失恋 「何を賭してでもおまえを守ろう」 はい、先生。 でも先生、僕だって、守られてるばかりの子供じゃないんですよ? 「おまえを弱いと思っているのではない。これは力の問題ではなく、心の問題だ。わしはおまえが大切だ。だから守りたいと思う。それに不思議はなかろう」 傷痕だらけの顔を歪めて小さく、そして不器用そうに笑う先生。 「ムーディ先生、僕、ムーディ先生が大好きです」 そう告げたとき僕は後ろから抱き込まれていて、先生がどんな表情をしていたのか知らない。 ただ、僕を大切だと言ってくれた先生の言葉が嬉しくて、回された腕に擦り寄った。 この人がいてくれれば、僕は何も怖いものはない。 そう、信じていた。 「こやつはアラスター・ムーディではない」 ダンブルドアの静かな声と、トランクの中から現れたもう一人のムーディ先生の姿に、僕は驚きの余りに短く叫び声を洩らした。 見る間にその姿を変えていく「ムーディ先生だった人」。 僕が今までムーディ先生だと思っていた、この人は。 「バーティ・クラウチ!」 スネイプ先生の、驚きや怒りの入り交じった声が頭の中で反響する。 僕は、真実薬を飲まされて全てを語る彼を、ただ呆然と眺めていた。 「全部、嘘だったんですか…?」 ダンブルドアの杖先から飛び出した縄でグルグル巻にされたバーティ・クラウチに、僕は未だ信じられない思いで問い掛けた。 バーティ・クラウチはゆるりと顔を上げ、僕を見上げた。 「標的の信を得るのは基本だ。同時に、あの御方が征服できなかった子供を俺の手で征服してみたかった。おまえは俺の演じる「ムーディ先生」をいとも簡単に信じた。俺の正体に欠片も気付かないおまえを始めは嘲笑っていた。 だが、次第に俺はおまえを標的として見れなくなった。俺はおまえを愛し始めているのだと気付いた。 だがあの御方はおまえを甚振り殺したがっていた。 だからあの御方にお願いした。計画が成功した暁にはハリー・ポッターの亡骸を賜りたいと。 あの御方はそれを聞き入れて下さった。原形を留めていないかもしれないがそれでも良いなら与えてやると。俺は悦びに震えた。おまえが俺のものになる。肉の一欠片ですら永遠に俺のものになるのだ」 もし、この男がまだムーディ先生の姿のままだったなら、僕はまた違った思いに捕われたかもしれない。 けれど、歪んだ愛情を向けるこの男は、僕の全く知らないバーティ・クラウチで。 嫌悪は沸かなかったけれど、まるで道ですれ違った人に突然告白されたような、そんな気分だった。 プリベット通りへ帰る前夜、ハリーはベッドを抜け出していた。 透明マントを被り、静まり返った廊下を駆けて行く。 通い慣れた道筋を辿りながら、ハリーはきゅっと唇を噛み締めた。 目的の扉の前に立ち、二回、軽くノックする。 数秒沈黙が下りたが、中から「入れ」との応えにハリーはそっと扉を開ける。 体を滑り込ませ、扉を閉めると透明マントを脱いだ。 「就寝時間は過ぎているはずだが?」 部屋の主の問いかけに、ハリーはすみません、と小さく謝った。 ムーディは相変わらず道具だらけの部屋の真ん中で肱掛椅子に体を預けていた。 「どうしても、確かめたい事があって…」 ハリーの言葉にムーディの表情が微かに訝しむものへと変わる。彼の「魔法の目」も真っ直ぐハリーを見ている。 「確かめたい事だと?」 「僕は、ムーディ先生が大好きでした。でも、僕がムーディ先生だと思っていたのは、バーティ・クラウチでした」 己を一年間閉じ込めていた男の名が出ただけで彼はびくりと肩を揺らした。 「僕は知りたいんです。あなたの姿をしたバーティ・クラウチが好きだったのか、「あなた」が好きだったのか…」 今までハリーがムーディだと思っていた相手は偽者だった。 だが、彼は微細に渡るまで「アラスター・ムーディ」だった。 性格も、口調も、仕種も、全てに渡って。 ならば、ハリーが慕ったのは「アラスター・ムーディ」なのだろうか。 