、ゴドリックの谷まで行ってくる」
ヴォルデモートはの部屋を訪れるなりそう告げた。
「ゴドリックの谷、ですか?何かあるんですか?」
小首を傾げるに、彼は「勿論だ」と唇の端を歪めた。
「そうだな、お前に土産を持って来てやろう」
「?はあ」
ゴドリックの谷に観光地でも出来たのかしら、と的外れな事を考えていると、ヴォルデモートは「楽しみにしていろ」と笑って『姿くらまし』した。


それが、「彼」を見た最後だった。


「?!」
自室で本を読んでいたは、驚いたように顔を上げた。
隣りでは今まですやすやと寝息を立てていたジェムが、まるで火が点いたように泣き出している。
「まさか…」
本をベッドの上に放り投げ、慌ててジェムを抱えながら廊下に出る。
「ヴォルデモート様は?!」
通り掛かった男を捕まえると、彼も慌てたように「わからない」と首を振った。
「と、突然「印」が痛んで、見たら、印が…」
そう言って彼は左腕の袖を捲った。
ヴォルデモート側に付いた者なら、を除いて全員がその腕に刻まれている闇の印。
それが、軽度の痣にしか見えないくらい薄くなっている。
「っ」
は玄関ホールへと駆け出した。
ジェムの鳴き声が辺りに響く。は走りながら眠らせる歌を口ずさむ。
気持ちが殆ど篭もっていない為に効き目は弱い。だが、それでも愚図る程度までには収まった。
は同じ様に動揺が走っている彼らの間を抜け、玄関扉を開け放つ。
!」
セブルスの声が聞えたが、それに振り向きもせずは一歩外へと踏み出した。

「……結界が、解かれてる…」

ヴォルデモートがを連れて来てから、この館には結界が張られていた。
彼女を逃がさない為の、見えない檻が。
だが、今彼女は玄関から出ている。
ヴォルデモートが居る限り解ける事の無い結界が。
、結界が…」
駆け寄って来たセブルスを振り返り、は「みんなをここに集めて」と告げた。
?」
「いいから早く!」
「わ、わかった」
の剣幕に押されたセブルスが頷いて駆け出した。はホールへと戻って扉を閉め、辺りを見回す。
「ルシウス!」
その中に目的の人物を見つけ、は駆け寄った。
「ルシウス、どう思う?」
彼は信じられない、といった表情で首を振った。
「印に力が全く感じられない。我らが主は、凋落成された…!」
「やっぱりそうなのね」
すると、セブルスが駆け寄って来た。
「集めたぞ。どうするつもりだ」
がルシウスから視線を外してみまわすと、そこには何人ものヴォルデモートの支持者が居た。
どの顔にも当惑、驚愕、焦り…全てが入り交じったような色が浮かんでいる。
「セブルス、ジェムをお願い」
愚図っているジェムをセブルスに渡し、は彼らの前に進み出た。
「静かに!」
の一声でざわめいていたホールが徐々に静まっていく。
「ヴォルデモート様が何者かの手により凋落なさいました。そう遅くない内に魔法省が私たちの元へやってくるでしょう」
の言葉に所々から悲鳴が上がる。
彼らは、ヴォルデモートが失脚する日が来るなどとは思いも寄らなかった。だから、彼に付いていく事が出来た。それが無くなった今、彼らに待ち受けるのはアズカバンへの道だ。
「殉ずるも、逃げるも、魔法省に無罪を主張するのも貴方たちに自由よ。けれど、それは今決めて。逃げるのなら今すぐ逃げなさい!」
そう言い放ってはセブルスへと向き直る。
「セブルス、あなたはジェムをお願い。私には行かなくてはならない所があるの。必ず帰って来るから先に逃げて」
何処へ、とは言わなかったが、セブルスはその意味を知っている。
「だが、お前を残して行く訳には」
「セブルス」
の強い眼差しにセブルスは苦々しい表情をした。
彼女がこの眼をした時は、何を言っても退かないと知っている。
「ルシウスも。あなたにはナルシッサとドラコが居る。何がなんでも無実を勝ち取りなさい」
ルシウスが「当然だ」と肯くのを見届け、はそのまま『姿くらまし』した。



