誕生日







本当の名前を、思い出した。

僕の名は……




「そろそろ起きなさい」
母親の声に、少年はのそりと体を起こした。
「もうすぐ朝食の準備が出来るから、それまでに起きてくるのよ?」
「…うん」
生返事を返し、母親が部屋を出ていくのを見送る。
「……」
少年は己の両手や体を見回した。まるで、珍しい物を見るように。
…本当に、やってのけるとはな…」
母親の旧姓を呟いた少年の目は、五歳を迎えたばかりの少年のものとは思えないほど強い意志を湛えていた。



服を着替え、キッチンへ向かうとが瑞々しいレタスを裂いてガラスの器に盛っていた。
「おはよう、リドル」
「おはよう…ママ」
どこか躊躇うように返す息子に、彼女は出来上ったばかりのサラダの器を渡した。
「ついでにこれを運んで頂戴。貴方のと、お父さんの分よ」
お父さんの分よ、と告げた時の母はとても嬉しそうだった。
それもそうだろう。本来ならホグワーツにいるはずの父が昨夜突然帰って来たのだ。
今日までに仕上げるはずだった仕事の〆切が延びたとかで、父はその知らせを聞いた途端、書類を鞄に詰込んでとっとと帰って来たらしい。
日曜日くらい帰らせろ。
それが父の言い分で。
十ヶ月も家に帰れない生徒たちが聞いたら何と言うだろう。
リドルは渡されたサラダを両手に、テーブルへ向かう。
そこにはいつもの仏頂面でセブルスが新聞を読んでいた。リドルは手にしている器の一つを父親の前に置き、じっと見上げる。
「…どうした」
息子の視線に気付いたセブルスが視線を紙面からこちらへ移す。だが、リドルは何でも無い、と言う様に首を左右に振り、自分の椅子の元へ向かった。
セブルスの訝しげな視線を受けながら、リドルはよじ登る様に椅子に座る。
同時にバタバタと二つの足音が聞えて来た。
「みんな、おはよう」
「おはよう、パパ、ママ、リドル」
年の離れた兄と姉がやってきてそれぞれ自分の椅子に就く。
一回り以上年の離れた兄、ジェムはリドルの向かいの椅子に座り、姉であるリリはリドルと父親の間の椅子に座った。
そして最後にがジェムとリリの分のサラダを手にやって来た。
「早く夏休みにならないかしら。夏休みなら、毎日こうしてみんなと一緒にご飯を食べられるんですもの」
ねえ?と笑ってはセブルスとジェムの間の椅子に座る。

いつもと同じ、朝の食事風景。

「……」
リドルは微かな疎外感を感じ、じっと目の前の食事を見詰める。
「リドル?」
の声にはっと視線を上げる。
「どうしたの?」
お腹でも痛いの?そう続けるに、リドルは首を振って手にしていたパンを千切って口の中へ放り込んだ。



「それじゃ、ちょっと行ってくるよ」
朝食を食べ終るとすぐにジェムは暖炉の上においてある小さな壷から一掴みのフルーパウダーを手にした。
「夕方までには何がなんでも帰るよ。今日はリドル坊やの五回目の誕生日だからな」
そう言ってジェムは粉を暖炉に入れる。鮮やかな緑の炎がジェムを包んだ。
「魔法生物規制管理部、存在課!」
ふっとジェムの姿が消える。それを見送り、は夫の為にコーヒーをカップに注いだ。
「私、書庫に行ってくるね。おっとパパ、「右から二番目の棚以外は触れるな」でしょ?分かってるわよ」
そしてリドルに「プレゼント、楽しみにしてなさいよ」とひらひら手を振って食堂を出ていってしまった。
「リドル、まだ飲む?オレンジでいい?」
いつもなら兄姉と一緒に食堂を出ていくリドルが未だ椅子に座ったままじっと自分を見ている事に気付いたは、空になった彼のコップを見てそう聞いた。
「……」
だが、リドルは無言で首を横に振った。
「そう?」
は気に留めた素振りもなく自分のカップにも暖かなコーヒーを注ぎ、角砂糖の入った容器の蓋を開ける。
を見詰めたまま、リドルは告げた。

「…思い出したよ、全て」

ぽとん、と角砂糖がコーヒーの中に落ちる音が微かに響く。
きょとんとしたようにがリドルを見る。
セブルスはその言葉の意を瞬時に理解し、リドルを食い入るように見詰めた。
「僕の名前は、」