それとも、やはり偽者でしかないバーティ・クラウチなのだろうか。 「もう、二度とこんな事言い出しません。だから…触れても、良いですか…?」 視線を逸らさずに問い掛けると、彼は一層表情を険しくした。 変な生徒だと思われたのだろうか。 それでも構わない。 ハリーがじっとムーディの目を見続けると、彼は短く了承の言葉を紡いだ。 「ありがとうございます」 ハリーはムーディに歩み寄り、そっとその傷痕だらけの顔に手を伸ばした。 彼の普通の目と「魔法の目」、両方がハリーの手の動きを追っている。 がさがさの頬に触れた瞬間、ムーディの体が今まで以上に強張ったのがわかった。 ハリーは頬、肩、腕に触れ、最後にそのごつごつした手を取った。 どれもハリーの知るムーディと変わらない。 けれど、このムーディには自分と過ごした多くの時間を知らないのだ。 ハリーはその手を見下ろしながら、次第に視界がぼやけてくるのを感じた。 「…ありがとう、ございます」 掠れてひっくり返ったような涙声になってしまったが、ハリーはそれを無視して彼の手を離した。 「あなたと彼は違うって、良く分かりました」 確かに彼の全てはアラスター・ムーディを演じていた。 だから、ハリーは自分がムーディを好きなのだと思った。 けれど、問題なのはそういう事ではなかったのだ。 ハリーの知るムーディは、ハリーが手に触れると反対に手を取った。 彼は自分とは違う、小さく滑らかなハリーの手を包み込むように取り、親指で擦るように撫でた。 頬に触れれば、その手が離れる時にいつも彼はハリーの手を取り、その指に口付けた。 だが、目の前にいるムーディは違う。 目の前の少年がいつ杖を取り出すか、身を強張らせて警戒している。 「変な事頼んで、すみませんでした」 ハリーは歪んだ視界のまま軽く頭を下げ、俯いたまま踵を返した。 「ポッター」 ハリーの足が止まる。 その声や呼び方が、余りにも同じ過ぎてハリーはただ立ち尽くした。 振り返った先にムーディの警戒の色を称えた顔を見つけたくなかった。 「…夏の休暇が終わったら、また来なさい」 ハリーは驚いて振り返った。 そこには、ハリーの想像した警戒の色を称えた顔は無く、ただじっと二種類の目でハリーを見ていた。 「…その時は、共に茶でも飲もう」 ムーディは傷痕だらけの顔を歪めて小さく、そして不器用そうに笑った。 「…っ…」 ハリーはくしゃりと泣き出しそうな笑みを浮かべた。 「…はいっ!」 先生、ムーディ先生。 僕は、先生が大好きです。 あなたの姿と、あなたの性格、仕種。その全てが愛しくて。 でも、あなたの姿をしたバーティ・クラウチ。 彼を好きだったのも、確かなんです。 あなたの姿と性格を模しただけだけれど、それでも、あの時僕が好きだったのは、あの人だったんです。 「おやすみなさい、ムーディ先生」 僕は、「僕を愛してくれたムーディ先生」を失いました。 だけどムーディ先生、 「良い夢を…ポッター」 「あなた」を愛しても良いですか? (終) +−+◇+−+ 実は、スネハリの次に好きなのがムーディ×ハリーだったりします・・・(爆) 更に言うならこれ、元々は妻ネタ「夏休み」から発生した話だったり・・・ウフフ、ごめんね、こなお。ハリーったらリリとくっ付かないかもしれない。 ていうか、何?このスネハリとの差は。力の入り具合が明らかに違うんですけど。 「恋人」と「失恋」を比べると、漂う煙と培養土ぐらい違うよ!(ワケ分からん喩えと比べ方をするな) そういや五巻の初てっぱつからムーディ先生、リーマスと一緒にハリーを掻っ攫いに来るそうですが(違)、結局ムーディ先生はホグワーツに残っているんでしょうか? そして今回一人称、三人称、一人称と変わりましたが、最後の三人称から一人称へ代えた所、ちょっと強引だったな、と反省。でもきっとまた同じ過ちを繰り返すと思う。成長しないから。(ダメダメ) (2003/06/25/高槻桂) |