12月31日の花:ヒャクマンリョウ=限りない喜び
庵京/??




紅丸ちゃん、うちの子、そちらに行っていないかしら?
草薙静から連絡があったのは、全てを知ってしまったあの日より数日前の事だった。
「京の居場所、ねえ…」
ここ最近、京とは連絡を取っていない。
とは言っても、KOFがらみの事が無ければそれほど連絡を取り合っているというわけでもないのだが。
最後に京と会ったのが、半月程前。
「…八神の所、かねえ…」
京が何かの話の弾みで彼の体調がよくない事を洩らした事を思い出し、紅丸は手帳を鞄から取り出す。
「八神はっと…」
京が勝手に書き込んだそれが役に立つ日が来るとは思いもよらなかった。
紅丸は慣れないその番号を押し、相手に繋がるのを待った。
「八神か?二階堂だけど、京、そっちにいる?…やっぱりな。悪いけど代わって貰えるか?」
予想に反して電話の向こうの相手は紅丸がこの番号を知っている事に驚いた様子を見せなかった。京が既に本人に告げていたのだろうか。
「…はあ?何、京のヤツ何してるの…全くあのバカ息子は…静さんが心配してるから連絡くらい入れておけって伝えておいてくれよ。それじゃ」
受話器を置き、溜息を吐く。
どうやら京はゲームに熱中していて電話どころではないらしい。
「全く、あの子は…」
取り敢えず静に愚息の居場所を知らせる為、再び受話器を取った。



