すれちがい



 ここは船の中にあるクリスに割り当てられた一室。
 ここには常に六騎士が集まり、ルイスの容れた紅茶を楽しんでいた。
 本日、いつもと違うのはここにレオとロランが居ない事である。
 彼らは今頃愛馬と共に牧場を駆け抜けている頃だろう。
 四人は各々の席に座り、紅茶を楽しみながら雑談を交わしていた。
 コンコン。
 軽いノック音にクリス達はカップを置いた。
「どうぞ」
 クリスの応えと同時に扉が開き、一人の女性が室内へと入って来る。
!」
 ゼクセ風の濃紺の服を纏い、栗色鮮やかな髪を胸元へ垂らした女性の姿に真っ先に反応したのはボルスだった。
「知り合いか?」
「あ、その…」
 クリスの言葉にボルスが言い淀み、と呼ばれた女性へ視線を送る。
「二週間振りで御座いますね、ボルス様」
 彼女はボルスの姿を認めると無表情に軽く会釈を返し、クリスに向き直った。
「クリス様、お初にお目にかかります。わたくし、、と申します。ボルス様に所用が御座いましてお邪魔させて頂きました。用が済みましたらすぐにでも退出しますのでご容赦くださいませ」
 軽くスカートの裾を摘んでの一礼に、彼女が立場ある家の娘という事が知れた。
「いや、こちらも暇をしていたところだ。気にしなくても良い」
「それで、わざわざゼクセから何の用だ」
 どすん、と些か乱暴に腰を下ろしたボルスがどこか苛付いたような声で問う。
「はい」
 だが、はそれに気にした様子もなく、腰に提げた革袋の中から折り畳まれた一枚の羊皮紙を取り出した。
「こちらにサインをお願いします」
「サイン?」
 ボルスの傍らに歩み寄ったが差し出した羊皮紙を受け取り、それに目を通した途端彼は目を見開いた。
「……どういう事だ」
 クリス達からはその内容は見えない為に何が記してあるのかは分からないが、ボルスにとって重大な事である事には違いない様だ。
「子供が出来ましたので」
「は?」
 相変わらずの無表情で告げられたそれに、ボルスだけでなくクリス達も驚いた様にへと視線を向ける。
「それは、その…」
 言い淀むボルスに、彼女は一瞬顔を顰め、次の瞬間にはいつもの無表情に戻っていた。
「そうです。貴方の子です」
、こっちへ…」
 さすがにここで話す内容ではないとボルスはがたりと席を立ち、の腕を引いて外へ連れ出そうとする。
 だが、彼女はその手を振り払った。
「結構です。わたくしはそれにサインして頂く為に参りました。話など御座いません」
「そっちになくともこちらにはあるんだ!」
「貴方にありましてもわたくしは聞く耳を持ちとう御座いません」
 脳内沸騰ボタンスイッチオン状態のボルスとは正反対に落ち着き払っているのその態度が余計苛立たせたのか、ボルスは手にした羊皮紙をばんっと机に叩き付けた。
「子供が出来たんだろう?!だったら何故こんなものを持ってくる?!」
 好奇心に負けてクリスやパーシヴァルたちがちらりとその羊皮紙を盗み見て、その緑の縁取りのされたそれに一様に目を見開いた。
 ゼクセンの役所にはそれぞれの届け出をする際、専用の羊皮紙に必要事項を書き込み、提出する必要がある。
 その羊皮紙は用途によってそれぞれの色で縁取られている。
 例えば、青ならば住居関係。
 紫ならば商業関係。
 赤ならば婚姻届、といったように様々な色が意味を持っている。
 そして緑といえば、離婚届を表す色だった。
「とにかく来い!」
 ボルスは今度は抵抗しないの手を引いて部屋を出ていった。
「……」
 唖然としてそれを見送ったのはクリスとサロメ、パーシヴァルにルイス。
 そして忘れ去られた離婚届。
「ボルス、結婚してたんだな…」
 呆然と扉を見詰めたままクリスが呟くと、どうやら他の面々も知らなかったらしくルイスが「びっくりしました」と呟いた。
「どれ」
 パーシヴァルが机の上に残された離婚届を摘み上げる。
「パ、パーシヴァル!」
 クリスが慌てて窘めたが、パーシヴァルは「忘れる方が悪いんです」と面白そうにその書類へと視線を走らせた。