次の瞬間、はゴドリックの谷に『姿現わし』していた。
人里から僅かに離れたこの辺りに人影はない。
デス・イーターが一人も居ないという事は、ヴォルデモートは彼らにこの場所を知らせず現れた可能性が高い。
ここに、一体何があったのだろう。
は最後に見たヴォルデモートの、やけに嬉々とした表情を思い出しながら森の中を駆けて行く。
「!」
やがて、森を抜けると同時に崩れ去った家を見つけた。
僅かに残る闇の気配に、はここだ、と確信する。

「誰だ!」

突然響いた男の声に、はびくりとしてそちらを見た。
月の光しかない中、大柄で毛むくじゃらな男と、大男ほどではないが背の高い男がを見ていた。

「…まさか、、か…?」

すらりと背の高い男が驚きの声を上げる。
その懐かしい声に、は眼を見張った。

「…シリウス?」

では、大男はハグリットなのだろうか。
吸い寄せられるように近付いていくと、やがてその顔がはっきりと見えてくる。
忘れるはずも無い。
ハグリットと、シリウスだ。
「お前、どうして…」
三年ほど前、突如として行方を暗ましたとの再会に、二人も途惑っているようだ。
それもそうであろう、こんな所で出会う事など普通なら有り得ない。
「シリウス、ハグリット、何が…その子は?」
不意にはハグリットが抱えている赤子に目が行った。
ジェムと同じくらいだろうか、ハグリットの腕の中で眠りに落ちている。
「お前さんは知らんかったな。この子はハリー。ジェームズとリリーの息子だ」
「ジェームズと、リリーの…?」
二人の子が産まれていたのにも驚いたが、その赤子が何故ここに居るのだろう。
「ねえ、シリウス、どうし、て…」
シリウスに視線を向けたは、彼の背後に人が横たわっているのが見えた。
恐らく崩れた家の中から発見されたのだろうその男女の顔に目をやって、は大きく目を見開いた。

「…ジェームズ、リリー…!」

は信じられない思いで横たわる二人の元に膝を付いた。
ジェームズの眼鏡はなかった。恐らくあの瓦礫の下だろう。
漸く会えた親友の変わり果てた姿に、は叫びそうになる己の口を両手で塞ぐ事しか出来なかった。

「ヴォルデモートが、二人を殺した」

シリウスがの背後に立ち、震える声でそう告げた。

「ハリーがどうやってヤツを退けたのかはわからない…けれど、ジェームズとリリーが死んで…ハリーだけが生き残った…それだけは、事実だ…」


――ゴドリックの谷まで行ってくる…


シリウスの声に被さるように、ヴォルデモートの声が甦る。


――楽しみにしていろ…


「っ…!」

は拳を地面に打ち付けた。
漸く、彼の言葉の意味が分かった。

「ヴォルデモート様ぁ!」

は張り裂けんばかりに声を張り上げた。

「ヴォルデモート様!あなたの求めるものはすぐ傍にあったのに…!
どうして気付こうとしないんですか!」

支持者を「友」と、「家族」と呼び、印で逃れられない様にして。
ジェムを、まるで己の子の様に扱うあなたが求めるものは、はっきりと分かるのに。
私に触れる暖かさは、紛れも無く真実だったというのに。


「臆病者!」


悔しくて、涙が出た。
もし、私が…

…どういう、事だ…」
ぐい、と肩を引かれ、膝を付いたシリウスが驚いたような表情でを見ていた。
「お前、まさか…」
彼の僅かに震える声に、は「私…」と涙で揺れる声を洩らした。
「私、ずっとヴォルデモート様の館に閉じ込められて、いたの……私は、この国でただ一人の声の一族だから…」
そう、確かにそこから始まった。
あれから、本当に三年も過ぎたのだろうか。
外に出る事もなく、ただ彼の傍に居る事が当たり前になってしまっていて、正しい時間が掴めない。
「あいつは、セブルスは何やってたんだ!あいつがお前を守るって言うから俺はっ…!」
は首を振った。
「セブルスを責めないで…あの人は、私を守ってくれたわ…ただ、何処からか私の事が伝わって…」
「…まさか…」
シリウスは思い当たる節があるのか、左手で口元を覆った。
「あいつが?」そう彼は呟いたが、その声は彼の口の中で溶け、に届く事はなかった。
彼女はぐいっと袖で涙を拭うと、「ホグワーツに行かないと」と呟いた。
「ホグワーツへ?」
「私、ダンブルドア先生に話さなきゃ…私の知っている事、全部…」
そう立ち上ったに、ハグリットが「そうだった」と慌てた。
「ハリーをダンブルドア先生様の所へ連れてかにゃあならん!」
時計を取り出し、遅れてまう、と慌てふためく彼に、シリウスが近くに停めてあったオートバイを指差した。
「あれに乗っていけば良い。俺にはもう、必要無い物だから」
「おお、そりゃありがたい。、ダンブルドア先生様はこれからマグル界に向かわれる所じゃろう。すぐお戻りになるから校長室で待っちょるがいい」
落さない様しっかりと赤子を抱え直すハグリットに、「その子は、ハリーはどうなるの?」とは問う。
「この子は親戚のとこに預けるっちゅうてダンブルドア先生様がお決めになられた」
そんじゃ行ってくる、と彼はシリウスのオートバイに跨って飛び立った。

