香り




「スネイプ先生、元通り補助魔法が使えるようになったのでこの鈴、お返しします」
差し出したその鈴を、彼は受け取ろうとしなかった。
「持っていろ。また何かあった時、呼べば良い」
「でも…」
もし何かの不注意で鳴ってしまったら、もう一つの鈴も鳴るわけで。
彼に迷惑を掛けてしまう。
それでも彼は「構わない」と少女の手に鈴を握らせた。
「あっ、ありがとうございます…!」
彼の手は暖かく、少女ははにかんだ笑みを浮かべた。




「…どうしよう」
同室の子達が朝食の場へ向かってしまっても、は己のベッドに腰掛けて唸っていた。
は左半身と視力が不自由だ。普段は魔法で補助をして何とか過ごして来たのだが。
「完全に見えない…」
いつもならモノクロの世界が見える筈が、全く見えずに闇一色だ。
補助魔法が上手く作動しないのだ。
原因らしきはただ一つ思い当たるのだが、それにどう対処して良いのかが分からない。
「……どうしよう」
は本日何度目かのセリフを呟き、大きな溜息を吐いた。
左半身は、と思って意識を集中してみる。
…こちらは何とか大丈夫そうだ。
だが、こうしていても仕方ない。
はゆっくりと立ち上ると、記憶を頼りに手探りで歩き始めた。
幸い寮や談話室には誰も居ない。は思う存分壁をべたべた触りながらゆっくりと降りていく。
(ずっと魔法に頼ってたからなあ…)
は摺り足で移動しながら舌打ちする。
これでは周りに目が見えないと公言しているようなものだ。
(あと半年で卒業なのに…!)
は己の体の障害を知られるのを嫌っていた。障害を持っている事で哀れまれたりからかわれたりするのは真っ平だった。
落ちこぼれと言われようがスクイブと罵られようが隠し通す積もりだったと言うのに。
「!」
聞えて来た複数の足音にはびくりとして姿勢を正した。壁に当てていた手も離し、記憶だけを頼りに何事も無かったかように歩き出す。
「おや、じゃないか」
しかし、運の悪い事に足音の主はドラコ・マルフォイだった。(あとの二つは恐らくクラッブとゴイルだろう)
「まさかこれから朝食かい?こんな終わりがけの時間に悠々と歩いているとは、随分余裕だな」
「放っておいて…?!」
下腹に鈍い痛みが走った途端、がくりと膝が折れて座り込んでしまった。
?」
ドラコが訝しげな声を上げる。
左半身を補助していた魔法が解けてしまったのだ。
「何でも無いわよ。さっさと行きなさいよ」
座り込み、右手で体を支えながら言うが、ドラコたちが立ち去る気配はない。
「単に転んで挫いただけよ!さっさと行って!!」
ドラコはその言いように腹を立て、「勝手にしろ!」と怒鳴って立ち去っていった。
は足音が遠ざかっていくのを聞きながらゆっくりと立ち上ろうとする。
右側だけで立ち上るのは思いの外、力が要る。はぐっと体を持ち上げ、やっとの事で立ち上る事が出来た。
「わっ…!」
だが、立ち上った勢いで体が右側へと傾く。
倒れると悟った瞬間、誰かに受け止められてはその相手がいるだろう場所を向いた。
「あ、ありがとう…」
「全く危なっかしい…」
聞えて来た声は、立ち去った筈のドラコの声だった。
彼は途中で立ち止まり、見兼ねて戻って来たのだが立ち上る事に集中していたはそれに全く気付かなかったのだ。
「え?!マルフォイ?!」
はっとして口を閉ざすがもう遅い。
「お前、目が見えないのか?」
微かにの体が揺れ、ドラコはそれを肯定と取った。
「いつからだ。昨日までは何とも無かっただろう」
すると、は観念したらしく「始めからよ」とふて腐れたように告げた。
「始めから?一年の頃からか?!」
「どうでも良いわよそんな事。助けてくれてありがとう。後は一人で大丈夫よ」
はドラコの腕を振り払って壁に寄り掛った。
大丈夫だと告げた手前、何とかこの場を立ち去りたいのだが。
!」
一歩進んだ途端、再び廊下と仲良くなってしまった。
「全く何処が「大丈夫」だ!」
せめて足だけでも魔法を掛け直そうとしたのだが、それすら上手く掛かってくれなかったらしい。