「…おや、彼女、ガナードレック家の息女ですよ」
「ガナードレック家!」
 ビネ・デル・ゼクセでは名高いその氏にクリスが声を上げた。
「あの交易商として名高いガナードレック家ですか…確かにガナードレック家には一人娘が居ると聞いた事はありましたが…」
「結婚したのは五年前ですね」
「何?!そんな前からか?!」
「そう言えば五年くらい前に一度だけ有給を取ってましたね。理由を言おうとしなかったのでよく覚えています」
「でも、どうして今まで隠していらしたのでしょう?」
 ルイスの至極尤もな疑問に、一同は首を傾げた。
「…ふむ」
 一人思い当たる節があるらしいパーシヴァルは、離婚届を片手に立ち上がった。
「それでは、私はこれを届けに行ってきましょう」
「だが今行っては…」
 止めるクリスにパーシヴァルはにやりと笑みを返した。
「今だから、行くのですよクリス様」
「!盗み聞きする気か!」
 慌てたクリスの声にとんでもない、と彼は肩を竦める。
「忘れ物を届けるだけですよ」
 ハハハ、と一般の女性ならイチコロ(死語)な爽やかな笑顔で、だが「自分の修羅場は御免でも他人の、しかもあのボルスの修羅場とならばこれはもう見に行くしかあるまい」なオーラを振りまいてパーシヴァルは部屋を出ていった。



 ボルスに彼の部屋へ連れてこられたの表情に相変わらず感情の色は見えない。
「…理由を、教えてくれ」
「私は生まれてくる子供には堂々と父が誰であるか名乗らせてあげたい。だから、この子を受け入れて下さる方を捜します」
「別に俺であると名乗る事に何の躊躇いがある!」
 そう声を荒げるボルスに、の表情に微かに悲しみの色が差した。
「…それでは、言わせて頂きます。貴方と縁を結んで五年が経ちましたが、私がゼクセで街の方々とお会いした時、いつも何と声を掛けられるかご存知ですか?「女中さん、ボルス様はお元気ですか?」そう声を掛けられます」
 妻の語る事実に、ボルスは眼を見張った。
「それともう一つ。昔、一人の騎士様に声を掛けられました。「ボルス様の母君の体調は如何ですか」と。婚の儀の日、貴方は母が倒れたからと休みを取られたそうですね。別に私の事や既婚である事を誰彼構わず言い触らせとか、そんな事を申しているのではありません。ただ、貴方がそうして隠したくなるような妻でしかない自分が情けなく思いました」
「それはっ!」
 はボルスの声を遮って言葉を紡ぐ。
「貴方は、私に無闇に出歩くなと言いましたね。私が重荷なのでしょう?だから、隠すのでしょう?」
「何故そうなる!」
「貴方は先程もクリス様に私の事を紹介するか迷いましたね」
「!」
 そこで漸くボルスは気付いた。クリスの部屋を訪れたはレッドラム姓を名乗らなかった事に。
 恐らくボルスの反応を見た彼女が伏せたのだろう。
「そしてもう一つ。昔から仕事柄家を空ける事が多かった貴方は、帰って来た日は私に色々なお話しをして下さいました。私はそれが楽しみでしたが…ここ最近のご自分のお話しになった事を覚えていらっしゃいますか?」
「話?」
 問われ、ボルスは考え込んだ。
 大抵いつも話など騎士内であった事や仕事の事だ。それは昔から変わっていない。
 そして最近話した事といえば…。
「…お前、もしかして俺がクリス様の事ばかり話しているから、だなんて」
「いけませんか。確かにクリス様は素晴らしい方です。ですが、夫が偶の休みに帰って来たと思ったら他の女性の名を連呼されて、気持ちの良い妻など居りません。喩にさせて頂くには大変恐縮ですが、例えばクリス様が貴方にお会いする度にパーシヴァル様の事をお褒めになられたらどう思われますか?そうですね、と笑えますか」
「笑えるわけっ…」
 そこまで言って、はっとした。
 そういえば、いつからは笑わなくなったのだろう。
 元々彼女は声を上げて笑うような娘ではなかった。だが、それでも包み込むように、ボルスの疲れを癒すように優しげに笑う事はあったはずだ。
 自分はその笑顔をどれくらい見ていない?