…」

オートバイが完全に見えなくなり、漸くシリウスが口を開いた。
「ピーター、なのか…?」
何が、とは口にしなかったが、はびくりと体を強張らせた。
「…私には、それを告げる権利はないわ…」
ごめんなさい、と彼女は囁いてその姿を暗ました。




ホグズミードの外れに姿を現わしたは、どこかふらついた足取りでホグワーツへ向かって歩き出した。
すると、彼女の前に一台の馬車がやってきてその扉を開ける。
は迷う事無くその馬車に乗り込んだ。
馬車はガタゴト音を立てて走り出し、はその僅かに藁の香りのする馬車の中でぼうっと外を眺めていた。
やがて馬車が止まり、がのろのろと降り立つと「!」と彼女を呼ぶ声がした。
「…セブルス…」
、大丈夫か」
セブルスは寄り掛るように倒れ込むを抱き留める。
「セブルス、ジェムは…ダンブルドアは…?」
「マダム・ポンフリーが見ている。ダンブルドアは先程マグル界へ向かわれた」
ああ、そうだったわね、と彼女はか細く答えた。
「さっき、ハグリットに会って聞いたわ…」
「…ポッターたちが殺されたそうだな」
手を引かれ、懐かしい校内を歩きながらはぼそりぼそりと語り出した。
「二人とも、眠っているみたいだったわ…そうね、リリーは最後に会った時より髪が伸びていたわ。ジェームズは相変わらずのくしゃくしゃの髪で…ああ、ハリーの髪も、ジェームズみたいにくしゃくしゃしていたわ……変ね…どうしてかしら…私、どうしてこんなに落ち着いているのかしら…ねえセブルス、どうしてかしら…」
どうして、と呟き続けるに、セブルスは沈痛な表情で見下ろした。
まだ、彼女は彼らの死を理解できていないのだ。
死んでいる、と認識していても、それを脳が正確に理解する事を拒んでいる。
セブルスは校長室へ辿り着くと椅子を呼び出し、そこにを座らせた。
彼女は俯いて未だ何か呟いている。
「…ああ、そうだわ…私、シリウスにも会ったの…」
「ブラックに?!」
彼の驚いたような声に、は漸く視線を上げた。
「ええ、会ったわ…ハグリットにオートバイをあげていたわ…私、彼に何を言えば良いのかわからなくて、そのまま逃げて来てしまったわ…どうしましょう…」
の言葉に、彼はの前に膝を付き、その両手をしっかりと掴んで「、聞いてくれ」と彼女のぼんやりとした視線を見上げた。
「なあに?」
「あの御方はポッターの居場所を探していた。だが、彼らが見つかる事は有り得ないはずだった。
何故なら、彼らは「忠誠の儀」を行なっていたからだ。
だが、ポッターたちは殺された。
何故だ?秘密の守人がポッターを裏切り、あの御方に居場所を知らせたからだ。

…守人は、ブラックだった」

「…え?」
は小首を傾げた。
彼は今、何を言ったのだろう。
「ブラックがあの御方に付いていたかどうか、それは実際の所分からない。だが、ブラックが秘密の守人であった事に間違いはない」
「そんな、うそ、よ…だって、どうしてそんなこと、あなたが知っているの…?」
の震える声に、セブルスでない声が答えた。

