風呂 「どうして陸で暮らさないといけないの?」 ママは私に謝るばかりだ。 「どうして?」 仕方なく傍らの老人を見上げると彼はその澄んだ瞳を揺らし、私に教えてくれた。 「私のパパは人間なのね?でもどうしてそれがいけない事なの?」 彼はゆっくりと私が納得できるまで教えてくれた。 ママの一族は昔、人間に酷い事をされたから人間が大嫌いで、その人間の血が混じっている私の事も好きじゃないんだって。 ママの仲間が私に酷い事をするかもしれないから、私は陸に上がって生きなきゃ駄目なんだって。 「でも、人間は人魚に酷い事をするんでしょう?私は?半分だけだけど、人魚だよ」 すると彼は大丈夫、とにっこり笑った。 「君はとても安全な城で暮らすんじゃよ」 「お城?」 「そう。今はまだ君は幼い。まずは陸の生活に馴れなくてはならん。それからその城…ホグワーツに生徒として通うんじゃ」 「ホグワーツ…」 さて、君の名前じゃが。 「――――じゃいけないの?」 「う〜む、もう少し人間に分かりやすい名前じゃとありがたいのぅ」 人間に分かりやすい…水の中で使う「声」じゃなくて今話している「声」で言えば良いのかしら。 「…じゃあ、」 すると彼はにっこりと笑って頷いた。 「決まりじゃな。今日から君の名前は・ダンブルドアじゃ」 彼女とは、彼女がホグワーツに入学する直前の夏にダンブルドアの私邸で初めて顔を合わせた。 「この子がじゃ」 ダンブルドアの傍らに所在無げに立ち竦んでいたのは、十一の年を迎えたばかりだと言う少女だった。 「…はじめまして、・ダンブルドアです、宜しくお願いします」 手本をそのまま読み上げたような挨拶に、スネイプは短く名乗るだけで返した。 「セブルス・スネイプだ。それで校長、我輩は何をすれば?」 そもそもここへは前日になって突然来いと言われただけだ。何の為にかは聞かされていない。 (まさかとは思うがこの小娘の面倒を見ろなどと言うのではなかろうな) などと思いながら来てみた所。 「わしの出張中の世話を頼みたいのじゃよ」 スネイプの予感は見事に的中した。 それはつまり、一週間も面倒見ろ、と。 「マクゴナガル教授に頼めば宜しいでしょうに」 「それがミネルバもわしに代わってやらなければならぬ事が山積みでのう」 「……」 スネイプはこれ見よがしに大きく溜息を吐いた。 この老人に何を言っても無駄だ。どこぞ国の諺で言うなら暖簾に腕押し糠に釘、馬の耳に念仏だ。 「…分かりました。荷物などは」 すると始めから断られるとは思ってなかったのだろう老人はいけしゃあしゃあと「実は先程、君の屋敷に運び込んでおいたんじゃよ」とのたまった。 「……用件は以上で宜しいですかな?」 スネイプは眉間を引き攣らせながら暖炉へと向かう。 「あとはこの子自身だけじゃ。頼んだぞ、セブルス」 にこにこ顔のダンブルドアを苦々しげに見詰め、そしてスネイプは翠の炎に包まれて己の屋敷へと帰って行った。 「さあ、。君も行きなさい」 ダンブルドアが身を屈めて少女の頬にキスを落すと少女も彼の頬にキスを落す。 「うん、おじいちゃん、元気でね。早く帰って来てね」 「おお、勿論じゃとも。も元気での」 少女は名残惜しげにダンブルドアを見上げ、やがて壷からフルーパウダーを掴み出した。 少女は人魚の母と人間の父のハーフだと聞いた。 父親の名前を聞くと、どこか聞き覚えのある名前だと思ったのだが、単に己が在学中にその男も同学年で在学していた、ただそれだけだった。 男は卒業後、違う国の魔法使いだけの村で小さな飲食店を営んでいたらしい。 その村の外れにあった湖。そこで彼は一人の女の人魚と出会った。 