11月8日の花:ミセバヤ=近づいて話したい
庵京/99




熱が下がってからも一週間ほどは喉の水泡は治らず、みづきは気になるのか仕切りに舌を出し入れしたりとしていた。
そしてその間にもみづきの歩行能力は上昇していき、それに伴って上昇した物への興味が京の生活を慌ただしくしていた。
「うわっ!みづきストップ!」
急停止の出来ない子供に京の制止が間に合う筈も無く、みづきは窓脇で束ねられたカーテンの束に突っ込んでいった。
「……」
だが、当のみづきは面白いのか面白くないのか無表情のまま次の目標に向かって突き進んでいく。
「ほれ、みづき」
京がみづきに向かってトイレットペーパーを一巻ごと転がすと、今度はそれで遊びだすみづき。
転がして捲って解いて追いかけて。
次第に室内に増えていく白い川。
京は暫くそれに遊び相手をしてもらう事にして買って来たばかりの育児書を広げた。
みづきの年齢が分からない。
診療所の老医師は十ヶ月から一歳程度だろうと言っていたのだが、今のみづきを育児書に当てはめるとどうしても一歳後半から二歳前半頃なのだ。
赤ん坊と接する機会が殆ど無かった京にとってそのずれは個人差として判断して良いのか区別が付かない。
何せみづきは普通の子供ではない。
自分のクローンなのだから。
「おかーしゃ」
甲高い声にはっとする。
「ん?どうした?みづき」
トイレットペーパーに飽きたのか、それを放り出したみづきがじっと京を見上げている。
「ちょーだい、おかーしゃ、ちょーだい」
「ん、ちょっと待ってろよ」
どうやら喉が渇いたらしい。京が本をソファの上に投げ出し、立ち上ってキッチンへ向かうとその後をみづきがとてとてと追いかけていく。
つい数日前まで喃語しか話せなかったみづきは今では片言に近い言葉を話すようになっていた。
初めは「イヤ」とか「ヤー」とか否定語しか話さなかったみづきだったが時間が経つに連れて言葉のレパートリーが増えていったようだ。
因みに京の事を「おかーしゃ」と呼ぶのは、京が冗談で「お父さん、お母さん」の単語を教えたのをすっかり覚えられてしまったためだ。始めこそ「きょう」と呼ぶように治そうとしたのだが、結局そのままになっている。
「ほら、あっち戻るぞ」
リンゴジュースとお湯を3:1で割ったものが四分の一ほどに注がれた子供用のカップを手に、リビングへと戻ってくる。その間にもみづきは両手を伸ばして「ちょーだい」を連発している。
「みづき、お座り。ほら、落とすなよ」
小さな手に持たせてやるとみづきはジュースを飲み始める。やがて少しずつ仰け反っていき、倒れそうになるのを京が片手で止める。
「お、零さなかったな?えらいぞ〜」
ぷにぷにほっぺをむにむにさせるとみづきがきゃあきゃあと声を上げて喜んだ。
「あ、庵が帰って来たか?」
ドアの開く音に京が振り返る。
「おっかえりー」
「おかーり」
K.O.F99開催直前。
彼方此方で暗雲立ち込める中、京やみづきは渦中の人だというのに(台風の中心にいるからだろうか)案外平和に過ごしていた。

 

 

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