01.とても大切なこと
(真田×乾/テニスの王子様) その日会える事になったのは、本当に偶々だった。 休日とはいえ、当然のように部活はある。 けれど前日試合だったことにより、その日の部活は午後からに変更された。 会えないだろうか、と告げると、回線の向こうの乾は淡々とした喋り方をする彼にしては珍しく、嬉々とした色を滲ませてそれを了承した。 ここ一ヶ月ほどお互いに忙しくて会えない日々が続いていたので、そういうことなのだろうと真田は納得していた。 事実、久しぶりに会った乾は浮かれていた。 午前の僅かな時間だったので、何処へ行くでも無くただ真田の家で他愛も無い話をしながらじゃれあった。 乾は真田家の人間に気に入られており、食事を共にすることも泊まっていく事も恒例だったので、その日も昼食は共に摂った。 それから二人で家を出て、駅で乾を見送って部活へと向かった。 「弦一郎」 部室に入るなり、蓮ニが声をかけてきた。 「何だ」 荷物をロッカーに入れながら返せば、「貞治はどうした」と詰め寄ってくる。 「?帰ったが」 「そうか」 そしてそのまま黙り込んでしまった蓮ニに「乾に何か用があったのか」と問うと、まるでゴキブリを見るような目で見られた。 何故そんな目で見られなければならないのか。 「あーあ、乾さんカワイソ」 真田が戸惑いながら蓮ニの視線を受けていると、着替え終わった赤也がひょこりと二人の間に顔を出した。 「??何がだ」 「…弦一郎、今日は何日だ」 「六月三日だが?」 「……」 「……で?」 「…で?とは何だ?」 赤也に促されても全く意味が分からない真田が二人を交互に見る。 「やれやれ、ここまでとは…紳士の風上にも置けませんね」 「ぴよっ」 「乾なんでこんな朴念仁がいいんだろーなぁ」 「さすがに俺もフォローできねえよ…」 着替えながらもさり気に聞き耳を立てていた仲間たちが溜息混じりに部室を出て行く。 「???」 一体何なのか。 「もう俺が掻っ攫っちゃおっかなー」 「だから、何の話だ!」 「今日は貞治の誕生日だ」 一瞬、時が止まった。ような気がした。 途端、噛み合わなかった何かが音を立てて合致する。 「れれれ蓮ニ!」 どすれば、と慌てふためいて蓮ニを仰げば、彼は地の底を這うような深い溜息を吐いた。 「部長には俺から上手く言っておく」 だからとっとと謝りに行って来い、と乾貞治至上主義の参謀は真田をぺいっと部室から追い出すと、テニスバッグも放り出して扉を閉めてしまった。 放り出された真田はというと、数秒ほどぽかんとしていたが我に帰ると慌ててテニスバッグを担いで走り出した。 そして部室の中では「何故あのような阿呆に俺の大切な貞治をくれてやらねばならんのか」と憤懣やるせない参謀が真田のロッカーを足蹴にしていた。 02.風に揺られて (日吉×乾/テニスの王子様) さわさわと頬を風が撫でていく。 それに導かれるように乾を見れば、思ったとおり彼は呆けていた。 風に呼ばれる、とでも言うのだろうか。 乾は時折、こうして風の行く先をぼんやりと見つめている。 その視線の先に何が映っているかなんて、分かりきっている。 関東大会の決勝でケリをつけたはずなのに、それでもその影を追い続けている。 俺が、隣にいるのに。 「……」 落ち込みだした気分を苛立ちに変えて、日吉は衝動のままにその無駄に長い足を蹴っ飛ばした。 「いたっ」 びくっと飛び跳ねんばかりの反応で振り返るその顔は、何故自分が蹴られたのか分かってないようだった。 「ど、どうしたの、日吉」 「バカみたいに口開いて突っ立ってるからですよ」 「それだけ?!」 「ああ、あとはこんな所で突っ立ってると他の歩行者の邪魔です。さっさと行きますよ」 「?うん?」 訳が分からないまま、それでも乾はとっとと歩き出した日吉の後に続く。 この人はアホだ、と日吉は思う。 頭はいいが、アホだ。 データなら一度聞いただけで覚えるのに、それ以外となると何度言ってもすぐに忘れてしまう。 きっとまた風が吹けばこの人は立ち止まるのだろう。 そしてその風の行く先にあの人の影を見るのだろう。 