「わしが先程、セブルスに教えたんじゃよ」

二人ははっとして扉へ視線を向けた。
ダンブルドアとマクゴナガル、そしてハグリットが帰って来たのだ。
「ダンブルドア先生…」
セブルスが立ち上る。
「ミス・…!よく無事で…!」
マクゴナガルがに駆け寄った。先生、とが呟くと、彼女は「よく無事で」と感極まったように繰り返した。
「本当なんですか…シリウスが、守人で、裏切ったって…」
ダンブルドアは、いつもは星が輝くような瞳を哀しみに暗く沈ませていた。
「まだはっきりとした事はわからん。じゃが、シリウスが守人で、その秘密が解かれた事は事実じゃ」
「俺もさっきそれを聞いて驚いたわい。ついさっきシリウスと会ったばかりだというのに…」
ハグリットの憤慨した声を聞きながらはダンブルドアを見上げ、暫く固まっていた。
「そう、ですか…」
そしてぎこちない動きで俯き、再び黙り込んでしまった。

「…セブルス」

ぽつり、とが俯いたまま呟いた。
「私、あなたに謝らなければならない事が、あるの…」
「謝らなければならない事?」
鸚鵡返しに問うセブルスに、はこくりと小さく頷いた。
「…私、ヴォルデモート様に優しくされる度、どうしてこの人を愛さなかったんだろう、あなたより早く出会っていれば良かったのにって何度も思ったわ…」
彼女は視線を己の手元に落したまま続ける。
「あの人が私に何を求めているのか知っていたわ……私があの人を愛していれば、こんな事にならなかったのかもしれないって……ごめんなさい…」
すると、セブルスは再び膝を付き、恋人を覗き込んだ。
「では、もしお前が他の人間の様に相手を変えられたら、お前はあの方の元へ行ったか?」
セブルスの静かな声に、はいいえ、と首を振った。
「私が伴侶としたいのは、あなただけよ…もし、私が普通の人の様に伴侶を変えられたとしても、私はあなたを選んだと思うわ…」
の応えに、セブルスはそれなら良いんだ、と告げた。
「お前が誰に対しても優しく、慈悲深い事は良く知っている。お前が誰に対して心を開いても、その心が我輩の元にあるのなら…我輩はそれを甘受しよう」
「セブルス…!」
そう微苦笑するセブルスに、は腕を伸ばす。彼はを柔らかく受け止め、宥めるようにその背を優しく叩いた。







(終)
+−+◇+−+
彼女は思いの外、心の視野が狭いです。なので悪いか正しいかという問題より、まず自分の身近な人達が生き残る為の事を考えます。所謂、自分達良ければそれでよし主義。なのでやはりどちらにしろグリフィンドールには向かなかったなあ、と。スリザリンに変えておいて良かった、と思う今日この頃です。(爆)
あと、ジェームズとリリーですが、よく生存説とか耳にしますが、私的にはお亡くなりになっていて欲しいので死体出しちゃいました。二人の事は好きなんですけどね。
知り合いが死んだ時の反応って人それぞれだと思います。私の場合、呆然として、埋葬など全て終わってから漸く実感が湧いて泣き出すタイプなのでヒロインもその性質にしました。それ以外のタイプって心理状況が良く分からないんですよ。
私的ヴォル様のイメージは、セミや蛇を咥えて来て飼い主に見せる猫。誉めて欲しくて持ってくるのに、相手に気持ちが伝わらない。あら?なんかヴォル様情けないわ?
ハグリットですが、シリウスと知り合いって事にしちゃいました。じゃないと「ストレス」や「グリフィンドール」がうまく纏まってくれなかったので。
最後の方、本当は↓の様なシーンが入るはずでした。


「ヴォルデモートは、君を愛していたんじゃな…」
皮肉な事じゃ、と彼は目を伏せた。
「ヴォルデモートはリリーのハリーを思う愛情に負けたのじゃ」
「ああ…!」
は震える両手で己の顔を覆った。

あなたは、一番欲したものに敗れたのですね。


が、話の流れから上手い事入ってくれなかったので消しました。
ああ、この部分が書きたくてヒロインをホグワーツに向かわせたというのに・・・意味無し。
それにしても今回の話、今まで書いて来た妻ヒロインの中で一番混乱しました。
書いててわけわからんくなって電話口で相手に愚痴ったりしました。(いつもゴメンネ★/爆)
関連タイトル:「第一印象」、「ホグワーツ」、「告白」
(2003/06/19/高槻桂)

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