ぼんやりとしたものであっても、試してみたかった。 「…やるぞ」 ベッドの上で横になった庵に覆い被さり、額同士を合わせる。 離れていても術は執り行えるが、この方が確実性を高めることが出来るという。 京は目を閉じ、記憶の底から引っ張り上げてきた呪を小さく、速く、正確に唱える。 首筋を引っ張られるような、何かが連れていかれるような感覚。 脳が軋んだような、痛みではないが確かな違和感。 脊髄を駆け上がる電流のような痺れ。 本当に呪を唱えているのか、それすら曖昧になってくる。 形容しがたい、抜けていく、その感覚。 同時に何かの膜を通り抜けていくようなそれ。 全身がその膜を通り抜けたと感じた瞬間、自分の思考が形を成していくのを感じた。 第一段階、相手の中へと辿り着く過程はクリアしたようだ。 合意の下での術の執り行い。 その為に潜り込む際の抵抗は無く、すんなりと通り抜けることが出来た。 さて、と京は次を考える。 「ここ」は意識の表面に過ぎない。探し物はもっと深層にある。 もっと深くへ、と念じると意識が下へ下へと下って行くのを感じる。 実際に下へ行っているのかは分からないが、「深層心理」が下方向にあるという京のイメージがそう感じさせているのだろう。 ちか、と何かが掠めた。 何と思うと同時にまた一瞬、何かが掠めていく。 ちかっ、ちかっ、ちっ…… 流星のようなそれ。 それが何なのか、やがて理解した。 記憶の断片。 それが『京』を通り抜けていっているのだ。 否、京がその記憶を通り抜けているのかもしれない。 やがて、光点が現れた。 そこで漸く京は自身の周りが闇に包まれていたことに気付いた。 だがそれ以上を考えるより早くその光は強さを増し、闇を侵食し、あっという間に全てを白く染めた。 ――やくそくだよ… 不意に『聞こえ』た幼い声。 庵の精神に進入してから初めての「音」だった。 ――御爺様にも父様にも母さんにもそーじ兄ちゃんにもナイショにするから… 真皓き世界一面に現れたのは、幼き頃の京。 『京』は白い式服を纏っていた。 満面の笑みでこちらに小指を立てた手を突き出している。 ――ね、京とゆびきりしよう、いおり… その小さな小指に絡まるもう一つの小指。 これが彼の記憶なら指切りの相手は庵だろう。 そうだ、思い出した。 ――ゆーびきーりげーんまん… そう、確かに約束したのだ。 忘れていた自分。 忘れられずにいた庵。 心の底で常に輝いていただろう遠い日の記憶。 ああ…。 京は声にならない声で嘆息した。 あの時、夏の大会で再開したあの時。 廃工場で組み伏せられたあの時。 何か言いたげな視線。 苛立ちと失意の見え隠れする眼。 ――やくそくだよ、いおりとユキと京の三人で… 庵の存在すら忘れていた自分。 それが庵を傷付けていただなんて。 ――海を、みにいこうね…… 知らなかったんだ。 |