ちりん…

へたり込んだ衝撃でポケットから転がり出たのだろう、鈴の跳ねる音が耳を擽った。
「マルフォイ、今、鈴が落ちなかった?!」
は慌てて廊下に手を這わせる。
貰ってからずっと使う事はなかったけれど、御守にと肌身離さず持っていた鈴。
「これか?」
「どこ?!」
手を差し出すと「ほら」と握らされ、その馴染んだ鈴の感触にはほっと息を吐いた。
(どうしよう…)
彼を呼ぶべきだろうか。
これを鳴らすと言う事は、彼の都合を無視して呼び付ける事だ。
けれど、このまま補助魔法が掛けられなければいつまで経ってもここで座り込んでいなければならない。
「……」
は意を決してその鈴を振った。
?」
響く鈴の音に、恐らくドラコは訝しげな表情でを見ているのだろう。
は振るのをやめ、ぎゅっとその鈴を握り締める。
ドラコが口を開く前に慌ただしい足音が聞えて来ては顔を上げた。
「スネイプ先生!」
ドラコの声には足音のする方向を向く。
「ミス・!」
ふわりと目の前に降りた薬草の香りを纏った気配には謝罪した。
「すみません、どうしても補助魔法がかからなくて…」
するとスネイプは軽々とを抱き上げた。
「気にしなくとも良い。何の為に呼び出し鈴を渡してあると思っているのだ」
「すみません…」
は謝りながらだらりと垂れ下がっている左手を右手で持ち上げて腹の上に持って行く。
「ミスター・マルフォイ、始めの授業は変身学だったな。マクゴナガル教授には欠席だと伝えておきたまえ」
そう言い残して医務室へ向かおうとしたスネイプをドラコは引きとめた。
「何だね」
は始めから目が見えなかったんですか?」
スネイプの沈黙に、は「構いません」と小さく呟いた。
「…そうだ。ミス・は全盲だ。普段は魔法で辛うじて補っていた」
そしてスネイプは踵を返し、立ち去った。
「視力と左半身を補助魔法で支えながら箒に跨る事がどれほどの恐怖か、お前には分かるまい」
スネイプの残した言葉に、ドラコはその整った顔をきゅっと歪めた。




