上級検事執務室1202号室。
御剣がいつものように書類に目を通していると、コンコン、と扉をノックされた。
「開いている」
「失礼します」
入室してきたその声に聞き覚えがあった御剣が顔を上げると、そこには私服に学生鞄というミスマッチな格好をした少女が居た。
成歩堂龍一の妹、だ。
成歩堂を介してしか接点の無いはずの彼女が態々こんな所に何故。
彼女は入室するとくるりと室内を見渡した。その視線がある一点で止まる。
サイドテーブルの上に置かれた、チェス盤。御剣は反射的に拙い、と思った。
ちょっとした遊び心が彼女の目に留まった。
それは、赤いナイトに囲まれる青いポーン。
聡い彼女ならその意味をすぐ理解しただろう。彼女はチェス盤に歩み寄ると、赤いナイトの包囲網から青いポーンを救い出した。
そして彼女の手がひらめき、赤いナイトはボード上から振り落とされた。
カツン、カツン、と幾つもの音がして赤いナイトがテーブルから転がり落ちたが、彼女は全く気にした素振りを見せず手にした青いポーンをそっとボードの中央に置いた。
そしてその傍らに青いクイーンをそっと並べ、満足そうに頷いた。
そうして漸く彼女は本来の目的を思い出したのか、つかつかと御剣の座るデスクの前までやってくると、にっこり笑って言った。
「こんにちは、御剣検事。今日はお願いがあって来たんです」
お願い、の言葉に御剣の形の良い眉が僅かに跳ね上がる。
彼女が自分を嫌っていることは身を以って知っている御剣が不審な顔をするのも無理は無い。
しかし彼女は笑顔を浮かべたまま用件を述べた。
「金輪際お兄ちゃんに関わらないでください」
彼女の普段の態度や生い立ちを聞いた今では、ある程度予測できる範囲内のことだった。
「裁判の時は仕方ありませんが、それ以外での接触は一切遠慮して欲しいんです」
「…そんな約束はしかねる」
「お願いします」
にこにことした笑顔を貼り付けたまま彼女はそう繰り返していたが、ぎちり、と彼女の持つ学生鞄の取っ手が悲鳴を上げ、彼女の心境を表していた。
しかしこちらとて折れてやる義理は無い。
「断る」
ガシャン。
唐突に上がった破壊音に御剣は眉間の皺を深くした。
彼女の手にしていた学生鞄が縦に弧を描き、御剣の傍らにあったティーカップを粉砕したのだ。
幸い、中身は残っていなかったがティーカップの方は学生鞄の角に粉砕され、見るも無残な姿になっている。
「お願い、してるんです」
「…器物破損に脅迫、か。成歩堂が見たら悲しむだろう」
途端彼女の笑みが消え、学生鞄が翻って今度はデスクライトを壁に叩きつけた。これまた蛍光灯の哀れな悲鳴が室内に響く。
そして彼女はこくり、と小首を傾げ、きろりと人形のような目で御剣を見下ろした。
「私が譲歩してあげているうちに私のお願い、きいて?」
全く感情の篭らない声音に、これが先ほどまで表面上だけであれにこやかに笑っていた少女なのかと疑いたくなる。
「たとえば、こうしたらどうだろう。私がここで服を乱して、泣きながら部屋を飛び出したら、みんなはどう思うかな」
ねえ、可笑しいねえ?
瞳は人形のまま少女の唇は弧を描き、けたけたと嗤う。
「ね、お願い。あたしに約束して?お兄ちゃんにもう関わらないって」
しかし御剣とて少女一人に屈することが出来るほど矜持は低くない。
かたりと立ち上がると見下ろす側と見下ろされる側が逆転する。
嗤い声がぴたりと止んだ。
無機質な目で見上げてくる少女を見下ろし、御剣は凛として告げた。
「そんな約束は出来ない」
ひゅっ
風を切る音に反射的に身を引けたのは、こう来ることが予測できていたからだった。
眼前の空気を切り裂いて学生鞄が過ぎる。
第一撃が避けられると今度は両手で取っ手を掴み、大きく振りかぶるとそのまま振り下ろした。御剣が窓際まで飛び退くと、ガツン、と派手な音を立てて執務机に学生鞄の角がめり込む。
更にそれを振り上げた途端、くらりと少女の身体が傾げた。
それを好機と御剣は執務机を回り込み、少女の手首を掴むと学生鞄を叩き落して床に押さえ込んだ。
「少しおいたが過ぎたようだな、君」
「っは、なせっ!」
後ろに回された腕を身を捩って解こうとするが、所詮は少女と成人男性。びくともしない。
「お前なんて死んだままでいれば良かったんだ!そうすればお兄ちゃんは私だけを見てくれたのに!私にはお兄ちゃんしかいないのに!お兄ちゃんだけを見てきたのに!おに、ぃ…」
君?!」
少女が突然くたりと倒れ伏し、御剣は慌てて少女を抱き起こした。
完全に気を失っているらしく、その頬を軽く叩いても身動き一つしない。
その顔色は先ほどまで御剣を襲撃していたとは思えないほど青い。
「くそっ」
彼にしてはらしくない台詞を吐き捨て、少女を抱き上げた。
抱き上げた身体は、想像以上に軽かった。




「御剣!は?!」
成歩堂が病院に駆けつけたのは、それから数時間が過ぎてからのことだった。
が倒れた時、丁度裁判の真っ最中だった彼は終わるなり御剣からの伝言を聞いてすっ飛んできたのだ。
「静かにしたまえ」
御剣が手配したのだろう、妹は個室のベッドで眠っていた。
御剣は少女が自分を襲撃してきたことは伏せ、単に成歩堂のことで口論になり、その最中に彼女が倒れたのだ、と説明した。
そして一時的な物かと思われた彼女の意識は一向に戻らず、今もこうして眠りについている。
「…成歩堂、君の体のことなのだが…」
「な、何かおかしな病気でも見つかったのかい?!」
無様なほどにうろたえている男に、御剣は少し落ち着けと手で制した。
「その…大変言いにくいのだが…」
御剣は戸惑ったように言葉を濁し、そして告げた。

君は妊娠している」

瞬間、成歩堂はぽかんと口を開けて御剣を見ていた。
しかし御剣の発した言葉の意味を正しく理解すると同時にとすん、と床にへたり込んだ。
「成…」
御剣はへたり込んでしまった成歩堂に手を伸ばそうとして、彼の全身が小刻みに震えている事に気づいた。

「……僕だ」

呆然としたまま、彼がぽつり、と呟いた。
「何?」
その言葉の意味が分からず問い返すと、彼は今し方己が口にした言葉が禁忌であったように震える手で口元を押さえた。


「…腹の子の父親は…僕、だ…」












***
ハイキタ妊娠ネター!
そしてさっきまでひぐらしやってたせいか妹がキチな感じに。まあいいや。

 

戻る