事故




僕はまだ、命を懸ける愛し方しか知りません。
それを幼いと、あなたは笑いますか?


夕食後、このホグワーツで一番人が出入りしないだろう部屋の前に立と、緊張を落ち着かせるように一度深呼吸をする。
「よし、大丈夫」
気合を入れて、軽くノックし名を告げる。
「ハリー・ポッターです、スネイプ先生」
一番人が出入りしないだろう部屋、スネイプの私室に入るために。


「失礼します」
親しい友人にも伏せている、秘密の逢瀬は今に始まったことではなく、このドアの前にももう何度も立ったことがある。
だからこそ、返事がなくとも部屋にはいって良いことも了解済みだ。
重い音を立てて開くドアを潜れば、そこは見慣れた部屋。
目当ての人物、セブルス・スネイプは中央の机で杖を取り出し立っていた。
一振りすれば、香りの良い紅茶と、甘いお菓子が現れる。
彼が自分の為だけに用意するお茶会。
それを見たとたん安堵し、笑みが漏れる。
「ありがとうございます」
礼を言いながら、ゆっくりとスネイプの待つテーブルへと歩き出す。

一歩。
二歩。
三歩。
四歩。
五歩。

「…足」
「え?」

声を掛けられ動きが止まる。
眉間に皺を寄せながら、スネイプが見るのは僕の右足。
「怪我でもしたかね、歩き方がおかしい様だが?」
「…僕、まだこの部屋に入って五歩程度しか歩いていないのですが」
言い終わってから、素直に否定をすれば良かった後悔した。
思ったとおり、彼の疑問を確信へと向けてしまったようだ。
「座りたまえ」
スネイプの視線が僕の真横にある長椅子に座れと支持している。
「大丈夫ですよ」
駄目だろうと思いつつも言ってみる。
予想通り、返ってきたのは無言で椅子を指差す仕草だけだった。
「はぁい…」
気のない返事をしながら、言われたとおりに腰掛ける。
スネイプの視線は、もはや右足にしか注がれていなかった。
彼は近づきしゃがむと、何も言わずにその足首を掴む。
「イタッ!」
少し力を入れ抑えられると、鈍い痛みが伝わって口から悲鳴が漏れだした。
「これでもまだ大丈夫と言うのかね、ポッター」
「…すみませんでした」
まったく、とため息をつきながら、スネイプは靴紐を解き始めた。

この足の怪我こそが、知られたくないと思い緊張していた理由だった。



「つまり、地下牢教室に行く階段で足を踏み外しこうなったと、そういうことかね」
「その通りです。だってあそこ、とっても狭いんですよ。踏み外してもおかしくないと思いませんか?」
「注意がたらんのだ、ポッター…捻挫だろうな」
剥き出しになった足を見ながらスネイプはそう告げた。
「何故すぐに医務室に行かなかった」
「初めはそんなに痛くなかったんです。今は、ちょっと、痛いかも知れませんけど…」
「平気だと、思ったと」
「はい」
「どうしてそうも自分に無頓着なのだ?」
咎めるように、けれど静かに彼が尋ねてくる。
どうしてもっと自分を慈しまない、きっと彼はそう言いたいのだろう。
「そう、見えますか?」
黒い瞳をじっと見返しながら、逆に問い返す。
「自分では、良く分かりません」
「そうとしか見えぬ」
即答し、スネイプにその手の中にある赤く腫れあがった足を優しく撫でられる。
優しく、優しく、慈しむかのように。

「我輩はお前の足枷にはなれるのか」
「足枷?なんの為に?」
何故とまた問い返せば、その手の動きを止めぬまま彼は答えた。
「飛んでいく者を手元に置いておきたいと願うのならば、繋ぎ止めて置かねばなるまい」
どこにも行かぬようにと言い、躊躇いもなく彼はその足首に唇を落とす。
「!」
恥ずかしさが、熱と共に全身を駆け巡る。
「ぼ、僕がどこへ行くというのです。マグルの家に帰りたくないのはご存知でしょう。このホグワーツ以外、今の僕が行くところなどありませんよ」
顔を伏せ一気に言い切る。
しかしあっさりと否定されてしまった。
変らぬ口調で意外な言葉を返される。

「あの世が、あるであろう」

その言葉に今度は体の熱が引いていくのを感じた。
両親が行ってしまった場所のことを言っているのだろう。
人が最後に行きつく場所。
「あの世って…こんな怪我くらいで大げさですよ」
「確かに今回は『この程度の怪我』だろう。しかしつい最近の事件を、忘れた訳ではあるまい」
「それは…」
「我輩の窺い知る限りでは、もっとも死に近い状況だった思うのだが、どうかね?」
「…」
返す言葉が見つからない。
実際そうだったことは、当事者である自分が良く知っている。
僕はただ、ごめんなさいとだけ言っていた。