「心当たりは?」
枕の変わりに大きなクッションを背凭れにし、ベッドの上で身を起こしているにスネイプは問い掛けた。
するとは赤くなりながら消え入りそうな声で小さく囁いた。
「あの…生理が、来たんです…」
するとスネイプは得心が行ったらしくああ、と声を上げた。
「身体の補助魔法は体調に大きく影響されるからな。だが、今まではそんな事はなかったと記憶しているが?」
三年の時に鈴を貰って以来、彼女がそれを使う事はなかったし、今まで以上に注意して見ていたスネイプも気になる事はなかった。
するとは更に顔を赤くして「初めて来たんです」と告げた。
「私、こんな体だから、多分来ないだろうってお医者様に言われてたんです。だから、治さない限り子供も産めないだろうって…」
「待て、その体は治るのか?」
「あ、はい…これは元々呪いが掛かってなってしまったものなので…」
スネイプの表情が険しさを増した。
「呪いだと?」
だがそれに気付く筈も無いは「ええ」と苦笑した。
「私が五才の時、母が浮気して…父は独占欲の強い人でしたから、それに気付いた時はそれはもう凄く怒ったんです。それで母に呪いを掛けて家に閉じ込めて置こうとしたらしいんですけど、咄嗟に母を庇った私にそれが当たったんです。幸い、父の魔法が不完全でこれだけで済みましたけど、呪いを解くにはまず専門医に調べてもらってから解呪薬を作ってもらうんです。それがもの凄く高くてとてもじゃないですけど手の届くようなものじゃなくて…」
解呪薬は通常の薬品とは異なり、呪文学と薬学、薬草学の全てにおいて優れた知識を持ったものでないと調合は不可能だと言われている。その為に専門医は本の一握りであり、その薬は患者に応じて一つ一つ精製され、保存できる期間も早いもので数時間、長くて数日という短い期間の為に大量生産は不可能とされており、その金額は脱狼薬数ヶ月分にも及ぶと言われている。
「……」
黙り込んでしまったスネイプに、はそっと声を掛けた。
「スネイプ先生、その…すみません、こんな事べらべらと…」
「いや…その呪いの呪文がなんだったか覚えてはいないかね」
突然の質問には視力の失われた目を丸くしたが、暫く考え込む仕種をした。
「ええと…フ、フリ…なんとかレス?だったような…」
「『フリダテイレス』、か?」
「そう!それです!!」
「それは五感を肉体から切り離す呪いだ。五感を切り離されたものは見えない、聞えない、味を感じないのは勿論、触っても触られても感触はなく、意識だけが暗闇の中に残される。大抵の者は遠からず正気を失って死に至るものだ。恐らくお前がそれだけで済んだのは父親が集中しきれてなかったか魔力が足りなかったのだろう」
はほーともへーとも付かぬ声を洩らしながらスネイプを見上げていた。(焦点は相変わらず合っていなかったが)
「じっとしていろ」
不意にスネイプの手がの頬に添えられた。
「先生?」
「出来るだけ目を大きく開け…そうだ」
スネイプはの瞳孔を注意深く覗き込む。目を凝らしてみないと分からないが、瞳孔の奥に小さな呪字が浮かんでいる。これが視力と左半身の自由を奪っている原因だ。
「もう良い」
から手を放すとスネイプはチェストの上に羊皮紙を広げ、そこにその呪字を移していく。移し終るとそれを丸め、ローブの中に仕舞い込んだ。
「取り敢えず補助魔法が使えるようになるまではここで過ごせば良い」
だが、はそれに同意しなかった。
「いいえ、授業に出ます。見えなくとも聞く事は出来ますから」
「だが…」
するとマダム・ポンフリーが戻って来た。彼女は事務室の奥から車椅子を引っ張り出して来たのだ。
「ちょっと古いものだけど、まだまだ使えると思うわ」
「ありがとうございます、マダム」
がベッドから下りようとしたのでスネイプは彼女を抱き上げ、車椅子に座らせた。
「すみません…」
「…良いのか?その姿で行けばお前が今まで隠して来た事が無駄になる」
すると彼女はスネイプを見上げ、「良いんです」と苦笑した。
「卒業まであと半年ですから……少し、悔しいですけどね」




