大切なひと






「僕の体を連れて帰ってくれないか?僕の両親のところへ…」
そして、伝えて欲しい。




「セドリック!!」
その声が響いた瞬間、泣き喚いていた少女やセドリックの名を叫んでいた少年たちは言葉を失った。
ディゴリー氏ですら周りの空気に飲まれたように動きを止めた。
彼らの視線は呆然と立つジェムへと向かっていた。
そして恐る恐る人並みが割れる。
ジェムとセドリックの間を阻むものは何も無くなった。
セドリックを知るものなら誰でも知っていた。
彼が、セドリックが、どれだけお互いを大切にしていたか。
共に過ごした時間は、お互いの級友との時間より遥かに少なかったろうに彼らはそれを全く感じさせない親しみを纏っていた。
図書館や中庭の長椅子で、二人が寄り添いながら一冊の本を読んでいたのを何度見掛けた事だろう。
まるで生まれた時から共に在ったような、そんな二人の姿をどれだけ目にした事だろう。

「…セドリック」

割れた人並みの間をジェムがふらりと進む。
まるで足だけ別の意志を持っているようだ。
「セドリック」
だが、その足はセドリックの傍らに辿り着くや否やその意志を失ったように地に膝を付いた。
君は、とディゴリー氏が言いかけたがジェムの耳には届かない。
「セドリック」
震える腕を伸ばし、横たわるセドリックの頬に手を当てた。
「セドリック?」
その腕とは裏腹に、ジェムの声は意外なほどしっかりとしていた。
「何の、冗談だい?」
わっと少女達が再び泣き始めた。
「セイディ?」
そっと優しく囁くようにジェムはセドリックに呼び掛ける。
応えはない。
少年たちも唇を噛み締めて涙を流している。
「…、……っ……」
もうジェムの唇から彼の名は出なかった。
ただひたすらその唇はわなわなと震え、セドリックの頬に添えられていた手が彼の鼓動を探して首、胸元、二の腕、そして手へと下りていく。
「…セ、」
やっと漏れたそのたった一声は、ひっくり返って奇妙な音に聞えた。
ジェムはセドリックの手を握り締めた。
けれど彼の手に力は無く、どれだけ待っても握り返して来る事はない。
それでも僅かな希望に縋るようにセドリックの手を握り続けていると、そっとその手に新たなる手が重なった。
のろのろとその手を、腕を辿って見上げると、ディゴリー氏が涙で濡れた目でジェムを見ていた。
そして彼はゆっくりと首を横に振った。
するとジェムも同じ様にぎこちなく首を横に振る。ディゴリー氏の意を否定するかのように。
「…っ……ぁ………」
ジェムはまるで絶叫を喉に詰らせたように、呻くような声を洩らした。
ここからは走り去りたい。
こんなのは嘘だと、悪い夢なんだと。
けれど、それはセドリックをここに置いて行く事になる。
認めたくない。
けれど、立ち去るのはもっと嫌だ。
セドリックを置いて行くなんて。

「ジェム君!」

ジェムの体が傾ぎ、セドリックの胸元に倒れ込んだ。
ディゴリー氏が慌てて抱き起こしたが、彼の意識は完全に閉ざされていた。
「ミスター・!」
ディゴリー夫人と共に駆け寄って来たスプラウト教授が、セドリックの傍らでディゴリー氏に抱えられている少年の姿に眼を見張った。
「ミスター・ディゴリー!ミスター・は…!」
「気を失っているだけだ、大丈夫」
スプラウト教授が杖を取り出し、「エネルベート!」と唱えようとした。
だが、ディゴリー氏がそれを遮った。彼は無言で首を横に振っただけだったが、スプラウト教授は得心し、今度は杖先で担架を二台取り寄せた。
持ち手の居ない担架はふわりと彼らの腰の辺りで停止し、ディゴリー氏はまず抱えていたジェムを、そして自分の息子をそれぞれ担架に乗せた。
「ジェム君は医務室に運んでやって下さい」
ディゴリー氏の掠れた声にスプラウト教授は頷き、辺りに視線を向けた。
「ミスター・ウィーズリー!ミス・グレンジャー!」
少し離れたところでおろおろと何か言い合っている二人に声を掛けると、彼ら(と一緒に居たウィーズリー一家)が駆け寄って来た。
「この子を医務室まで送り届けてくれますか?」
本来なら彼女自身で送り届けたいのだろう。だが、彼女はセドリックが所属するハッフルパフの寮監。
ここに残らなければならない。
「「はい!」」
スプラウト教授の言葉に、ロンとハーマイオニーは力強く頷いた。