「我輩の存在は、お前をこの世に留めておく理由にならぬのか」

彼がつぶやいたその言葉が、とても寂しそうに聞こえた。
僕も、悲しかった。
返す言葉がみつからなかったから。
しかし悲しさと同時に、僕は嬉しさも感じていた。
愛しい人に、生きてくれと言われる嬉しさを。
そして期待した。
彼の中で、僕はそれほどまでに大きくなっているのだろうかと。

気まずい沈黙を破るように、思い切って口を開く。


「僕は、あなたの足枷になっているのですか?」


生まれた疑問を、僕は恐る恐る尋ねてみる。
彼は優しい口調で答えてくれた。
「…我輩は当の昔に、お前に羽を切られている」
「羽を、切る?それって…」
どう言う事かと尋ねようとするのを遮るかのように、スネイプは立ち上がり僕の耳元でそっと囁いた。

「どこにも飛べない、全てお前のもの、お前の望みのままと言うことだ、ハリー」

顔が赤くなっていくのが自分でも解るほどに、また体が暑くなっていく。
こんなあらかさまな言葉に耐えれる程、僕は強くはなかった。
「!…恥ずかしい台詞をそう簡単に言わないでください」
「事実だ、仕方あるまい」
やはりさらりと言われ困惑する。
けれど、いつの間にかあの気まずさがなくなっているのに気づきほっとした。
それ故に、言い返す余裕もでてきていた。
「けど、『愛してる』とかは言ってくれませんよね」
「…さっさと医務室に行ってきたまえ」
いつもそうなのだが、この話はどうしても苦手なようで、はぐらかすように彼はドアを指差した。
「けど、時間も時間ですし。先生が付き添ってくださるのならいけないこともないのですが、理由を尋ねられて困るのは先生も同じでしょう」
ね?と小首を傾げれば、スネイプはしぶしぶ「わかった」とだけ答えた。
そしてローブから杖を取り出すと一振りする。
「アクシオ」
呼び寄せ呪文を使い、彼が呼び寄せたのは薬の瓶。
「痛み止めだ。飲んでいくといい」
これが彼の妥協案なのだろう。
素直に礼を言い瓶を受け取り薬を飲む。
「まずっ…」
いかにも効きそうな苦い味に顔をしかめていると、スネイプは中央のテーブルへと行きもう一度杖を振った。
冷め切った紅茶が温かいものに入れ替わる。
口直しにと言うことなのだろう。
靴を履きテーブルに行くと、すぐさまカップを手に取り中身を飲み干す。
薬の臭いが紅茶の香りに流されるのと同時に、胸のつかえも流されたような感じがした。

「会いたかったんです、早く」
そして僕は、カップを置きながら、医務室に行かなかったもう一つの理由を話し始めていた。
「医務室に行っていたら、時間、なくなってしまうじゃないですか」
−それほどまでに、あなたを愛しているのは事実です−
これは口には出さなかったけれど、彼なら分かってくれるだろうと心のどこかで思っていた。
子供染みた、けれども僕とってはとても重要な理由。
スネイプはそれをただ黙って聞いてくれていた。
そんな彼の瞳を、じっと見つめる。
そう、見つめていた筈だったのだが、僕はいつの間に彼の唇を見ているのに気づく。
欲情とは、こんなものなのだろうか。

「先生、僕、もう一つ口直し欲しいんですが」
「何かね」

気づけば、強請ろうとしていた。
やめようと思えばやめれたけれど、思い切って口にしてみた。
かなりの小声ではあったけれど。

「キス、していただけませんか?」

「…お前も十分恥ずかしいことを口にしていると思うのだが」
恥ずかしがっているのだろうか。彼が僕から視線をはずしたのは確かだ。
「先生の言い方を借りれば、これも『事実』ですから口にしたまでです。それに僕は、先生みたいに平然と言っていない分、ましだと思いますよ」
椅子に座っているスネイプに近づくと、僕の言葉に文句を言いながらも腕を引いてくれた。
口直しは頂けるようだ。
彼の手が僕の腰に回り、僕の手が彼の肩に置かれ、そっと顔を近づけていく。
「努力を、してみようか」
触れ合うかいなかのところで、スネイプが囁いた。
「何を?」
そのままの姿勢で聞き返すと彼は短く答える。
「足枷になることだ」
そう、と答える代わりに、キスを一つ。
唇を離すと、そのまま腕を首に回し抱きしめる。
彼も何も言わずに、優しく背を撫でてくれた。
それだけで十分だ。

僕はまだ、命を懸ける愛し方しか知りません。
だからいつか、貴方の愛に染まりたいと願うのです。
貴方の為だけに。





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