その車椅子はマグルの物とは違い、の魔力を動力として勝手に動いてくれた。階段に差し掛かると自動的に浮き上がり、昇降する。
ただ、さすがに目的地まで自動的に行ってくれる機能はなく、目が見えない上に左腕の使えないは必然的に誰かに押してもらわないとならなかった。
結局は変身術も途中から出ると言い張り、スネイプが押して行く事になった。
道中は口を開く度に「お手数をお掛けしてすみません」とスネイプに謝罪するか、「畜生、あと半年だったのに」と凡そ女の子が使うには相応しくない悪態を吐いていた。(さすがにそれはスネイプに窘められたが)
スネイプに押されて教室に辿り着くと、は好奇の視線をこれでもかと言うほど感じた。
「ミス・!大丈夫なのですか?」
足音でマクゴナガル教授が近付いてくるのを察したは眼を閉じたまま顔を上げ、「大丈夫です」と笑った。
「杖腕は動きますから」
そしてそのまま仰け反るように見上げ、「スネイプ先生もありがとうございました」と礼を述べる。
「授業が終わったらポンフリーが迎えに来る。それまで大人しくしていろ」
無理はするな、と言い残して彼は教室を出ていった。マクゴナガルがを机まで誘導し、は車椅子に取り付けられている籠からインク壷と羽根ペン、テキストこそ広げなかったがその代わりに羊皮紙を広げた。
マクゴナガルが授業を再開すると、は彼女の言葉をひたすら羊皮紙に綴っていった。
恐らく斜めになっていたり崩れていたりするのだろうけれど、彼女は構わず書き続けていく。
おおよそ下の方まで書いてしまうと次の羊皮紙に移り、再び書き始める。
授業が終わるまでそれは続き、終わるなり彼女は右手で羊皮紙を転がすように丸め、誰かに見られる前に籠に突っ込んだ。
「ねえねえ!」
案の定、クラスメイト達が集まってくる。だが、マクゴナガルが生徒を追い払ってくれたお陰で質問攻めにあう事は避けられた。
「ミス・
やがてポンフリーがやって来て次の授業を聞かれる。
「呪文学です」
そして移動を開始しようとしたその時、少年の声がそれを遮った。
ドラコ・マルフォイだった。
「マダム、僕が連れていきます」
でも、と二の足を踏むポンフリーにも大丈夫だから、と声を掛け、ポンフリーはドラコに車椅子の説明をして戻って行った。
「どういう風の吹き回し?」
ドラコに押されながらが問い掛けると、ドラコは「別に」とぶっきらぼうに答える。
「落ちこぼれだの恥さらしだの散々言ってたじゃない」
「そんな四年も昔の事を持ち出すな」
「言われた方にしてみれば、昔の事、なんて思えないわよ」
するとドラコは黙り込み、呪文学教室への最後の曲がり角を曲がった頃、漸く口を開いた。
「…すまなかった」
思いも寄らぬ謝罪には驚いて後ろを振り返る。(見える筈も無いのだが)
「本当、どうしたの?」
さすがにむっとしような気配がして、は慌てて「ごめん」と付け足した。
「……僕にはお前がどれだけ辛いのかは分からない。だから、お前が上手く動けない事を僕がからかう権利は無いと思っただけだ」
「そんなの当然よ」
即座に返された言葉にドラコは再び黙り込んだが、は「でも…」と言葉を続けた。
「その当たり前の事を気付いてくれる人は、本当に少ないのよ…」
だから、気付いてくれてありがとう。
ドラコは何も言わなかったけれど、は彼が微かに微笑んだのを感じた。