それから数日後、再び静から連絡が入った。
「あのバカが…」
庵のマンションへと向かいながら紅丸は毒づく。
どうやら京はここ最近、バイトも無断欠勤しているらしい。
バイト先から連絡があり、八神への連絡先を知らない静が再び紅丸を頼った。
マンションの入り口で手帳に記された部屋番号を押し、ベルを鳴らした。
『何の用だ』
スピーカー越しに流れ出るその声はいつもより気だるげだ。
「京はそこにいるのか?」
『居る。いつも通りダラダラとゲームをしているが?』
「静さんからまた連絡があったんだ。そいつ、学校だけじゃなくバイトも休んでんだとさ。店から電話かかって来たんだと。昨日が給料日だったから、辞めるんなら辞めるでそれだけでも取りに来いってさ」
『伝えて置こう』
そして切られそうな雰囲気に紅丸は慌ててストップを掛けた。
「待てよ」
『何だ』
「あんたに任せておくといつまで経っても行かなそうだからな。今、連れていく」
するとスピーカーの向こうの相手が「少し待て」と告げ、声が遠くなる。
『…かいど…たいそうだが…』
ぼそぼそと途切れ途切れに聞こえる彼の声。
『…面倒だそうだ』
そして返って来た応えに紅丸は溜息を吐いた。
「ああもう埒があかないね。ドア、開けろよ。引っ張ってくから」
するとそれはあっさりと了承され、目の前の扉が開かれる。
「いい加減にしておけよ、京のヤツ…」
エレベーターの中で紅丸は舌打ちする。
京が何処で何しようと紅丸には関係の無い話だが、せめて静くらいには連絡を入れてやるべきだろう。
紅丸は僅かに苛立ちながら目的の階へと足を踏み入れる。
ヤガミ、とローマ字表記された扉の前で足を止め、インターホンのベルを鳴らして暫くすると鍵の開けられる音がして扉は開かれた。
何より真っ先に感じたのが、血の臭い。
そして、
「お前っ、なんて格好してんだよ…!」
現れた庵の全身は、どす黒く染まっていた。
白いシャツの殆どは赤黒く染まり、黒のズボンも色こそ判別できないが何かが乾いて固まった跡が見える。
その青白い頬や薄い唇、形の良い顎にもそれはこびり付き、それが時間の経過を知らせている。
「何がだ」
だが、当の庵は微かにその端正な顔を訝しげに歪めただけだ。
「何って、その血は何だよ!」
「血?」
声を荒げても、彼は訝しむ色を深めるだけで。
何を言っているのだ、と言わんばかりだ。
京は?
不意にそれが気になった。
庵がこの状態なのに、京は何も言わないのだろうか。
「京は!京はどうしてるんだ!」
「あれならリビングに居るが」
玄関に塞がるように立っていた庵を押し退けて進もうとすると、彼は勝手に入れとばかりに紅丸に道を譲った。
紅丸は靴を脱ぐのももどかしそうに脱ぎ、足早に短い廊下を突き進む。
濃くなる血の臭い。そして死臭。
リビングへ足を踏み入れようとして、紅丸の足はそれ以上を進む事を拒んだ。
今、己の目に映っている光景が俄かには信じられなかった。
ソファすらない、殺風景なリビング。テレビの前に置かれたゲーム機。
フローリングの床には赤黒い水溜まりの様な跡が残り、白い壁にもその飛沫が跡を残していた。
そこに敷かれた、純白であっただろうラグも同じ色に染まり、そしてその上に。
「…きょう…」
草薙京の首が、転がっていた。
足の力が抜けていき、その場に崩れるように紅丸は膝を付いた。
何の冗談だ、コレは。
「二階堂?」
背後から降りかかった声に、紅丸はその声の主を振り返る。
「…お、まえが……やったのか…」
「?何がだ」
「お前が京を殺したのか!!」
庵は、思いがけない事を言われたような顔をした。
「何を言っている。京ならそこに居るではないか」
紅丸を追い抜き、リビングへと足を踏み入れた彼はリビングの一点を指差す。
その指の先には、首だけとなった京。
「わからん。突然こうなった」
だが、彼はそう続けた。
まるで、誰かと会話をしているように。
「八神…お前、誰と話してるんだ…?」
ふらりと立ち上った紅丸の問い掛けに、庵は呆れたような目で彼を見た。
「目がおかしくなったのか?二階堂。京しかいないだろう」
「おかしくなってんのはお前だよ八神!いつからだ!いつからこんな…!!お前が殺したのか?!どう…っ!!」
声が、凍り付いた。
「…っ…!!」
視界に入ったそれ。
リビングから繋がっている、狭いダイニング・キチン。
その床はとても散らかっていた。
無数のその大小様々な欠片が床を埋め尽くし、そしてやはりその一帯は赤黒く染まっている。
恐らくそれは、本来なら、京の首から下へと繋がっていたもの。
どす黒い色彩の中、見え隠れする白いそれがやけに鮮やかに見えた。
紅丸は込み上げる吐き気と叫びを押し戻すように震える手で己の口元を覆う。
そこで漸く自分が座り込んでしまっている事にどこか遠くで気付いた。
「?」
庵が同じ様にキッチンヘと視線を向ける。
だが彼はやはり怪訝そうな顔をするばかりだ。
「京」