トム・マールヴォロ・リドル

「それが、僕の名前だ」
淡々とそう告げると、はやはりきょとんとしたまま小首を傾げた。
「前世はそうだったわね。だからどうしたの?」
「前世って…」
当たり前の様に告げるに、リドルだけでなく、セブルスも驚いた様にを見る。
「昨日までの記憶はあるのかしら」
「ああ」
「じゃあ、貴方は私たちの息子のリドルだわ」
事も無げにそう言って退け、彼女はカップの中でくるくるとスプーンを回して沈んだ砂糖を掻き混ぜる。
「あらセブルス、どうしたの?コーヒー、ぬるかったかしら?」
「いや…お前は、知っていたのか?」
「リドルの記憶が戻るかどうかって事?」
「そうだ」
夫の問いかけに、彼女はしれっと一言。
「知ってる訳無いじゃない」
にべも無い。
「そんな些細な事、気にしても仕方ないじゃない?戻る時は戻るわよ」
「些細、些細って君」
リドルは呆れた様に繰り返した。だが、はそれすら可笑しそうに小さく笑っている。
「ねえリドル、私ね、ずっと思ってた事があるの。「あの人はどうしてあんなに遠回りをしてるのかしら?欲しいものはすぐ傍にあったのに」って」
リドルは微かに目を見開いた。

「僕の…欲しい、もの…?」

僕は昔、「トム・マールヴォロ・リドル」だった。
父は母と僕を捨て、母も死に、僕は孤独だった。
父を憎み、自分自身を呪い、世界を憎悪した。
己の名さえ憎み、求めるは闇の力と忠実な下僕たち。
愛など幻だと、憎しみこそが力だと思っていたあの頃。

そう。それはもう、遠い昔の事で。
「ああ…そうか…」
スッと霧が晴れるように、リドルはの言葉を理解した。

「…もっと早く…気付ければ、良かった」

本当に欲しかったものは、そんなものでは無く。

「こんなに、近くにあるんだと…」

が穏かな微笑みを浮かべ、リドルを見ている。
隣りのセブルスを見ると、相変わらず不機嫌そうな表情でこちらを見ている。
僅かに途惑いがあるものの、その顔に嫌悪や憎しみはない。
(ああ、トム・マールヴォロ・リドルよ…)
ヴォルデモートよ。
お前は不幸だ。
今なら、分かる。
お前を可哀相だと思うよ。
お前はこの温もりを、優しさを、知らないんだな。
マグルに粛正を下し、『穢れた血』を抹殺し、世界を手にした所でお前が本当に欲するものは何処にもありはしない。
「そんな事よりね、リドル」
はまた一口コーヒーを啜り、そして真面目腐った表情で。
「バースディケーキはチョコレートとクリーム、両方作っても良いかしら?」
「……ぷっ」
とうとう耐え切れなくなってリドルは笑い出してしまった。
「ちょっと、どうして笑うのよ!セブルスまで!だって材料が余ってるんですもの、どうせだからもう一つ作ろうかしら〜って思ったのよ!」
リドルはが憤慨するのにも関らず笑い続ける。
「ああもう、両方で良いよ……あのさ」
沸き上がる笑いを抑え込み、リドルは先程までの笑いとは違った笑みでを見る。
「僕を産んでくれて、ありがとう…母さん」
は一瞬目を見開き、そして、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

「Happy birthday,Riddle…」






(終わったれ)
+−+◇+−+
あー一気にリドル坊や五歳です。ジェム卒業してます。リリは後二年でホグワーツ入学です。ヒロインもスネ先生も四十路一歩手前です。そんな年頃です。(意味不明)
あっちの食生活とか詳しくないのにこういうシーン書くのって凄い苦痛です。
私、どのジャンルでもそうですが、設定を全部詰込んでからじゃないと書きたくない(書けない)タイプなんです。幻水なんて年表まで作りましたからね。いや、この話も年表作ってから書きましたが。(爆)
もう何度、いっその事和食にしてやろうかと思った事か!(違和感あり過ぎ)
で、長男ですが卒業と同時に魔法省に就職しました。部門は魔法生物規制管理部存在課の、狼人間援助室です。当然、お父さんと一悶着ありました。でも息子が勝ちました。(笑)
実は後半、難産でした。なので無駄に文章が硬いです。アハハ。
個人的に、四巻でデスイーターたちを「家族」と呼んだヴォルデモートが印象的だったりします。
ていうかね、お父さん、影薄い。(爆)
関連タイトル:「夏休み」
(2003/06/02/高槻桂)

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