それからというもの、ドラコは常にの傍にいた。羊皮紙に授業内容を纏めるのを手伝ったり、飛行訓練以外の実技もあれこれとサポートしていた。
スネイプもそれを黙認しているようで、魔法薬学で材料を刻んだりする作業はドラコが全て行なっていた。
食事もわざわざ彼が取り分けてやり、細かに何処に何があるかを説明する。
だが、そうなると当然それを気に食わない者がいるわけで。
それはドラコが自室にテキストを取りに行っている時に起こった。
談話室でドラコをじっと待っていると、誰かが近付いてくる気配には眼を閉じたままの顔を上げた。
「わっ?!」
突然突き飛ばされ、は車椅子から落された。
「あら、ごめんなさい?」
全く悪びれない女の声が振ってくる。
「誰かと思ったら、一人じゃ何も出来ない役立たず姫じゃないの」
この声はパンジー・パーキンソンだ。その後ろからは幾つものくすくすと笑う気配がする。
「何か用かしら」
「ドラコが優しいからって調子に乗ってるんじゃなくて?」
「そんなつもりは無いけれど?」
は右腕を伸ばして車椅子に手を掛ける。それの何が可笑しいのか笑い声は更に増えた。
「目も見えない、体も半分しか動かない。あんたみたいな役立たず、さっさと施設にでも行けば良いのよ」
それに対しては何も言わなかった。相手にするだけ馬鹿馬鹿しい。
車椅子の肘掛けに手を掛け、ゆっくりと右足で立ち上る。けれど車椅子に座ろうとはせずパーキンソンたちの居る辺りに視線を向けた。
「誰だか知らないけど、車椅子から手を放してくれないかしら?」
ぎくりとした気配がすぐ近くから微かに伝わって来た。もしが何も知らず座ろうとしたら引こうとしていたのだろう。典型的な方法だが、目の見えない相手には十分驚異となる。
「貴方たち、いい加減にしておかないとドラコが戻ってくるわよ?」
幻滅されたくないでしょう?と淡々と続けると、彼女らは悔しそうに立ち去っていった。
「全く…バカじゃないの?」
は小さく呟いてゆっくりと車椅子に腰掛け、その身を預ける。
すると足音が聞えて来てはそちらへと顔を上げた。
「早かったわね」
「よく僕だと分かったな」
やって来たのは案の定ドラコだった。は微かに驚きの混じったドラコの声に小さく笑った。
「足音よ。ドラコの足音は、とても綺麗な音がするの」
すると彼は「そうか」とだけ返して来た。その声音に嬉しさが滲んでいるのに気付いたは小さく笑った。
「ああ…ずっと眼を閉じているとうっかり寝てしまいそうだわ」
背凭れに身を預けて溜息を吐くと、「開けていれば良いだろう」と応えが返って来る。
「見えないのに開けていると怪我するかもしれないから」
ああ、とドラコの得心した応えが返って来た。
目が見えていれば何かが顔に向かって飛んできても咄嗟に条件反射で眼を閉じる。だが、今のは光りすら感じる事は出来ないのだ。迂闊に目を開けていれば下手をすると眼球を傷付けかねない。
「大体あと五日くらいかしらね…早く補助魔法が使えるように戻りたいわ…」
魔法史の教室へ連れていってもらう道中そう呟くと、そういえば、とドラコが声を上げた。
「どうして突然使えなくなったんだ?」
「………」
そうだった、ドラコは生理でバランスが崩れて補助魔法がうまく掛からなくなった事を知らないのだ。
ただ補助魔法が使えなくなった、その事実しか知らない。
「…女の子には色々とあるのよ」
取り敢えず、誤魔化す事にした。





