12月3日の花:ラベンダー=あなたを待っています
庵、京/96




庵が目を覚ました翌日、京はリビングのソファでごろごろとしていた。
彼が居る部屋は八神庵の所有する部屋だ。
だが、その庵が昨夜から行方が分からない上に鍵の在処など知る良しも無い京は部屋を空けるわけにも行かず、こうして時間を無為にしている。
「明日から何食おう…」
アルコール類とミネラルウォーターしかない冷蔵庫。当然乾麺などもありはしない。
京が自分で買い込んでおいた食糧も先程底を付いた。
京はごろりとソファの上を転がりながらぼんやりとフローリングの床を眺める。
八神は何処へ行ったのだろう。
病み上がり、と言うのも可笑しな気もするが、目が覚めたばかりで歩き回っていて良いのだろうか。
それとも、やはり「草薙」と同じ部屋に居る事が耐えられないのだろうか。
きっと自分がこの部屋を出ていけば万事解決するだろう。
けれど今の京には帰る場所が何処なのか、見当も付かなかった。
実家へ帰って父親と顔を合わせたくはなかったし、だからと何処かにマンションを借りているわけでもない。
ずっと、「彼」の家で暮らしていたのだから。
「……」
京は寝そべったまま小さく丸まって膝を抱え込む。
こうなる事を予測できなかったわけじゃない。
彼が自分を捨てる事は初めから分かっていた。
自分がそれを見ようとしなかっただけで。
「……ふ…」
ふっと微かな笑みが浮かんだ。
想像したより落ち込んでいない自分が何処か可笑しかった。
あの頃は、彼の温もりだけを求めていたあの頃は、彼を失えばもしかしたら衝動に任せて後を追ってしまうのかもしれないと。
そう思った事さえあったというのに、今はそんな気も起こらない。
けれどもし、今ここに彼が現れて手を差し伸べたなら。
あの時、差し伸べてくれなかった手を、この自分に伸ばしてくれたなら。
例えそれが偽りでも、きっと自分は喜んでその手に自らの手を重ねるだろう。
その腕が自分ではなく天上を望んだあの光景。
それを見なくても良いのなら、愚かと嗤われようと構わない。
だから、どうか。
「!」
不意にドアの開かれる音に京は身を起こした。
身を強張らせて廊下へと視線を向ける。
現れたのは、この部屋の主である庵だった。
「……」
彼は京へ「まだ居たのか」と言わんばかりの一瞥をくれる。
「よお…待ってたんだぜ」
へらっと笑って告げると、庵の片眉が微かに跳ね上がる。
「…誰をだ」
その応えに京の表情が一瞬強張る。けれどすぐに「決まってるだろ」と笑みを浮かべた。
「体の調子はどうだ?」
「…何故ここに居る」
庵の問いに京はひょいと肩を竦める。
「居たら迷惑か?」
「邪魔だ」
庵の応えに京は「あ、やっぱり?」と笑ってソファから立ち上った。
「んじゃ、出ていくわ」
「待て」
短ランを羽織って出ていこうとする京の背に庵の声がかかる。
「何処へ行く気だ」
「どっか寝れそうな所」
あっけらかんとして答える京に歩み寄り、庵はその腕を伸ばして京を自分と壁の間に閉じ込めてしまった。
「草薙は要らんが、ペットなら一匹くらい置いてやらん事も無い」
「なんっ…!」
怒鳴ろうと開いた京の唇は庵のそれによって塞がれ、京は微かに顔を顰めた。
「…っ…んっ…ぅ…」
侵入したぬるい舌に翻弄されながら京は思う。
このままここに居るのも良いかもしれない。
「っは…ヤ、ガミッ…」
唇から顎、そして首筋へと伝っていくその舌を受け入れるように顎を反らし、眼を閉じる。
草薙や三種の神器やオロチ…煩わしい柵から全て逃れ、「草薙京」という個人ですらなくなるのも良いかもしれない。
きっと、全てを喪ってしまえば消えて無くなるだろう。
このカラダに巣食う、彼の姿も。

 

 

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