この人は四年余りの間、そうやって過してきたのだ。 自分は未だ、そこに割り込めないでいる。 「……下克上してやる」 「え?何、何か言った?」 「何でもありません」 風なんて、吹かなければいいのに。 日吉は小さく舌打ちを零し、追いついてきた乾の手を些か乱暴に握った。 「迷子にならないでくださいよ?」 抗議の声は無視する事にした。 03.街灯の下で (南×乾/テニスの王子様) 千石たちと別れた南は乾と二人、バス停で他愛も無い会話を楽しんでいた。 橙の空は紫へと移り変わってゆく。 ぱか、ぱか。 軽い音を立てて頭上の街灯が灯る。 「あと四分って所かな」 乾がぽつりと呟いた。 乾が自宅へ帰るにはこのバスに乗らなくてはならない。 けれど南の家はここから近いため、バスに乗ることは無い。 楽しかった時間はもう終わり。 次に会えるのは、一週間先か、二週間先か。または一ヶ月先か。 しかも今日は千石たちも一緒で、殆ど二人きりの時間が無かった。 勿論、千石たちと大勢で騒ぐのも楽しい。 けれど、折角恋人同士なのだからやはり二人きりの時間も欲しいのだ。 ただでさえ、自信が無いのだから。 「……」 南はちらりと乾を横目で見る。 「ん?なに?」 「あ、いや、何でもない」 曖昧に笑って誤魔化して前を向く。 しかしその視線は次第に落ちていき、気付けば己の爪先を見つめていた。 「!」 するりと手を包み込む感触に南は目を見開く。 思わず乾を見ると、彼は柔らかな視線で南を見つめ返してきた。 「俺は、南が好きだよ」 見開いた目を何度か瞬きした後、南は困ったように笑った。 「…ホント、お見通しなんだな」 南の言葉に乾は何処か嬉しそうに笑う。 「南が不安を感じなくなるまで、南が好きだって言い続けるよ。まあ、感じなくなってからも言い続けるつもりだけど」 「乾…」 その声に被さるように聞き覚えのあるエンジン音が耳を突く。 ああ、バスが来てしまった。 「…それじゃあ、また」 バスが目の前に停車し、ガスの抜ける音と共に扉が開く。 放される手。 「気をつけろよ」 ステップを上がりきった所で乾が振り返って頷くと、それと同時に扉が閉ざされる。 動き出すバスの中で、乾が小さく手を振った。 それに手を振り返し、やがて小さくなっていくバスの後姿を街灯の下で見送る。 「……」 きっとこの不安は当分消えることは無いだろう。 けれどもう、それはそれで受け入れよう。 乾が側に居てくれる。 それならば、いつかこの不安は必ず消えるはずだから。 だから今は。 「…さて、俺も帰るか」 小さく呟きながら南は手を上着のポケットに突っ込み、そこにあった携帯を握りこむ。 きっともう少ししたら乾からメールが届くだろうから。 その返事を何て送ろうか。 そんな事を考えながら、南は歩き出した。 04.雨の日の緑樹 (鳳×乾/テニスの王子様) いつも待ち合わせは青春台の駅なのだけれど、今日は乾さんがコッチに来てくれている。 というのも、青学の今日の部活は午前だけで午後は完全フリーらしく、夕方まで部活のある俺をあの人がワザワザ迎えに来てくれているのだ。 さっき、乾さんからメールが入っていた。 氷帝の近くの某公園にいるらしい乾さんの元へ向かうべく俺は駆け出した。 外は雨だったけれど、そんなの気にならないくらい浮かれているのが分かる。 だって、一ヶ月ぶりなのだ。 ただでさえ俺たちは部活で会える日が少ないのに、今月は練習試合やらで全く会えなかった。 メールや電話は小まめにしていたけれど、やはり実際に会うのとでは全然違ってくる。 あ。 公園に入ってすぐ見つけた。 俺とほぼ同じ身長の、けれど俺より格段に細い肢体。 乾さんだ。 乾さん、と呼ぼうとして、けれど声は出なかった。 乾さんは雨に濡れない程度に傘を傾け、ぼんやりと上を見上げていた。 その視線の先には、人工的に植えられた緑樹がその葉を濡らしている。 あと少しで乾さんの目の前に、というところで立ち止まった俺に乾さんが気付いてこちらを見た。 「やあ、長太郎君」 微かに笑うそれはいつもと同じだ。 けれど。 「何を、見てたんですか…?」 