車椅子生活も五日目を向かえた放課後。
「何が不便って、お風呂とトイレよね」
嫌んなっちゃうわ、とは紅茶を啜りながら文句を垂れた。
は現在スネイプの研究室に居た。
せめて放課後や夜くらいはドラコを解放してやりたかったは放課後から夕食の時間まで、そして夕食後から消灯時間まではスネイプの部屋に入り浸っていた。
結果、授業が終わると同時にドラコがをスネイプの部屋に送り届け、夕食の時間にはスネイプが連れていき、食事自体はいつも通りドラコが面倒をみて、食事が終わればスネイプがまた私室なり研究室なりに連れていく。そして消灯時間の少し前にスネイプが送り届けると言う流れが何時の間にやら出来ていた。
「同室の一人はそれなりに仲が良いからお風呂や着替えは手伝ってもらえるのよ。でも幾らなんでもトイレばかりは手伝ってなんて言えないじゃない。毎回毎回便秘でもないのに三十分近くトイレに篭もらなきゃならないのが腹立つわ。下着の上げ下げよりローブやらスカートやらが邪魔で邪魔で」
生理なんてクソ食らえよ。
そこまで言った所でとうとうスネイプのストップがかかる。
「ストレスが溜まるのも分からんでも無いが、もう少し控えた物言いをしたらどうだね」
「愚痴を言うのに表現を控えてたら愚痴になりません」
するとスネイプは再び黙り込んで作業に戻ってしまう。
ここ数日、スネイプはずっとこの調子だ。魔法省から依頼でも来たのか、授業でお馴染みの材料から一般人には手も出ないような希少価値のある材料まで様々なものを混ぜ合わせて何やら作っている。
よし、と彼が小さく呟くのを耳にしたはカップをテーブルに戻してスネイプの方を向いた。
「何を作っていたんですか?」
スネイプはの前までやってくると「手を出せ」と言われる。
が素直に差し出すと、その手にゴブレットらしきものが握らされた。ゴブレットの中身はまだ暖かく、の手に温もりが伝わってくる。
「…もしかして、今作ってたのを私に飲め、と?」
「そうだ」
「何の薬なんですか?」
「飲めば分かる」
どうやら飲むまで教えるつもりはないらしい。
スネイプの調合の腕を疑っているわけではない。寧ろ信頼しきっている。だが、問題は彼にあるのではなく、味だ。
スネイプに支えてもらいながらそれを口元へ持っていく。
「……」
正直言って遠慮したい匂いだ。
だが、は意を決してそれを一気に飲み干した。
「〜〜っぷはっ先生、紅茶!」
呼吸の度に何とも言い難い味と匂いが駆け巡る。は受け取った紅茶を一気に飲み干し、漸くほっと息を吐いた。
「不味かった…これ以上に無く不味かった…こう、どろっとしているというか、もったりした感じが…うぅ…」
すると、体に異変を感じたはぴたりと動きを止めた。
「…スネイプ先生、何か、体が痺れるんですけど…ていうか、何かもぞもぞする…」
体の中で何かが這い回っているような感覚には身震いする。
「痛っ!!」
左腕や左足、そして目の奥で何かが砕けるような痛みが走り、はソファの上で蹲った。
「いったたた…先生、この薬な、に……」
ソファから身を起こしたは己の身に起こった事が瞬時に信じる事が出来ず、ぽかんとスネイプを見上げていた。
真っ暗だった視界が、補助魔法を使ってもモノクロだった視界が、鮮やかな光を受け入れている。
とてつもなくぼやけてはいたものの、の目は、完全に色を取り戻していた。
「え?!」
咄嗟に両頬に手を当て、更に驚く。
「ええ?!」
補助魔法も使っていないのに左半身が動くのだ。
「何で何で?!」
信じられずには両脚をばたばたとさせる。やはり思い通りに動いてくれる。
更に両腕を屈伸運動させ、今まで出来なかった指の細かい動きも思い通りに動く。
「まさか先生、さっきのって…!」
「お前の解呪薬だ」
ここ数日、スネイプがひたすら作っていたのは自分の為の薬だったのだと気付いたは慌てふためいた。
「だだだだって解呪薬って凄くお金が掛かるのに…!」
「実際作ってみて分かったが、半分近くは手間賃だな。あと、途中で変質する確率が高い為に作り直しを要求される。その分の材料費が含まれていたのだろう」
「でも、それでも結構な額になりますよね!」
が指差したのは、鍋の傍らに置かれた余った材料の数々。
鰻の目玉などの一般的なものと一緒に一角獣の角やらドラゴンの胆やらといった高級素材がごろごろと。
「我輩が好きでやった事だ。我輩自身よい経験になった」
でも、と繰り返すに、スネイプは「では」と遮った。
「謝礼代りに一つ、考慮してもらいたい事がある」
「はい!なんでも言って下さい!!」


「卒業したら、我輩の元へ来るつもりは無いか」


「……は?」
きょとんとしてぼやけた視界でスネイプを見上げていると、「つまり」と彼は言葉を続けた。
「我輩と暮らして欲しい」
余程のマヌケ面で見上げていたのだろう。彼は「口くらい閉じたらどうだね」と僅かに顔を顰めた。
それで漸く我に返ったは次の瞬間、愉快なほど真っ赤になった。
「そそそそれって、あの、その…」
「卒業までに答えを聞かせて欲しい」
答え。答えと言いますとあれですか。イエスかノーか、って事ですか。
ええ、一緒に暮らします、またはいいえ、ごめんなさいって事ですか。
は混乱した頭でグルグルとそんな事を考えていた。
「答えを出してくれるだけで良い。薬の謝礼としてイエスと返されても嬉しくはないからな」
スネイプの言葉が思考の空回りを更に速めていく。