そこからは語るまでも無い。 「……」 スネイプは読んでいた本から視線を上げ、向かいでソファに埋もれるように座りながら低年齢向けの本を読んでいる少女を見る。 陸に上がるまではこの少女も他の人魚たちと変わりは見受けられなかったと言う。 だが、それから何年か経て二人の関係を知った人魚たちは妻に会いに来た男に水魔を嗾け、男はそれによって死亡。 母親は健在だが、人間の血が混じった子供を育てられる環境ではない。 その為、男から時折手紙で相談を受けていたらしいダンブルドアが少女を引き取ったらしい。 その頃の少女の姿を見た事が無いので分からないが、こうして見ると何処から見ても普通の人間の少女だ。 食べる物も人間と変わり無く、特には魚介類と子供にしては珍しく野菜を好む。ただ、肉類は多少苦手のようだ。 「?」 すると本を読み終えた少女が顔を上げ、視線が合った。スネイプはふいと視線を本へと戻し、再び読み始める。 「セブルス」 少女の控え目な呼びかけにスネイプは再び視線を上げる。 「セブルス、外国って何?」 「この国の外の国の事だ」 「この国は外国じゃないの?」 首を傾げる少女にスネイプは違う、と否定する。 「外国という言葉は比喩だ。それぞれ国の名前はあるが、自分の産まれた、または住んでいる国ではない国の事をそう喩える」 「じゃあ、産まれたのは湖で、今住んでいるのはここの場合はどっちが外国なの?」 「お前の産まれた湖もイギリスにある。だからお前はイギリス生まれ育ちだ。それで言うのであればイギリス以外は外国となる」 「ふうん」 理解出来ているのかいないのか、は曖昧に頷き、「あ、そうだ」と何かを思い出した様な声を上げた。 「…あのね、ここね、お風呂ってある?」 その問いかけにスネイプの片眉がくいっと持ち上がる。 「有るが…それがどうかしたのか」 と言うより、バスルームの無い家などほんの一部だろう。 すると少女は「違うの」と首を振った。 「バスルームじゃなくて、お風呂。池みたいなの」 「……池ほど広くはないが」 場所を教えてやると、少女は足早にバスルームへと向かった。 「……」 だが、少女はすぐに戻って来た。何処か消沈したように。 「…何を期待しているのかは知らんが、極一般的な広さだぞ。入浴の場に金を掛ける趣味はないのでね」 「じゃあ、湖か、池か、川か…近くに無い?」 問われ、スネイプはこの屋敷の周辺の記憶を探る。夏の間にしか帰ってこない上に碌に外に出ない男は、「小さな池ならあるが、あれは薬草の栽培に使っている。入ろうなどとは思うなよ」 すると少女は更に意気消沈したようだった。 「夜だけおじいちゃんの家に帰っちゃ駄目?」 「…ダンブルドアが何の為に我輩に預けたと思っている」 「そうだよね、ごめんなさい…」 人魚の血が水を恋しがるのかはスネイプには計り知れなかったが、たったの数日の事なのだからと気に留める事はなかった。 その夜、スネイプは少女にバスルームを先に使わせ、自分は先程の本の続きを読んでいたのだが。 「……」 読み終えた本を閉じて時計を見上げると、長針がほぼ一周していた。 然程深くも広くも無いバスタブで、しかも水の一族の血を引く者が溺れる筈も無いだろうが遅すぎる。 スネイプはソファから腰を上げ、バスルームへと向かった。 脱衣所には少女の服と持参したパジャマが置かれたままだ。スネイプは閉じられた擦りガラスの前で立ち止まり、「」と声を掛ける。(「私、ミス・ダンブルドアじゃなくて、だもん。って呼ばなきゃ返事しないもん」) すると中で水の撥ねる音と少女の声が返って来た。 『あっ、ご、ごめんなさい、戻らなくてどうしようって…』 戻らない? 