そして彼は再びリビングへと視線を戻し、応えがある筈も無いのにそこへと声を掛ける。
「お前か」
だが、彼は言葉を続ける。
「何をした」
まるで、そこに彼が居るかの様に。
「では、お前は死んだのか」
否、いるのかもしれない。
「……ああ…」
彼にとっては、そこに、「京」がいるのだ。
「何故そんな術を掛けた」
確かに彼は「会話」をしていた。
「自惚れたものだな」
くつりと笑みを洩らし、その唇を歪める。
そして彼はふと視線を伏せ、そしてぐるりと室内を見廻した。
「……そうか」
その視線はキッチンで止まった。
やはり彼にはその床に散らばるモノは見えないらしい。
それでも彼は何か勘付いたようにじっとキッチンを見ていた。
やがて「京」へと向き直り、
「お前か」
徐に己の喉元に指を立て、
「全て、お前の望んだままになるというわけか」
その唇に笑みを浮かべたまま、庵は己の喉笛を掻き切った。
「八神!!」
首から血を吹き出し、崩れ落ちるその体。
駆け寄ろうと立ち上った瞬間、紅丸は信じられないものを見た。
「京…!」
京が、そこにいた。
引き裂かれた五体はそのまま散らばっていたがそれとは別に、自分と庵の間に、確かに京が立っている。
けれど、その姿はすぐに消えてしまいそうなほど、儚い。
「この部屋から出ていけ、紅丸」
その声が耳を通して聴いているのか直接脳に響いてくるのかは判断できなかった。
けれど、確かに京の声だ。
「お前っ、どうなってんだよっ、どうっ…!」
混乱した思考は問い詰めたい事すらあやふやにしてしまう。
「一体何があったんだ!」
辛うじて紡がれた叫びに、京は苦笑して肩を竦めた。
「庵の血が暴走して俺がやられた。それだけの話だ」
「暴走って…!だけどお前っ…!」
そこで紅丸ははっとして言葉を止めた。
あれだけ混乱していた思考が、まるで冷水を掛けられたように落ち着いてくる。
「待て…お前ほどのヤツが、そんな簡単に…」
「そうだよなー。この俺サマが火傷の一つも負わせずにやられるかってーの」
にっと悪戯の成功した子供の様な笑みを浮かべる京。
――全て、お前の望んだままになるというわけか
庵の最期の言葉が甦る。
「お前、」
自分の震える声が耳の奥でやけに響く。
「まさかわざと…!」
その問いに京は薄っすらと笑みを浮かべるだけで答えなかった。
「早く逃げないと、一緒に燃えちまうかもしれないぜ?」
ボッと低い音がして紅丸はそこへと視線を向けた。
キッチンの床、散乱した彼の体。そこに鮮やかな紅の炎が灯っている。
「安心しろよ。骨の一欠片も残さねえよ」
他の部屋の奴等も巻き込まねえし。
そう薄く笑う京。その間にも炎は広がっていき、室内に蛋白質の焦げていく嫌な臭いが充満し始める。
火災報知器が反応するのも時間の問題だろう。
そして炎はリビングでも上がった。
彼の頭部と、そして倒れ伏し沈黙した八神庵の体。
「全部、俺のモンだからな。誰にもやらねえ」
京はとても嬉しそうにそう言う。
「知ってたか?八神の直系は短命なんだ。オロチの力を使う所為で。冗談じゃねえ。庵は俺より先に死ぬんだぜ?しかも俺の為じゃなく、オロチの所為で!そんなの許さねえ。庵の中に俺以外がいるってのが許せねえのに、誰が命までくれてやるかよ。髪の一本すら渡さねえ」
全部、俺のモンだ。
そう笑う京の姿を、狂っていると思えたらどれだけ楽だっただろうか。
けれど不意に笑みを消した京の眼に、狂気の色は伺えない。
ただ深いその漆黒の奥に、引き裂かれるような悲哀だけがちらついている。
「庵が俺じゃないと駄目なのと同じでさ、俺も庵じゃないと駄目だった。けど、キスだけじゃ足らないんだ。セックスしても中途半端な感じがした。繋がるだけじゃ駄目なんだ」
お互いの体の奥へと沈み込んでゆく感触。
境界線が曖昧になり、何処からが自分で彼なのか分からなくなる感覚。
ヒトツニナリタイ。
「俺、バカだからさ、こんな方法しか思い付かなかった。庵において逝かれるのが嫌で、だからって一人で先に死ぬのも嫌で、でも、庵を殺して自分も死ぬ勇気なんて無くて」
巻き込んですまねえ、紅丸。
「きっと大会や修行に関係なく姿を暗ませればお袋はお前の所に連絡すると思った。お前がここに来るだろう事も。お前が来る事で、庵が俺の事を自覚する事も、全て」
不意に京の背後に一対の腕が現れた。
男の腕だ。
その腕は京を背後から抱きしめるように包み込む。
京はそれに抗う事無く、薄らと笑みを浮かべて眼を閉じた。
それが誰の腕だか、紅丸は理解した。
「京っ…!」
ごめんな、紅丸。
その言葉を最後に、京の姿は自分を包み込む腕と共に掻き消えた。
「…バカヤロウ…」
炎が空気を喰らって弾ける音にその呟きは飲み込まれていく。
「血に囚われていたのは八神じゃなく、お前だったんじゃねえか…」
燃え盛る炎は苛立たしいほどに優しく、暖かだった。

 

 

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