 以前の彼女なら人並みに怒り、笑い、軽やかに自分の元へと駆け寄って来ていた。
 それを変えてしまったのは自分なのだ。
「やれやれ。青臭い性格だとは思っていたが、愛し方まで子供だな、ボルス卿は」
 軽い扉の閉開の音と共にパーシヴァルが入って来た。
「パッ、パーシヴァル!」
「パーシヴァル様、先程はお見苦しい光景をお見せしました事お詫び申し上げます」
 顔を赤くして慌てるボルスとは反対に、はぺこりと頭を下げた。
「いえいえ、ボルス卿の新たな一面も見られた事ですし、お気になさらず」
 右手を胸元に当てた会釈を返すと、「それにしても」といつもの薄い笑みでボルスを見詰めた。
「宝物を誰にも取られない様に隠すのは、良い大人がやる事では無いと見受けるが?」
「っ!」
「?」
 更に顔を赤くさせたボルスに、は首を傾げるばかりだ。
「卿の事だ。奥方にきちんと己の気持ちを伝えたのは一度かそこらだろう。それで夫婦仲が続いて行くと思ったら大間違いだぞ。人との関係は、会話で成立っていくものなのだから」
 パーシヴァルの言葉は的を得ていたのだろう。ボルスは決まり悪げに視線を逸らした。
「……お前が、悪いんじゃない」
 ぽつり、とボルスが呟いた。
「…寧ろ、俺には勿体無いくらいで…その、俺は、親に紹介された時から、お前が好きだった。だから、 その、他の奴等に取られたくなかった。見せたくなかったんだ」
「ボルス…」
「俺たちは家の都合で縁を結んだようなものだったし、俺は余りお前の傍に居てやれない。だから、知らない内に他の男に見初められていたらと思うと…どうしても、お前を外に出したくなかった…」
 ぽかんとしたような表情で見上げてくるに、ボルスは伝えていない事の方が多い事に、そして、いつも言わなくとも意を汲んで動いてくれる彼女の愛情に胡座を掻いていた事に漸く気付いた。
「で、これは入用ですかね?」
 ひらりとパーシヴァルが振ってみせたのは、ボルスの名を入れるだけとなった離婚届。
「寄越せ」
 ボルスはパーシヴァルの手からその羊皮紙を奪うと、ビィッと音を立ててそれを引き裂いた。
 真っ二つになったそれを屑入れに捨てると、へと向き合う。
「お前が俺の元に居てくれるなら、俺は、騎士を辞める事も厭わない。俺は、お前が待たぬ街を守る気は無い」
「ボルス…!」
 そこで始めて、は感情の色を窺わせる表情をした。
「いいえ、いいえ、辞めないで下さい。私は、騎士である貴方の姿が、とても誇らしいのです。だから、辞めないで下さい…!」
「だが…」
「ごめんなさい、ボルス。私、貴方が独占欲が強い事、知ってたはずなのに、わからなくなってたの。誰にも相談できないからずっと一人で考えて、そうこうしている内に子供が出来たと分かって、余計どうすれば良いのか分からなくなって…貴方を、信じられなくなってしまった…ごめんなさい、ごめんなさい…!」
 とうとう感情が押さえられなくなったのだろう、彼女はその白い手で顔を覆い、泣き出してしまった。
「え。あ、いや、その、ケ、?」
 決して短くない付き合いの中で、彼女が初めて見せた涙にボルスは慌てふためく。
「さて、私は退散しますかな」
 笑みを含んだパーシヴァルの声に、お前はいつまで居るつもりだと睨み付ければ、彼は喉の奥で小さく笑いながら部屋を出ていってしまった。
「……」
 ボルスは涙を流すを些か乱暴に抱き寄せ、その背中を軽く叩いた。
「その、泣かれると、どうしていいのか、わからん…」
 すると、ごめんなさい、と謝る声が聞える。
「あ、いや、謝る事じゃなくてだな…その…俺は、お前を、愛してる。それだけは…信じて欲しい」
 腕の中でが小さく頷く。
「改めて、言わせてくれ。俺と、生涯を共にして欲しい」
 照れを隠し切れないその言葉に、は小さく微笑んで頷いた。




 あの戦いから半年が過ぎた頃。
「最近ボルス卿はどうも落ち着きが無いな」
 ブラス城城下町にて見廻りを兼ねた散歩をしていたパーシヴァルは、どこか気も漫ろな表情で隣りを歩くボルスにそう声を掛けた。
「え?あ、ああ、いや…」
「また奥方に三行半でも突き付けられたか」
「なっ!」