「はひ?!」
「目はどうだ」
「は?あ、ああ、目!目ですね!見えます!あ、でもなんか凄くぼやけてて…」
すると彼はを上向かせ、テーブルの上に置かれていたスポイトを手に「眼を閉じるな」と告げた。
ぽたりぽたりと両目に何やら透明の液体が落される。
溢れて流れ落ちた液体を拭われ、はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「……見える…!」
すーっと曇りが取れるかのように視界がクリアになった。ぼんやりとしていた景色がはっきりと見える。
様々な色が輪郭をもっての視界に飛び込んでくる。呪いを受けた時に失ってしまったと思った色たちが、再びの元へと戻って来たのだ。
「恐らく補助魔法で目を酷使した為に本来の視力も格段に低下してしまったのだろう。この薬は効果は半日ほどしか持たないが点眼するだけで視力が上がる。これではっきり見える筈だ」
「はい!見えます!!」
今にも飛び出して行きたそうなの右手を取り、点眼液の入った薬瓶を握らせたスネイプはその甲にそっと口付けた。
「スネイプ先生?!」
「先程の件、考えておいてくれ」
が何か返す前に彼に「行って来い」と言われ、はもう一度礼を告げて彼の研究室を飛び出していった。
「私、ちゃんと考えます。だから、待っていて下さい!」




時間はそろそろ夕食の時間だ。は真っ直ぐに大広間へと向かい、目的の人物を探した。
「ドラコ!!」
その姿を見つけるなりは駆け出していた。
?!」
ドラコが驚きに眼を見張って席を立つ。はそのままドラコに飛び付いて嬉々とした声で彼の名を呼んだ。
「ドラコ、見て!補助魔法無しで歩けるの!見えるの!スネイプ先生が薬を作って下さったの!!」
踊りださんばかりにはしゃぐをドラコは暫し呆けたように見ていたが、漸くそれが真実だと悟った彼はその表情を明るくして抱き返して来た。
「良かったじゃないか!」
「そうなのよ!!ドラコ、本当にありがとう!今の私はスネイプ先生と貴方のお陰だわ!!」
その日の食事は「グリンピースが緑だわ!」とか「トマトが赤いのよ!」とは大はしゃぎだった。




その翌日からの授業は彼女を落ち零れだと思っていた生徒達にとっては唖然とするしかなかった。
「スネイプ先生、調合終わりました」
魔法薬学では誰より早く正確に調合を終え、
「ああっ!ごめんなさい、補助魔法無しで使うのなんて久し振りで…!」
呪文学では小さな火の玉を作る筈がうっかり一抱えもある巨大なものを作り出し、
「気っ持ち良〜い!いっけええ!!」
飛行訓練を兼ねたクィディッチの試合では狂ったようにブラッジャーを撃ちまくった。(しかもコントロール抜群)
「目が見えるって素晴らしいわ!体が自由に動くって最高ね!」
彼女は数日の間ハイテンションを維持し続けていた。
が。


「ドラコ、折り入って相談があるの」
ある日の夜、談話室へ戻ってくるなりはドラコに切り出した。
(車椅子の一件以来、二人はその延長の様に行動を共にする事が多くなった)
「何だ」
するとは辺りをきょろきょろと見廻し、近くに人が居ない事を確認してこそっとドラコに告げた。
「実は、わたくしある方にプロポーズされましたのです」
「はあ?!」
ドラコに似合わない素っ頓狂な声が上がる。
「しーっ!声が大きいってば!」
「何の勘違いだ」
真顔で言うドラコには「失礼ね」唇を尖らせた。
「ちゃんと言われたわよ、『卒業したら我輩と暮らして欲しい』って」
「『我輩』?」

沈黙。

「……え、っとぉ…」
が引き攣った笑みを浮かべる。
自分の事を我輩と言う人間は、自分達が知る限り、一人しか居ない。
「……まさかとは思うが、その相手と言うのは…」
「え?何の事かしら?」