雨の中、そこだけカラカラに渇いた視線で、何を見ていたのだろう。 「…深い意味は無いよ。ただ、今日は雨が降っているから、いつもと違って見えるかと思ったんだ」 乾さんは時折そうやって空虚な目でぼんやりしていることがある。 まるで世界に絶望しているようだと思った。けれどそれを口にした俺に、乾さんは苦笑していた。 「そんな高尚なものじゃないさ。ただ、ちょっと飽きちゃっただけ」 でも、長太郎君と一緒にいる時は、楽しいよ。 そう言って笑ったその笑顔がとても柔らかくて。 慈愛すら滲んでいるようで。 「行こう」 俺はその哀しいまでに優しい微笑みに、ただついていく事しか出来なかった。 05.おもいでの空 (柳×乾/テニスの王子様) 夕暮れの公園のベンチに二つの影があった。 一人は一冊の本を開き、赤く染まった紙面に構う事無く文字に視線を滑らせていく。 そしてその傍らではそんな青年の肩に頭を預け、穏やかな寝息を立てる青年。 まるでそこだけが切り取られたかのように辺りはしんとしていて、聞こえるのは遠くからの雑音と、時折ページを捲る音が微かに響く程度だった。 区切りがついたのか、彼は栞を挟むと本を閉じ、傍らに置いた。 そして自分の肩に凭れ掛かっている頭に手を沿え、ゆっくりとずらしていく。 そのまま手を下ろしていくと頭の動きに従って体もこてりと横になり、今度は彼の膝の上に頭を預け、横になった。 普通なら目を覚ましそうなものだったが、しかし膝の上で寝息を立てる青年の眠りは深いのか、それとも余程気を抜いているのか、僅かな身じろきをしただけでその眠りが妨げられることは無かった。 「…貞治」 細く、しかし節くれ立った指先で彼は、柳蓮ニは己の膝の上で眠る青年、乾貞治の髪をやんわりと梳いた。 決して柔らかいとは言い難い乾の髪は、しかし柳には触り心地の良さを与えた。 「貞治、空が赤い」 柳は乾の髪を梳きながら空を見上げる。 もう少しすれば茜色はやがて紫を帯びていき、やがて夜闇へと変貌するだろう。 「あの日以来、見上げる空は全く違ったものに見えていた。一度とて同じ空は廻ってこなかった。だが、貞治」 柳は髪を梳く手を止め、今度は乾の放り出された片手を手に取った。 「今は、同じに見える。あの日、お前と過した夕暮れと同じ色に。そう、とても鮮やかに」 その手を引き寄せ、己より細い指にそっと唇を寄せる。 「けれど貞治、お前にはもう、見えないのだったな」 幼い頃からトレードマークだった分厚い黒縁眼鏡が彼の目元から姿を消して久しい。 「見えなくとも良い。お前は俺が触れるこの感触と俺との記憶だけを糧に生きていけばいい。暗闇の中で俺だけを求め、朽ちてゆけば良い」 手を戻し、今度は乾の首筋に指を滑らす。 日の当たりにくい首筋はただでさえ白い乾の肌の白さを一層際立たせていた。 柳は指先で目的の場所を探り出すと、ほんの少し指先に力を入れる。 とくりと指先に伝わってくる命の鼓動。 ここにあと少し力を加えるだけで人の意識は簡単に暗転する。 そしてこの首を手で握り込むだけで気管は塞がり、呼吸が止まってやがて鼓動は止まる。 今、貞治の命は己の指先にかかっている。 そう思うと全身を微電流のような悦びが駆け巡っていく。 「安心しろ、貞治。お前が死ぬのを見届けたら俺も後を追おう。あの世などというものは信じてはいないが、万一の事があるからな」 例えば、生命に魂というものが本当に存在するのならば。 乾貞治という魂は当然自分のものであるべきだったし、その輝き光一粒すら自由になどさせはしない。 死んだとしてもお前を自由にしたりなんてしない。 生死など大した問題ではないのだ。 貞治、お前が生きているのなら俺も生きよう。お前が死ぬのなら俺もこの命を絶とう。 そして輪廻の輪などに加わらず、ただひたすらに俺はお前を支配し続けよう。 「貞治」 囁いて柳は再び乾の髪を梳き始める。 「お前のその愚かで浅はかで幼稚な願いを、俺は叶え続けよう、貞治」 俺との思い出に縋り続けるお前の姿が、何よりも愛しい。 *** 多分浅瀬の柳EDその後だと思います。(曖昧) |