12月5日の花:ツルバギア=小さな背信
紅丸、ゲーニッツ/96




昨年の大会が終わった時、その男は現れた。
その姿を見つけた時の京の表情は、今でも脳裏に焼き付いている。
子供が親を見つけたような、そんな幼い喜びに輝いた瞳。
帰ると告げて背を向けた京に、最後まで問いかける事が出来なかった。
何処へ?
草薙の家でもなく、日本ですらなく、お前の「帰る」場所は。
そこに、あるのか?



その日の試合は京が先鋒、次に紅丸、そして大将がゲーニッツという順だった。
「そういえば」
京の試合を観戦しながら待機している中、不意にゲーニッツが口を開いた。
「草薙といえば、須佐之男命という人物を知っていますか?」
「スサノオノミコト?あれだろ、ヤマタノオロチを封じただか倒しただかの男だろ?」
紅丸が視線を傍らの男へと向けると、彼の視線は変わらず京に注がれたままだった。
「そう。そのスサノオが天叢雲剣とも言われる草薙の剣でオロチを倒し、奇稲田比売と結ばれたという神話…ですが知っていましたか?スサノオが元々振るっていたのは草薙の剣ではなく、親であるイザナギから賜った十握剣と呼ばれる剣でした。ですがオロチの尾を斬った時、その剣が何やら固いものに当たって欠けてしまったのです。驚いたスサノオが尾を切り落とすと、その中から一振りの太刀が出て来たそうです。それが、草薙の剣…」
不意に男の雰囲気が変わり、紅丸の表情が訝しげに顰められる。
今までにも時折感じていた、暖かさの中に入り込む一筋の冷たさ。
それがひやりと紅丸の首筋を撫でる。
「実際には草薙の剣ではなく拳ですが…こう考える事も出来ると思いませんか?草薙は、元々オロチの側の人間だったのだと。そして真に裏切ったのは八尺瓊ではなく、草薙の方であると」
「アンタ…何が言いたいんだ?」
警戒の色露わに見上げてくる視線にも男は反応しない。
彼のその眼には、たった一人の男しか映っていない。
「貴方はなぜ彼が無条件で私に信頼を置くのか、疑問に思っているようですが…」
「……」
「子が親を慕う思いと、同じ事ですよ」
「なん…」
紅丸が口を開くと同時に歓声が上がった。
決着が付いたのだ。
「ああ、また私たちの出番がありませんでしたね」
傍らの男がそう苦笑する。
先程までの何処か底冷えするような雰囲気は一切見受けられない。
彼は牧師が天職であるような穏かな笑みを浮かべ、こちらへ戻ってくる京を迎えた。

 

 

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