「うう…」
は頭を抱えて唸っていたが、やがて小さな、本当に小さな声で「スネイプ先生です」と告白した。
「………」
「………」
暫くの間、二人は何も言わなかった。
もしかして思考が止まっているのでは、と思わせるくらい二人の間には沈黙が漂っていた。
「……それで」
長い沈黙の後、口を開いたのはドラコだった。
「どういった経緯でそうなったんだ?」
は覚えて居る限りのこれまでの経緯を語り始めた。
切っ掛けは三年の頃で、補助魔法が途切れてしまったのを見抜かれた事。(「ああ、そんな事もあったな…」)
そして呼び鈴を貰い(結局先日まで使う事はなかったけれど)、それを切っ掛けに度々彼の部屋でお茶を御馳走になっていた事。
で、今回の出来事だ。
「…と言う訳でね、お礼代りにその事に付いて考えてみてはくれないかって」
「で、お前はどうなんだ」
「それが分かれば苦労しないわよ。そりゃあ先生の事は大好きよ。でもそれが憧れか恋愛感情かと聞かれたらよく分からないのよ」
溜息を吐いて項垂れるに、ドラコはひょいと肩を竦めた。
「卒業まで後半年近くあるんだ。ゆっくり考えれば良い」
「そうね、あと半年あるんだものね…」
そして彼女は再び大きな溜息を吐いた。




とか何とか言っている内に月日はあっという間に過ぎていき。
卒業を三日後に控えた夜、はスネイプの私室の扉の前に立っていた。
「……」
意を決して扉をノックする。
「スネイプ先生、スリザリン七年、です」
半年振りに訪れた彼の私室は、相変わらず大量の本が山積みにされている。
「…半年前に先生が言ってくれた事、今でも有効ですか…?」
彼は相変わらずの仏頂面で「ああ」と告げる。
「私、考えたんです。ずっと考えて来たんです。先生の事は大好きです。でも、それがただの敬愛なのか恋愛感情なのか…やっぱり、わかりません。
でも、スネイプ先生の事が好きなのは確かです。だから、もし先生がそれでも良いって言って下さるのなら…私、先生と一緒に居たいです。
…私には、ここまでの答えしか見つける事が出来ませんでした…ごめんなさい」
結局こんな答えしか導き出せなかった自分に彼は失望するだろうか。
は俯いてぎゅっと拳を握り締める。
「…人の感情は複雑で、一つの言葉で表すのは難しい」
「え?」
てっきり追い返されるんだと思っていたは、彼が近寄ってくる気配に顔を上げた。
「その判別付かぬ二つの感情…双方とも真実の想いと取る事は出来ぬだろうか」
スネイプの言葉には彼をまじまじと見上げる。
敬愛と、恋愛感情。そのどちらもスネイプに対して抱いているのではないだろうか。
「ああ、そっか…」
は苦笑してスネイプに抱き着いた。
左右の腕を彼の背に廻し、ぴったりと密着する。
「目が見えなかった頃、私、いつだってスネイプ先生はすぐ分かったんですよ」
それは、薬草の香りがするからだと思っていた。
けれど、それだけではなかったのだ。
「スネイプ先生が大好きって言う私の想いが、反応したんですね」
スネイプの腕が、緩やかにの体を拘束した。











(終わる)
+−+◇+−+
途中からクラッブとゴイルの存在を無視してました。まあいいや、と。
生理用品はどうしたのだろうとか色々と細かい所まで考えていたのですが、そんな事まで書かんでええわ、とセルフツッコミ。
そしてヒロインの性格変わってる?と言われそうですが、ヒロインは元々こんな感じの子です。「落ちこぼれ」の時は大人しくしてただけで。
ていうか長い!!無駄に長くなりました!予定の五倍くらいの長さになりました。そしてドラコが異常に出張りました。書き始めた当時は彼の出番は最初にヒロインに嫌味を言って終わりでした。なのに気付いたら親友になってました。
ドラコはきっと結構前からヒロインの頃が好きだったんだろうなあ〜と思ってます。(他人事の様に)でもお家関係上、ヒロインみたいな身体障害者は娶れないから諦めていた、みたいな。
関連タイトル:「落ちこぼれ」
(2003/08/01/高槻桂)

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