それでもやっぱり




「シリウス」
「シリウス」
「シリウス…シリウス…」
四角く切り取られた光景に、黒髪の青年の姿は何処にもなかった。



少年が居る。
部屋の片隅で、誰も居ない額縁の前で、己の膝を抱えて座り込んでいる。
その幼い面には不機嫌、怒りなどの色がくっきりと浮かんでいた。
「こんな家、いつか絶対に出て行ってやる…!」
「何だね、また言い争ったのかね」
額からの声に少年はきっと顔を上げた。
額の中から賢しげな老人が己の顎鬚を弄りながら少年を見下ろしていた。
「だってあの女、毎日毎日顔を合わせるたび同じこと言うんだぜ」
「そういうお前も毎日毎日私に同じ事を言っているのだが?」
さらりと返された言葉に少年は多少なりとも気分を害したらしい。形の良い唇がぐぐっとへの字になる。
「あの女が何も言わなきゃ俺だって言いやしないさ」
「ほうほう、それでまた意味の無い言い争いの愚痴を私に聞けというのだな?」
「…好きで愚痴ってるわけじゃない」
決まり悪げに視線を逸らしながら少年は呟いた。
「そうかね。どうやらお前の口はお前の意に反して勝手に喋りだすらしいな」
「そういう意味じゃねえよっ」
「そんな事は承知しておる」
いきり立つ少年に老人はしれっと応える。
「お前をからかって遊んでいるだけだ」
「〜こンのクソジジイッ…!」
ぎりぎりと歯を食いしばる少年を尻目に、老人は素知らぬ顔で小指を耳の穴に突っ込んで穿っている。
「面白くも無い愚痴をこの私に聴いていただく為の代金とでも思い給え。私はお前の愚痴聴きボックスではないのでね」
「〜〜〜もういい!」
少年は勢いよく立ち上がると足音荒くドアへと向かう。
「おや、愚痴はもう良いのかね」
「んな事どうでもいいっつーの!」
ドアノブを必要以上の力で回そうとし、そしてぴたりと立ち止まった。
「……」
あれほど体中を駆け巡っていた母親への怒りや苛立ちがすっかり消えている。老人への腹立たしさは残っていたが。
「アンタさ、」
少年は再び額縁を振り返った。その顔はむっつりと不機嫌そうで、不本意だと刻まれている。
「ホント腹立つな」
「光栄の極み」額の中で老人が唇の端を歪めて笑う。
「…でもまあ、嫌いじゃない」
ムカつく事に。
少年はぷいっと顔を逸らし、今度こそ部屋から出て行ってしまった。
額の中の老人もいつの間にか姿を消し、くつくつと喉を鳴らす笑みが微かに聞こえた。



「シリウス」
四角く切り取られた景色。
「シリウス」
膝を抱えていた子供。
「シリウス」
姿を消した子供。
「シリウス」
再び戻ってきた男。
「シリウス」
少年は痩せ細った、目つきの悪い男となっていた。
「シリウス」
そして再び姿を消した男。
「シリウス、居らぬのか、シリウス坊や」
もう戻らない。



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