「…開けても大丈夫か?」 さすがに問答無用で開けるのは躊躇われたらしい声に、「どうぞ」とあっさり応えが返って来る。 「何が…」 バスタブの端に腰掛けてこちらを見上げている少女を見た途端、スネイプの言葉は途絶えた。 「湿気が多いからだと思うんだけど、この姿じゃ歩けないし…」 そう告げる彼女の下半身は人魚のそれと変わっており、青緑色の鱗が灯りを反射して煌いている。 その背にも二対の鱗と同じ色をした鰭が透けて光を通していた。 「…それが人魚としての姿か」 呟くように告げた言葉に、は「違うよ」と首を振った。 「上半身はある程度乾いたからもう殆ど戻ってるの。本当は手や耳や額も人とは少し違うの」 は「少し」を強調した。人として生きていかねばならない少女がその「人」の枠から外れるのを恐れているのが伺える。 「あ、戻れるかも」 スネイプが扉を開けて湿気が逃げた所為だろうか、は持っていたバスタオルで鱗を流れに沿ってそっと拭っていく。 すると徐々に青緑色の鱗が薄れていき、代わりに肌が浮き上がってくる。尾鰭も縮んでいき、二つに分かれて足へと変わっていく。 「はい、脚の出来上り〜」 「どうでも良いからもう少し慎みを持て」 疲れたような声を吐き捨て、スネイプはバスルームを出ていった。 バスルームに立ち入ったのは確かに自分からだが、そして目の前で起こっている現象に魅入ってしまったのも自分だが、仮にも男の目の前で堂々と人間の下半身に戻るな、と怒鳴りたい気持ちを押さえてリビングへと戻る。 「ダンブルドアは一体どんな躾をしているんだ…!」 苛立ち紛れにそう吐き捨て、どっかとソファに座り込んだ。 「あ、あの、おじいちゃんを叱らないで…」 すると、パジャマを纏った少女がおどおどと廊下からその姿を覗かせていた。 「おじいちゃん、私の為に小さいプールを造ってくれたの。それで私、そっちで済ませてたから…普通のバスルームがあんなに湿気が篭もるなんて思わなかったの、ごめんなさい…次からは水にするから…だから、おじいちゃんを怒らないで…」 控え目に告げる少女をスネイプは暫し見詰めていたが、やがて溜息を一つ落として視線を逸らした。 「水浴びで風邪を引いたりしないのかね」 少女は一瞬きょとんとしたが、次の瞬間にはぶんぶんと首を左右に振っていた。 「大丈夫。湖に住んでいた時は、もっと冷たかったから」 そうだった。彼女は半分とはいえ生まれて暫くは水の中で生活していたのだ。 風邪も何もあったもんじゃない。 バカな事を聞いた。 スネイプは「そうか」とだけ返し、読み終えた筈の本を手に取った。 (一先ずEND) +−+◇+−+ ひっさしぶりに書きましたね・・・。 ツーかなんで私はこう予告したジャンルとは違うジャンルを書いてしまうんですか。天邪鬼ですか。単に計画性皆無なだけですか。ええそうですね。 という事でそろそろネタが少なくなって来たのでパロといったらこれだろ、なお決まりネタをぽんぽん出していこうかと。という事で人魚ネタ。 取り敢えず、余り麗しい人魚じゃないのでそれは先に言って置こうかと。魚介類大好きですからこの子。例えるなら彼女はペンギンやアザラシとかと同じ立場です。海の中の動物。 手だって魚捕らえる為に異常に発達してて関節が五つくらいあったりとか目だってそれこそ魚眼だったりとかしても良いんじゃないの?とか思ってるので。 そう言えば、ウチのスネイプって結構友好的よね。預かっても自分は自室で研究に没頭とかしてそうなのにわざわざリビングに本持って来て読んでるよ。誰だお前は。 (2003/10/03/高槻桂) 関連タイトル:「75:外国」 |