友情なんて、損だ。
「どうしてそう思うんだい?」
だって、男女は結婚したら恋人の頃より想い合っていると認識されるじゃないか。
夫婦なんて役所で認められた恋人同士だってだけじゃないか。それだけで他の恋人達より上に見られている。
友情なんて、きっと結婚したら伴侶より下の扱いにされるんだ。
だから、親友も役所で認めてもらって「この二人は夫婦に負けず劣らずの友情だ」って…オイ。
人が真剣に話してる時に爆笑かよ。
「ジェムって、時折凄い事言うよね」
…父さんにも良く言われる。母さんに似てきたって。
「じゃあ、誓う?」
え?
「私、セドリック・ディゴリーはジェム・スネイプを健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、良い時も悪い時も…敬い慰め支え合い、変わることなく友とする事を誓います」
……セイディ。
「駄目かい?」
…僕、嬉しくて…どうしよう……。
「どうって、やる事は一つじゃないか」
ああ、そうか、


「私、ジェム・スネイプはセドリック・ディゴリーを…」






「僕はヴォルデモートが復活するのを、見たんだ!」


ハリーの声がして、薄らと目を開けた。
何か、言い争っている声が聞える。
ベッドから身を起こすと、カーテンに遮られた向こう側でハリーたちが言い合っているのが聞える。
「マルフォイ家の潔白は証明済みだ!」
僕は聞き覚えの無い声とハリーやマクゴナガル先生、ダンブルドア先生…何人もの人の声が飛び交っている。
「狂っている…」
男の声が弱々しく告げた。

「ハリーたちが狂っているかは僕には分からないけど、少なくともあなたは大きな思い違いをしている」

カーテンを押し退けて彼らの前に姿を現わすと、室内全員の視線が僕を捉えた。(ハリーは向かいのベッドでウィーズリー夫人に肩を押さえつけられるように座らされていた)
男が誰だか分かった。コーネリウス・ファッジだ。
「思い違いだと?」
ファッジが怪訝そうな顔をする。
「ジェム」
父さんが足早に寄ってくる。僕は父さんが何か言う前にファッジへ向かって口を開いた。
「あなたはルシウス叔父さんが立派な寄付をしているから叔父さんは潔白だと言う。なら、寄付とは何ですか」
「何だって?」
「寄付は、お金さえあれば誰にだって出来る。莫大な寄付が出来る人が潔白だとは限らない!」
「ジェム!」
父さんの諌める声に僕は口を閉ざした。
「ジェム?まさか、ジェム・スネイプか!」
だが、ファッジはジェムの言葉より彼の名前に反応した。
「『例のあの人』の愛人の息子か!」
事情を知らないハーマイオニー達は驚いたように眼を見張った。
ファッジは僕と父さんを交互に見比べ、やがて引き攣った薄ら笑いを浮かべた。
「父親似で結構な事だ。母親に似ていたら誰の子だか分かったものじゃない」
「貴様…!」
「コーネリウス」
ダンブルドアの静かな声が父さんの激昂を抑え込んだ。
「彼は紛れも無くセブルスとの子じゃ。ビルやロンがアーサーとモリーの子であるのと同じ様に」
再び沈黙が訪れる。
その短い黙を破ったのはファッジだった。
とにかく、何であれ『例のあの人』が戻ってくるはずが無い、と。
「目を瞑ろうと言う決意がそれほど固いなら、コーネリウス」
僕は全てを決意したダンブルドアと、それでも信じようとしないファッジの声をただ聞いていた。
「見るがいい」
そして、父さんが左腕の印を見せた。
ああ、そうか…あの時、一瞬印が痛んだのはヴォルデモートが呼んでいるサインだったんだ。
やがてファッジが出ていき、ビルとマクゴナガル先生、そしてマダム・ポンフリーも出ていった。
「御取り込み中ごめんなさい」
そして、入れ違いに入室して来たのは、もうすぐ一歳を迎えるリドルをベビーバンドで縦抱きにした母さんだった。
「ダンブルドア先生、ディゴリー夫妻が一旦帰宅したいそうです」
「ありがとう。この話が終わったらすぐ行こう」
「私は聞いても宜しいので?」
「勿論だとも」
ダンブルドアの応えに母さんは扉をきっちり閉め、僕と父さんの傍らに立った。
そしてシリウスと父さんが握手(と言って良いのか迷うほど一瞬のものだったが)を交わし、ダンブルドアはシリウスに指示を出す。
ハリーが何処か不満そうな声を上げた。けれどシリウスがハリーを宥め、そして犬の姿に戻る。
「シリウス」
部屋から出ていく直前、母さんが声を掛けた。
「…気を付けて」
シリウスは力強く頷き、今度こそ出ていってしまった。
そして父さんもダンブルドアの言葉に頷き、出ていってしまう。
母さんは何も言わなかった。追う事もせず、じっと父さんの背中を見つめていた。
やがてダンブルドアも出ていくと、母さんは薬棚からハリーのベッド側のテーブルに置いてある薬瓶と同じ物を新しいゴブレットに注ぎ、僕に手渡した。
「明日にまたディゴリー夫妻が来るから、今はとにかく眠りなさい」
「うん…」
僕はベッドに戻ると紫の液体に満たされたゴブレットを受け取り、母さんを見上げた。
「リリは?」
「リリは部屋でぐっすり眠っているわ」
「そう…良かった」
僕はそう呟いてゴブレットに口を付けようとした。
「ジェム、待って」
けれど、ハリーの制止の声に口元に持っていったゴブレットを降ろす。
「ハリー?」
「セ…」
彼は震えそうになった声を閉ざし、そして再び開いた。
「セドリックが、君に伝えて欲しいって」
セドリックが?