 ボルスの顔が一瞬にして朱に染まる。
 あの一件以来、何かあればすぐそれを持ち出すようになったパーシヴァルに、ボルスは「バカを言うな!」と無駄にデカイ声で反論した。
「俺はただっ…」
「ぼるす!ぼるす!!」
 突然一羽の伝書鳩が甲高い声でボルスを呼びながら二人の間に割って入って来た。
「ナトラ!」
 どうやらボルスの伝書鳩らしく、ボルスの差し出した腕にナトラと呼ばれた伝書鳩は降り立った。
「テガミ!テガミ!!」
 ボルスはナトラの背負っている小さな手紙入れを開け、その中から一枚の便箋を取り出した。
「……!」
 それに目を通したボルスは目を見開くと、慌ててブラス城内へと走っていってしまった。その後ろをナトラが追いかけていく。
「さて、何が起ったやら」
 一人残されたパーシヴァルは小さく笑うとボルス達の後を追った。


「クリス様!!」
 サロンに駆け込んで来たボルスの姿にクリスより先にサロメが反応した。
「何です。騒々しい」
 だがボルスには届いていないらしく、彼は足音荒くクリスの座るソファにまで近付いていく。
「どうした?」
「急で申し訳ないのですが、明日から一週間ほど休暇を頂きたいのですが」
 五年前の有給以外、皆勤賞驀進中のボルスにしては珍しい。ルイスに至っては明日は雨が降るのではないだろうかと思ったくらいだ。
「まあ、今は然程忙しくはないから構わないが…どうかしたのか?」
「はっ、妻の陣痛が始まったと今し方書簡が届きまして!」
「とうとうか。では本日ももうこれで上がれば良い。早く帰ってやれ」
 そう微笑むクリスにボルスは「ありがとうございます!」と一礼をし、踵を返すと同時にサロンの扉が開いた。
「ボルス、伝書鳩が閉め出されてたぞ」
 ナトラを連れたパーシヴァルだ。
「ああ、すまん。ナトラ、お前は先に帰っておけ。俺もすぐ帰る」
 そう告げるとナトラはパーシヴァルの肩から舞い上がり、「ぼるす、カエル!ぼるす、カエル!!」と叫びながら近くの窓から出ていった。
「では、俺もこれで失礼します!」
 どうやら一秒でも早く家へと帰りたいらしく、ボルスは来た時と同じ様に騒々しい足音を立てて出ていってしまった。
「子供が産まれるそうですね」
 その姿を見送ったパーシヴァルがクリス達に向き直る。
「先程の伝書鳩が子供生まれる子供生まれると、それはもう飼い主そっくりの大声量で教えてくれましたよ」
「それにしても、変わりましたねえ」
 パーシヴァルの分の紅茶を用意しながらしみじみと呟くルイスに、一同は全くだ、と肯いた。
「今では二言目には「が」「妻が」ですからね」
 サロメの言葉にクリスは苦笑する。
「だが、仲違いしているよりは良いだろう」
「まあ、そうですけどね」
 と談笑しながらふとルイスは自分の容れた紅茶を啜るパーシヴァルを見る。
 ボルス様があれだけ必死でさんの事を隠していたのは、どちらかというと不特定多数の男性にではなく、パーシヴァル様にちょっかい出させない為だったんじゃないのかなあ、と。
 ふと、そう思った。




(無理矢理END)
あっはっは!ヒロイン、ボルス卿に三行半。(笑い事)
テーマ:ボルスを妻の立ち場から非難してみよう(爆)
嘘です…が、強ち嘘とも言えない内容に…。ボルスファンの方に睨まれそうです。
余談ですが、一人称がわたくしから私に変わったのはボルスと二人きりだからです。
ちなみに旦那を様付けで呼んでいたのは別れる旦那へのけじめだったらしいです。
最後の方のボルスのセリフを考えたのも確かに私ですが、実際、男に言われたら「ヒィィ!何言ってんのこの男!(脅え)」って感じで猛ダッシュして逃げます。(爆)未婚者なので旦那に言われたらどう思うか不明ですが…こういうセリフって、小説や漫画ならではですよね…(遠い目)
本当は後日談があって、HPにUPするに当たってそれを書こうと思ってたんですが、数行書いた所で行き詰まったので没りました。原因はパーシィかと。(爆)
(2003/02/04/高槻桂)

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