その日、兄はマンションの方に帰ってくるはずだった。
けれど夕方になって急な仕事に圧され、アパートの方に持って帰ってやるという電話が入った。
夕食を作りに行こうか、という申し出に兄は大丈夫だからと答え、私はその日はマンションで一人寂しく一夜を過ごすはずだった。
しかし夕食の献立を考えているうちに気が変わり、兄のアパートへと向かった。
電話もメールもせず、突然言って驚かせてやろうと思ったからアパートのドアはそうっと開けた。
そして玄関に見慣れない靴がある事に気づき、私は小首を傾げながらそろりと室内に侵入する。
来客中なのだろうか。
簡易キッチンの前を通り過ぎ、居間として使っている部屋の前で私は立ち止まる。
ぼそぼそと二人分の声が聞こえてくる。

――…な事を言っていると分かっている。しかし、私は、貴様の事が好きらしい…

ぴしり、と体内細胞単位で身体が凍りついた。
この声は、間違いない。
御剣怜侍。
それが、何を、言っている、んだ?

――…御剣…僕も、

もう一つの声、兄の声を聞いた途端、総毛だった。
頭で考えるより早く身体は居間へと現していた。
「…なに、してるの?」
凍りついたように動きを止めたのは、不自然なほどに身体を寄せ合った二人の男。
その片割れの兄の手は、そっと御剣の頬に添えられている。
私は無意識に笑みを浮かべていることに気付いた。酷く引きつった笑みを。
…!」
兄が慌てて身体を離すと同時に私は踵を返した。

ああ、私は兄に。

ちゃん!」
咄嗟に掴まれた手を振り払い、部屋を飛び出した。



私は兄に、裏切られたのだ。



飛び出したからといって、行く当てなどなかった。
ただ闇雲に走って、走って。
コンビニの前で息が切れて立ち止まる。
そのままふらふらとコンビニの横へ向かい、壁に凭れ掛かる。
裏切られた。
ずるずるとそのまま壁伝いに座り込む。
一緒に居られれば、それだけで十分だと思ってた。
だけど違う。違う。
兄はあの時、御剣を受け入れようとしていた。
私より、御剣を選ぼうとしていた。
許せない。
そんなこと、絶対に赦さない。
間違ってる。兄は間違えているのだ。
正さなければ。私が思い出させてあげなければ。

!」

目の前が陰り、ぼんやりと見上げれば息を切らした兄の姿。
ああ、やっぱりそうだ。
「…もしもし、を見つけたよ。…ああ、うん、その方がいいと思う。…うん、じゃあ」
兄は私を追いかけてくれた。
兄は私を見つけてくれた。
ならばまだ間に合う。

「…帰ろう、…」

差し出された手に、私はそっと手を重ねる。

まだ間に合う。
私が思い出させてあげなきゃ。


私が兄のものであるように。


兄もまた、私のものなのだと。






***
少しずつネジが緩んでいってます。
ウチの御剣はちょくちょく帰国してる設定です。

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