「…『誓いは変わらない』って…」

僕は、何も返す事ができなかった。
ただ眼を見張り、呆然とハリーを見詰めるしか出来ない。
「…っ……」
唇が、何かを言おうと動く。けれど、僕の唇から音が漏れる事は無かった。
僕は、一気にゴブレットの中身を飲み干したのだ。
途端に睡魔が襲う。
母さんがゴブレットを僕の手から取上げるのを感じながら僕はぱたりと倒れた。
眠りの底へ引きずり込まれる。
僕はそれに抗う事無く、寧ろ進んで眠りへと落ちた。


もしあのまま起きていたら、叫んでしまいそうだったから。






翌朝、母さんに付添われてディゴリー夫妻がハリーの元を訪れた。
ハリーが夫妻にセドリックの事を話している間、僕も一緒に聞かせてもらった。
全て話し終ると、夫妻は寄り添いながら医務室を出ていった。
「………」
僕とハリーの二人だけになると、長い沈黙が訪れた。
ロンたちはもう暫くしないと来ない。

『誓いは変わらない』

ハリーから受け取ったセドリックの言葉を思い出した途端、僕はベッドを下りていた。
「ジェム?!」
ハリーの声を無視して僕は医務室を飛び出す。
勿論裸足だったけれど、構わず僕は走り続けた。
「「ジェム?!」」
ロンとハーマイオニーとすれ違った気がする。
「ジェム!」
ドラコの声も聞えたような気がする。
それでも僕は一心不乱に走り続けた。
走ったのなんて久しぶりで、目的の場所に辿り着く頃にはとっくに息切れを起こしていた。
けれど、僕は何度も大きく呼吸を繰り返し、息を整えていく。
「ジェム、どうしたの?!」
後を追って来たらしいハーマイオニーとロン、そしてハリーが駆け寄ってくる。(ハリーは僕と違ってしっかり靴を履いてローブを纏っていた)
僕は三人を無視し、目的の長椅子と向き合った。
外壁に沿うように中庭の隅に置かれた、幾つもの長椅子の内の一つ。
僕はあの時と同じように片手を上げ、誰も居ない長椅子に向かって誓う。

「私、ジェム・スネイプはセドリック・ディゴリーを永遠の友とする事を、ここに、改めて誓います」

言い終えると同時にゆっくりと手を下ろす。
「セイディ…誓いは、変わらない」
僕らはここで誓いを交わした。
結婚式の誓約を真似た、他人からすれば失笑を誘う誓いでも。
「君は死んでしまったけれど、君が死んだくらいで僕らの誓いは揺るがない」
君の誓いは今も耳に残っている。
「そして、君が生まれ変わるのなら、そこは僕の近くだと信じてる」
僕は踵を返し、ハリー達を無視したまま来た道を戻っていく。
きっとマダム・ポンフリーが心配してる。
戻って、言わないと。僕は大丈夫ですって。
僕は、大丈夫ですからって。

