午後 一日の最後の授業が始まった頃。 中へ入る所か、その扉の前に立つ事ですら嫌がられるスネイプの研究室。 その奥には部屋の主の私室、プライヴェートゾーンへ繋がる一枚の扉があり、その奥から何やら香ばしい香りが漂ってくる。 それは蛙が焼ける臭いでも、ナメクジが焦げる臭いでもない。 この部屋には不似合いな、バニラとバターの交じり合った香りだ。 「〜〜♪〜〜♪♪」 恐ろしい事に、鼻歌まで聞えてくる。 だが、有り難い事にその声は女の声だった。 その声は、この部屋のもう一人の主でもある、・、基、・スネイプのものだった。 「よし、出来たっと」 自宅と比べると遥かに狭い簡易キッチンでは満足げに頷いた。 目の前のテーブルには、焼き上がったばかりのクッキーたち。 プレーン、ココア、マーブルの三種類がある。 クッキーの粗熱が取れてくると、は数枚ずつ小さな袋に入れ、ラッピングしていく。 それでも余る、残りの二十枚ほどは木で出来た小さな器に並べ、ラッピングされた袋たちと一緒に籠にそっと入れる。 「さて、行きますか」 杖を一振りして洗い物を済ませ、はクッキー入り籠を片手に部屋を出ていった。 はハリーたちが二年の時にやってきた、特殊声楽の教師だ。だが、特殊声楽の授業は各クラス月に二度あるだけで、他の先生達と比べて遥かに暇な時間が多い。寧ろ、月の半分以上が何もする事が無い。 その為、彼女の仕事は雑用も兼ねている。授業の無い日はフィルチと同じ様に掃除をしたり、雑用をこなしていた。 何より彼女が他の教師と違うのは。 「今日はマクゴナガル先生がリリを預かってくれてるから楽だわ〜」 リリとは四歳を迎えたの愛娘である。 そう、彼女は子連れでこのホグワーツに来ている。 勿論授業中も一緒。 異例ではあるが、ダンブルドアの許可はちゃんと出ている。寧ろ、自宅でリリと二人、ホグワーツの息子と夫を待つ日々を送っていたの元に、子供が一緒でも構わないから教師をやってみないかとダンブルドアの方から話を持ち掛けたのだ。 それに嬉々として飛びつき、現在に至る。 「いらっしゃるかしら?」 は管理人室の前で立ち止まると、二度、軽くノックをした。 誰だ、としわがれた声が室内から響いた。 「・です」 そう答えて数秒、ギィ、と軋みを上げて扉が開かれた。 「おお、おお、どうなされた」 その態度は生徒たちに対するものとは一変し、まるで娘か孫が尋ねて来たような穏かな声だ。 「クッキーを焼いたんですが、宜しかったら御一緒しません?」 いつもの様にミセス・ノリスを抱えた姿で現れた老人に、はにっこりと笑いかけた。 「マグル式で作ったので、形が不揃いなのは見逃して下さいね」 は暇があれば大抵はこうしてお茶請け片手に誰かの部屋を訪れている。 昨日はアップルパイを片手にマクゴナガルの元を訪れていたし、一昨日は雑用で動き回っていたが、その前の日は紅茶シフォンを持ち込んでダンブルドアとのんびりしていた。 そして今日はフィルチの部屋。 がこのホグワーツにやって来たばかりの時はが誘ってもフィルチは胡散臭そうな視線でを見やり、「結構だ」、または「私は忙しい」の一言だった。 だが、そんな事にも全く気に掛けずが暇になる度誘い続けると、渋々付き合うようになった。 やがて何度も訪れるに馴れたのか、少しずつ言葉を交わすようになり(それまではが一方的に話していた)今ではの「押し掛けティータイム」の常連である。 「あら、そろそろ授業が終わりますね」 この時ばかりはフィルチではなくの膝の上で丸まっていたミセス・ノリスがぴくんと耳を揺らし、頭を上げた。 