「いつか、行こうよ。二人で」
(成歩堂夢/逆転裁判)




私は父の部屋で、一枚の写真を手に呆然と立ち尽くしていた。
父の部屋に入ったそもそもの発端は、現国の教科書に載っていたある作家の詩が印象的で、その詩集が父の部屋の本棚に並んでいる事を思い出したからだった。
作者の妻の名を冠されたその詩集はさほど厚みを持たず、他の本に埋もれるように並んでいた。
その一ページ目を開いた途端、本から何かが落ち、きょとんとした。
私の足元に落ちたのは、一枚の写真だった。
拾い上げてみると、そこにはなにやら大きな門のようなものを背景に十人近くの男女が笑いあっている。
「…あ」
その中に、見覚えのある顔立ちを二つ、見つけた。
恐らく若かりし頃の父と母だろう。
しかし父と母の立ち位置は離れていて、間には何人もの男女がいた。
裏返してみると、そこには日付と『研修三日目・ブランデンブルク門にて』と走り書きがあった。
もう一度写真を見てみる。
よく見ると日本人は父と母だけのようだった。
あとは皆、金や銀の髪に様々な瞳の色を宿していた。
「……」
私は詩集を元あった場所に戻し、写真だけをかさりとブレザーのポケットに忍ばせた。
そして内ポケットから携帯電話を取り出し、リダイヤルボタンを押した。


その日の成歩堂法律事務所はこれといって急ぎの仕事は無かったらしく、のんびりとした雰囲気を醸し出していた。
「わあ、ちゃん、いらっしゃい」
真宵ちゃんに出迎えられた私はいつもと同じ、ソファの右端に座った。
「今紅茶淹れてくるね。なるほどくーん、ちゃん来たよー!」
私が紅茶党だと知っている真宵ちゃんはにこにことそう言い、給湯室へと向かった。
すると入れ替わるように所長室から兄が姿を見せた。
「ようこそお越しくださいました、お姫様」
人の良い笑顔を浮かべ、いつものように軽口を叩く。
しかし浮かない顔をしている私に気付くと、笑みを薄めて私の隣に座った。
「制服のままだね。一度家には帰ったんだろう?何かあった?」
私はポケットから例の写真を取り出し、兄に見せた。
「…これ」
すると、兄の顔色が僅かに変わった。
ああ、そうか、やはり、これは。
「…知ってるんだ?」
「あー…えーと…」
兄は困ったように後頭部を掻きながらそっぽを向く。
と同時に真宵ちゃんがティーカップの乗ったトレイを手に戻ってきた。
ちゃん、お待たせ!はい、なるほど君はコーヒーね」
すると私が手にしている写真に気付いたのか、興味深そうに覗き込んできた。
「なになに?誰の写真?」
「あー、真宵ちゃん、あのね、」
「これ、お父さんだよね。それで、こっちがお母さん」
兄の声を遮って指先で示すと、真宵ちゃんはビックリしたような声を上げた。
「えー!なるほど君とちゃんのお父さんお母さん?!」
「…うん」
兄が観念したように頷くのと同時に、私の指先は母の隣の男性へと移る。
「…この人は?」
母より随分と背の高い、銀髪の男性。
彼は銀灰の瞳を優しそうに歪めて笑っていた。
「…真宵ちゃん、ちょっと席外してもらえるかな」
「え?なんで?」
「明日トノサマンチョコ買ってあげるから」
「?よくわかんないけど、じゃあ隣でテレビ観てるから用があったら呼んでね」
そんなやり取りをしている間、私はじっとその写真を見下ろしていた。
遠い異国の地。ブランデンブルクという事はドイツ・ベルリンか。
日付は三十年近くも昔。
まだ、兄すら生まれていない頃だ。
ひょっとして、まだ父と母は恋人ですらなかったのかもしれない。
「…僕が知ってる限りだけど」
兄がぽつりと語りだした。

父と母が出会ったのは、日本ではなく、この異国の地、ベルリンだったらしい。
職場の研修で支社のあるベルリンに飛んだ父と、その支社で働いていた母。
そこで二人は出会い、恋に落ちた。というわけではなかった。
父は母を一目見て恋に落ちていたが、しかし当時、母には恋人がいた。
それがこの写真の男性かは兄には判別付かないそうだが、母の上司に当たる、ドイツ人男性だったそうだ。
しかし二人は破局を向かえ、母は逃げるように日本の本社へと戻ってきた。
そして父と母は再び出会った。

「つまり、失恋で落ち込んでいる隙を突いてお父さんが掻っ攫って言ったってコトね?」
「うーん、身も蓋も無い言い方だけどそういうコトなのかなあ…」
「で、二十年近くも経ってから焼けぼっくいに火がついて私が生まれた、と」
「いやいやいや、そんな言い方しちゃダメだよ」
「だって、そうじゃない」
私は無意識に目元に手を当てた。
今は黒いけれど、カラーコンタクトを外せば銀灰の瞳が私に真実を告げてくる。
「…そうじゃなきゃ、どうしてあたしが生まれてくるってのよ」
「…
目元に当てた手を兄がそっと掴んで剥がした。
つい拗ねたような眼で兄を見上げると、兄は優しく笑っていた。
「僕はね、。どんな理由であれ、が生まれてきてくれて良かったって思ってるよ」
「…本当に?」
「勿論」
兄の瞳に嘘は無い。
私は兄に腕を伸ばし、抱きついた。
大きな腕が、私を包み込む。
この腕の中が、私は一番のお気に入りだった。
ぎゅっとしてもらうだけで、もやもやしたものが吹き飛んでしまう。
「ねえ、お兄ちゃん」
「うん」
「いつか、行ってみたいな…ドイツ」
「うん、いつか、行こうか。二人で」
目を閉じると、ブランデンブルク門を見上げて笑う、私とお兄ちゃんの姿が浮かんだ。
はしゃいで門を見上げる私の瞳はきっと、誰にも奇異の目で見られること無く、銀灰に輝いているのだろう。




***
久々に長い文章を書いた所為か、上手く纏まらなくて無理やり終わらせた感満載。
次こそ御剣を出したい。

 

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