4月14日の花:レンゲ草=心が和らぐ 黒庵、京/2P |
八神黒谷という青年の行動パターンは未だ京には理解不能の域だった。 「……」 京はソファの上で胡座をかき、無言で新聞のテレビ欄を眺める。 そうか、今夜は九時からサスペンスドラマがやるのか。そうか。 さっきも同じ事を確認した気がする。気のせいではない。 そうか、今夜は大河ドラマもやるのか。そうか。 さっきも以下略。やはり気のせいではない。 「………」 何度も何度も読み返したテレビ欄から視線を浮かせ、ちらり、と左方向へと滑らせる。 「………」 「………」 目が合った。 「…………」 「…………」 何か言うどころか視線を逸らす気配すら微塵も見せない相手に折れたのか、京は再びテレビ欄へと視線を戻した。 そうか、今夜は九時から以下略。もうええっちゅーねん。 「…なぁ」 ちらり、と再度左方向へ視線を向ける。 応えはない。 ただ視線は痛いほど突き刺さっている。 「…ずーっと俺見てて、楽しいか?」 今度は顔ごとその相手と向き合うと、その相手の唇が微かに震えた。 「…楽しい」 「…さいですか…」 はあ、と溜め息しか出てこない。 壁際で膝を抱えてじっと蹲っている黒尽くめの青年。 顔立ちこそこの部屋の主である八神庵に酷似しているのだが、如何せん纏うオーラが違う。 庵は一言で例えるなら冴え冴えとした雰囲気を纏っている。 だがこの青年の場合はどんよりと暗く、彼の周りだけおどろおどろとしたモノが漂っていそうだ。 青年の名を八神黒谷と言う。 八神家当主である庵の影役なのだが、これだけ印象が違っていて勤まるのだろうか、と京は思う。 そして京とて草薙家の当主。当然のように影役は存在する。ここ数ヶ月は電話のみで顔を合わせた記憶はないが、自分と彼の雰囲気は似ている方だと思っている。自分で言うのも何だが。 ともかく、庵の影役である黒谷が何故ここに居るのかと言うと。 つい数日前、黒谷を紹介された京は黒谷のその性格からして滅多に会う事はないだろうと踏んでいた。 だが、その予想を見事に裏切って黒谷は一人でこの部屋を訪れた。 庵はバンドの打ち合わせに出かけてしまったが、休日は人が多いからと部屋でごろごろしていた京は鳴らされたドアベルに何の気無しに扉を開けた。 そこに立っていた黒谷の姿に、当然の如く庵に用だと思った京が庵不在の旨を告げると、彼は否定の意を込めて微かに首を振った。 そして一言。 「草薙京を見に来た」 何だそれは。 問い掛けてもそれ以上は何も言わない黒谷に、まあいいか、と部屋に上げたのだが。 黒谷はソファを勧める京の言葉を辞退し、壁際に腰を下ろしてからはただひたすらその言葉通りに京を見つめ始めたのだ。 庵、頼むから早く帰ってこい。 「?」 不意に紙面に出来た影に視線を上げ、 「ぅおっ?!」 思わずソファから転がり落ちかけた。 「な、ななな…!」 いつの間にか黒谷が傍らに立って自分を見下ろしていたのだ。 京とて腐っても鯛、いやはや草薙家当主である。人の気配を察する事など朝飯前である。 それにも関わらず、黒谷はいつの間にか壁際から京の傍らにまで移動していた。 「おおお驚かすんじゃねえっ!」 跳ね上がった心拍数を静めながら抗議すると、草薙、と黒谷が小さく呟いた。 「何だよ」 「触わっても良いか」 ああ、ますますあなたが分からない。 京は一瞬遠い目をし、やがてどうでも良くなったのか「好きにすれば?」と黒谷を見上げた。 すると黒谷の掌がそっと京の頬を包み込み、その輪郭を確かめるように撫でる。 「……」 じっと見下ろされて居心地が悪いのか、京の視線がきょろきょろとさ迷わせていると、頬を包み込んでいた掌がするりと首筋へと落ち、それと同時に黒谷が身を屈めて迫ってくる。 黒谷がソファに乗ると、二人分の体重を受けたソファがぎしりと軋む。 (は?) ちょっとまて、これはまさか。 もしかして俺、ピンチ? あーやっぱり庵に似てるなー…ってそうじゃなくて。見とれるな俺。 そうこう考えている内にも黒谷の顔がどんどんアップになっていく。 思わずその身を強ばらせると、けれど京の予想に反して黒谷は京の首筋に擦り寄るように顔を寄せ、その身も預けてきた。 (は?) 数秒前と同じ疑問符が再び京の思考を飛び交う。 「草薙の傍に居ると、不思議と心地よい気に包まれる」 庵と良く似た声で「草薙」と呼ばれるのは何処か擽ったい気もする。 (…なんだ、そういう事か…) 単に甘えたいだけだったのか、と京は納得する。 黒谷が幼い頃から庵ともう一人の影役以外とは親であろうと滅多に言葉を交わさずに育ったという筋金入りの引き篭もり青年だという事は庵から聞いてはいたが、ここまで語彙も感情表現も少ないとは思わなかった。 (なんか、捨て犬みてえ) じっと自分の上で目を閉じている黒谷の髪を眺めながらそう思う。 遠巻きに観察しつつ、少しずつ距離と狭めて無言で鼻先を擦り付けてくるような。 そうだ、犬だ。 京はこの際、黒谷の事を超大型犬だと思う事にしたらしい。 (なんだっけ、レトリバーでもドーベルマンでも無くて…) これといって犬に付いて詳しいわけでもない京は、この黒谷に良く似た大型犬が居たような気がして思考の引き出しを引っ掻き回す。 (なんだっけ、毛がもさもさして目元とかも隠れてる真っ黒ででっけえ犬…) 黒谷の体温を感じている内にうとうとしだした京は、取り止めの無い事を考えながらいつの間にか眠りへと落ちていった。 三十分後、帰宅した庵がソファの上で折り重なって寝ている京と黒谷の姿に愕然とする姿があった。 |