「おチビちゃん、悪いけど降りてくれるかしら?」 膝の上のミセス・ノリスにそう笑いかけると、彼女はその意を解しての膝から軽い音を立てて飛び降りた。 フィルチは校内巡廻、はクッキー配りの予定がある。 微かに聞こえ始めた生徒の声に、はティーセットを手早く片付けてクッキーの入った籠を片手に立ち上った。 「それじゃあ、失礼しますね。御一緒できて嬉しかったわ」 「ああ、また来ると良い」 「ええ、是非」 は軽く会釈をしてフィルチの部屋を出た。 「ハリーたちは魔法薬学が終わった所よね。という事はジェムも一緒ね」 そう一人呟いて来た道を戻り、地下への階段へ向かう。 ちなみにジェムというのはの息子の名前だ。ハリーと同学年のスリザリン。 だが、一年の時の事件を切っ掛けに、彼はハリーたちと仲良くなったのだ。 お陰でドラコたちに文句を言われているらしいが、ジェム自身は全く気にしていない。 「あ、発見」 思った通り、グリフィンドールとスリザリンの二年生があれこれ話しながら階段を上って来ている。 「ハリー!」 その中に見知った顔触れを見つけ、階段の上から手を振った。 「先生!」 ハリー、ロン、ハーマイオニー、そしてジェムは階段を駆け上がり、の周りに寄って来た。 「クッキー焼いたの。良かったら食べてみて」 「うわあ、母さんの作るお菓子、大好きなんだ!」 「「「ありがとうございます!」」」 四人が嬉しそうにクッキーの包みを受け取る。 「あ、ドラコ!」 更に後からやって来た三人組には同じ様に手を振った。 スリザリンの三人組、ドラコ、ゴイル、クラッブだ。 途端、グリフィンドール三人組の表情が一気に反転する。 「さん!」 だが、ドラコはそんな事お構い無しに、寧ろハリーたちの存在に気付いていないかのように笑顔でに駆け寄ってくる。 「はい、ドラコたちにもお裾分け」 「ありがとうございます、さん!」 いつもの態度は何処へやら。笑顔全開で受け取るドラコ。 ドラコが仮にも教師であるを(授業中はともかく)「先生」ではなく「さん」と呼ぶのは、彼とが親戚だからである。 ハリーたちからしてみれば「信じられない」の一言なのだが、事実、ドラコの父親であるルシウス・マルフォイとは従兄妹であり、ルシウスの息子であるドラコはにとっては可愛い甥っ子なのだ。 「ところで」 ちらり、とドラコが隣りのハリーたちへ視線を向ける。 その表情はいつものあの生意気なドラコだ。 「いつまでそこで突っ立って入る気だ?さっさと部屋に帰ったらどうだ。ジェム、そんなやつらより僕らと居るべきだ」 「うーん、聞き飽きた」 ドラコの言葉をジェムは母親に良く似た笑顔でさらっと返す。 「そういうお前らこそさっさと行けよ」 ロンが険悪ムード丸出しに言うと、が割って入った。 「こら、喧嘩しないの。所で、セブルスはまだ教室?」 「はい、準備室に入っていくのを見ました」 専用スマイルで答えるドラコ。 「ありがとう。それじゃ、みんなまたね」 ひらっと手を振って階段を降りていく。と同時にドラコたちもフンと鼻を鳴らしてその場を立ち去った。 「なんでスネイプなんだろ…」 の後姿を見送りながら、ロンがポツリと洩らす。 とジェムが親子であることは知っていた。何しろ「」なんて姓、このイギリスではまずお目に掛かれないし、第一に本人たちが認めている。 だが、セブルス・スネイプが夫婦である事を知ったのはつい先日。 魔法薬学の授業に忍び込んでいたが暴露したのだ。 は生徒たちに人気があった。元スリザリンという事で多くの生徒を驚かせたほど明るく朗らかで、微笑みを絶やさぬ暖かな気質の持ち主だ。 