「ジェム!」

突然腕を引かれた。
この声はドラコだ。
「ドラコ?」
ああ駄目だ、視界が曇って良く見えない。
「全くお前は…!」
こんな格好でうろうろするな、とか靴ぐらい履いてこいとか言いながらドラコは自分のローブを僕に掛けてくれた。頭の上からすっぽりと。
「…前が見えないんだけど」
「その有り様ではどっちにしろ見えないだろう」
問題ない、と彼は僕の腕を引いて歩き出す。
「ぼやけてるのと全く見えないのじゃ大違いだと思うけど」
妙に引き攣った声が漏れた。
けれどドラコは何も言わず、ただ黙々と僕の手を引いて歩き続けた。
方向からして、医務室だろう。
僕たちは無言で歩き続けた。
「ミスター・マルフォイ、その子はミスター・では?!」
医務室へ辿り着くと、思った通りマダム・ポンフリーの説教を受けた。
けれど、僕がドラコのローブを外した途端、彼女は悲しみを堪えるような表情をした。
「今日はもう一日安静にしてなさい」
マダム・ポンフリーはタオルで僕の顔を拭いながらそう言う。
自分で拭けますから、と僕はタオルを受け取り、ベッドに入った。
泣いたのなんて、久し振りだった。
僕がタオルに顔を埋めていると、マダム・ポンフリーはハリーを捜しに出ていってしまった。
ドラコと二人きりになるのは、久し振りの様な気がした。
「……ジェム」
「うん」
僕は涙を拭ってタオルから顔を上げた。
そこには哀しそうな顔をしたドラコがいた。
「詰っても、殴ってくれてもいい。僕は、セドリック・ディゴリーが死んで安堵している」
僕は、一瞬何を言われたのか理解する事が出来なかった。
「僕は、彼に嫉妬していた。ホグワーツに来るまではお前は僕しか知らなかった。僕だけがお前の親友だった。…ポッターどもはまだ許せたんだ。お前と奴等は本質的に合わない。同期の友以上になるとは思えなかったし、事実そうなった」
けれど、とドラコは視線を伏せた。彼の長い睫毛が光を反射して微かに金の光が震えている。
「だが、お前とディゴリーが一緒に居るところを見た瞬間、敵わないと思った。幼い頃から培って来たものなど、何の役にも立たないと思えてしまうほど……僕には届かないと思い知らされた」
だからセドリックの訃報を聞いた時、嬉しかったのだと。
そう告白するドラコに、僕はゆっくりと首を横に振った。
「ドラコ、責められるべきは君じゃない。僕だ」
「ジェム…?」
ドラコが訝った視線で僕を見上げた。
「僕は君の好意に甘えていたんだ。ハリーたちと友達になった時も君は僕の親友で居てくれた。だから、セドリックの傍に行っても君が僕から離れて行く事はないと、心の何処かで慢心していたんだ…ごめん、ドラコ」
「…ジェムッ…」
ドラコが勢いよく抱き着いて来た。お陰で僕らはバランスを崩してそのままベッドに倒れ込む羽目になる。
けれど、僕はそのままドラコの体に腕を廻し、きつく抱きしめた。
「ごめんね」
寂しい思いをさせて、ごめん。
「ジェム」
「うん」
ドラコは僕の隣りに顔を伏せたまま告げる。
「何があろうと、お前だけは守り抜いてやる」
誰から、とは聞かなかった。僕は短く頷いて、「でも」と付け足した。
「僕も、ドラコを守るよ」

やがて数人分の足音が聞えて来て、僕らは慌てて身を起こす事となった。








(END)
+−+◇+−+
どうも最後の方、息切れしてしまった感じが。
それにしても彼らは誓いのキスはしたんでしょうか。(え?)
ていうか、これを書いている間ずっと「風と木の詩」(特に最終話)がぐるぐる回ってました。ジルベールがセドリックでセルジュがジェム。(笑)今思えばジルベールの叔父(名前忘れた…)ってルシウスっぽいですよね。はっ!そんな事になったらジェム、ルシウスに犯されないといけないですね!(正気に戻れ)
「風の木の詩」が回ってたわりにベルバラが観たくなったのは置いておいて。
第二の試験でセドリックの助ける相手は本当はジェムだったけど、スネ先生が断固として許可を出さなかったのでチョウ・チャンになった、と勝手に思ってます。(爆)
ジェムは夏休みの度にセドリックの家に遊びに行ってるのでディゴリー夫妻とは顔見知りです。
この話の為にイギリスの結婚式やら葬儀やら調べまくりましたが、結局は余り役立たす事が出来ませんでした。
ていうかセイディっておかしいよとかいうのは私が一番良く分かってるので問い詰めないで下さい。(爆)
それにしても今回、ジェム視点が久しぶりだった所為か、時々三人称に戻ったりしてしまいました。直したつもりですが・・・直ってないところがあっても気にしないで下さい。
実を言うと、私、今回の後半の様に原作を踏襲したような話って好きじゃないです。まあ、同人自体が原作の設定を踏襲したものなんで仕方ないとは思うんですけどね。それでもやっぱり原作にあるセリフは出したくないですね。
それよりドラコとジェム。彼らも微妙な事になってますネ。でもこの二人はくっ付きません。(笑)
関連タイトル:「期末試験」、「ドラゴン」
(2003/07/19/高槻桂)

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