11月4日の花:コタニワタリ=あなたは私の喜び
京/99




みづきがその名を授かった翌日、突然赤子は嘔吐して京を驚かせた。
「みづき?!」
つい先程まで元気に這いずり回っていただけに京は慌てるしか出来ない。
その間にもみづきは何度も嘔吐を繰り返し、京のパニックは更に拍車を掛けていく。
「み、水!水分!」
漸く収まる気配を見せた嘔吐に漸く京はまともな思考が働いた。
自分が風邪を引いた時の処置を思い出してとにかくミネラルウォーターのボトル口をみづきに押し当てる。
汚物と零れた水でべたべたになった口元をタオルで拭い、その小さな額に手を当てた。
「熱…ある…のか?」
元々体温が高めなみづき。京はどの辺りから熱が在って無いのかが今一つ分からない。
医者に行こうにもそんな金は残っていない。
慌ててポケットを探っても出てくるのは数枚の1$紙幣と数枚の硬貨のみ。
またその辺りでカツアゲでもするしかない、と立ち上ろうとするとみづきが声を上げた。
その声は京がこの場を離れる事を拒否していた。
「みづき…」
京は再びみづきの傍らに腰を下ろす。
床に撒き散らされた吐瀉物を掃除して再びみづきに水を与える。
まあ、朝になればけろっとしてるかもしれないし。
そんな京の思いとは裏腹に、みづきは暫くして再び嘔吐し、夜中に差し掛かる頃には明らかにそれと分かる高熱を出した。
京はただひたすら濡らしたタオルでその額を冷やし、自分のただ一枚しかない、名も知らない男から奪ったシャツで包んで保温する事しか出来なかった。
どうすれば良いのかわからないまま朝を迎え、そして京は更なる異変に気付いた。
「…何だこれ…」
みづきの口内、喉の奥辺りに白いブツブツしたものが出来ているのだ。
その周りは真っ赤に腫れ、痛々しい。
京はしわくちゃになったシャツを着てみづきを抱え、廃ビルを飛び出した。
「ごめん、ごめんな、みづき」
京は腕の中の熱いその体を抱きしめ、辛うじて記憶に残っている病院へと駆け込んだ。
小さな診察所の受付のナースは日本語で何やら喚く薄汚れた姿の京を不審げな目で見たが、その腕にぐったりとした赤ん坊が居る事に気付いた彼女は席を立ち、落ち着くように告げて奥の診察室へと向かった。
掛けられた言葉を漸く理解した京は疾走して乱れた呼吸を繰り返しながらナースの消えた扉を見詰めていた。
「ヘルパンギーナ?」
他に患者が居なかった事が幸いし、みづきはすぐに診察を受ける事が出来た。
結果、老医師が京に告げたのは聞いた事も無い病名だった。
だがその説明を聞いていく内に夏風邪の一種だとわかった。
熱は二、三日で収まるらしく、重症化したり他の病気を合併する心配の無い病気だと聞き、京は漸く詰めていた息を吐いた。
そしてどうやら吐いてすぐに水を飲ませたのはいけなかったらしい。
嘔吐直後に水分を与えてしまうとかえって嘔吐を誘発し、脱水症状を招く恐れが在ると医師はゆっくりとした英語で説明してくれた。
そして喉に出来た水泡も一週間程度で自然に治るので、それまでは味の濃いものやすっぱいものは避け、口当たりが滑らかで栄養価の高いものを与えるように、と続けた。
「良かった…」
安堵で泣きそうになりながら京はみづきを抱きしめる。
まだたったの数日しか共に過ごしていないのに、今ではこんなにもみづきの無事が嬉しい。
「ありがとうございました」
京は快く診てくれた老医師に礼を述べ、みづきを抱えて待合室に出て漸く。
「あ…やべぇ」
自分が金無しという事を思い出した。

 

 

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