絶対グリフィンドール。違ったとしてもレイブンクローかハッフルパフだろう、誰もがそう思った。 スリザリンだなんて思った生徒は(親戚であるドラコ以外)誰も思わなかっただろうと言っても過言ではない。 方やセブルス・スネイプはグリフィンドールが、否、スリザリン以外の生徒が最も嫌う教師だ。口を開けば嫌味と減点。スリザリンをこれ見よがしに贔屓する陰険教師。キング・オブ・スリザリンの称号を与えたいほどスリザリン気質の男。 こんな二人に共通点なんて全く(が元スリザリンだと言う事は省くとして)無いと言える二人だが、れっきとした夫婦なのである。 嘘だと思いたくとも目の前にその二人の息子が居たりするわけで。 性格が母親寄りで感情豊かだからか気付かなかったが、よく見てみると外見は父親似のジェム。 「なあジェム、何でスネイプなワケ?」 ロンが「さっぱりわからないよ」とジェムを見る。ハリーとハーマイオニーも似たり寄ったりな表情をしている。 ジェムは「当人に聞けば?」と返そうと思ったが、「聞けないから聞いてるんだって」と返って来るのは目に見えていたので言わない事にした。 「さあ、僕も知らない。じゃあね」 ジェムはそう返して自分の寮へと歩き出した。 「あ、うん、またね」 ジェムの素っ気無さにも馴れている彼らは彼らでグリフィンドールの塔へ向かいながら、再び「何故先生はスネイプを選んだのか」の議論に花を咲かせ始める。 遠ざかっていくハリーたちの声を背に受けながら、ジェムは少しだけ歩みを速める。 (何だかんだ言いながら、待っているんだろうなぁ) きっと今頃先に帰ったドラコたちは談話室でに貰ったクッキーをお茶請けに紅茶でも啜っているのだろう。 そして、そのテーブルには、きっともう一つ、カップが用意されている。 「合い言葉は?」の問いかけに「蛇の卵、丸呑み」そう返して談話室へ入る。 「遅い!」 すると、途端浴びせられた非難。 想像通り、暖炉の前のテーブルには三つのクッキーの包みが広げられ、ドラコ、ゴイル、クラッブが紅茶を啜っている。 「ごめん」 そう笑ってドラコの隣りの椅子に腰を下ろす。 手にしたクッキーの包みを同じ様に広げると、その隣りに暖かな湯気をくゆらせる紅茶が置かれた。 「ありがと」 するとドラコはいつもの様にフンと鼻を鳴らし、空になった自分のカップにも二杯目の紅茶を注ぐ。 「全くお前はいつもいつも…」 「うんうん、ごめん」 ココアクッキーを齧りながら、ああやっぱ母さんの作るお菓子が一番美味しい、などと考えているとバンッとドラコがテーブルを叩いた。 「聞いてるのか!」 「聞いてる聞いてる。ドラコ、紅茶冷めるよ」 「〜〜〜〜!」 「聞いてるってば」 そんな、ある日の午後。 +−+◇+−+ ・・・あら??気付いたら息子オチだわ?しかもドラコと仲が良いわ?あら?? ジェムの性格はこの話か来始めた時点では決まってませんでした。(をい)が、書いてみたらどんどんヒロイン似のマイペース型に。グリフィンドールに入れるべきだったかしら。 最初はジェムはグリフィンドールに入る予定でした。が、グリフィンドールに入れると必然的にハリーと一緒に行動することになる、つまり、一つのシーンに出てくる人物の人数が増える。(爆) それはあかんわ、と。じゃあスリザリンにして偶に出すくらいにしよう、ということでスリザリン。 それにしてもどんどんドリームじゃなくなっていく・・・。 関連タイトル:「驚かせたくって」 (2003/06/03/高槻桂) |