昔々、ある処に。(By 四日様)
ジーノとは所謂お試し期間の関係だ、恋人同士ではない。 始まりはいつだったかもう定かではないが何カ月も前の話でもない。 浮世離れした男は、まるで自分の趣味である椅子集めの話の延長のように告白をしてきた。 まるで遊ぶように『君が好きなんだよね、どうしようもないくらい』と言ったのは覚えている。 海外生活も長かったせいか男同士でのそういう関係に嫌悪感は無かったし、むしろ男と付き合った事もある達海は動揺する事も無く、好意を素直に受け取ってイエスと返事をしたのだけれど、ジーノはそれが望みではなかったらしい。 周りの人間を振り回すばかりのジーノは、そのくせ人の感情を読み取るのが巧い。 達海が本気で自分の事を好きになってない内から恋人同士として付き合うのは嫌だと言った。 つまり、お試し期間を提案してきたのは達海ではなくジーノだった。 口から出る女性の名前は毎回毎回違っていて、来るもの拒まず去るもの追わずどころか自分から招いた者が去って行っても引き止めないような男が、だ。 何が良くて俺なんだろうね。 そう思いながら、狭い部屋でぼんやりしていた達海は、突如大きな音を立てて部屋に入ってきたジーノに驚いて振り返った。 「今日は一緒に寝よっか、タッツミー」 相変わらず形の崩れない柔和な笑みを浮かべながら腕を引っ張ってベッドに押し込めて、ついでと言わんばかりに布団の中に自らも潜り込んできたジーノに達海はぽっかりと口を開けながらそのおかしな行動を見守るしかなかった。 「なに急に、」 お試し期間になって日が浅いからかどうかは不明だが、ジーノは一度として達海に無理強いをした事は無い。 勝手に抱きしめてきたり、勝手にキスをしていく事はあるけれど。 あれ、それって無理矢理かな? 思考の切れ端でそんな事を思いながら達海は頭の下に腕を敷かれ、布団の上から背中に手を回してきた男を見上げた。 もしかしても万が一もこの男には似合わない言葉だけれど、溜まっているのだろうかと同じ性をもつ者として思った達海は、ジーノ、名前を呼んだけれど、それ以上は遮られた。 「抱かないよ、そうじゃないんだ」 顔に疑念が出ていたのかもしれない、ジーノは少し困ったように眉を寄せて笑ってポンポンと背中をあやすように叩いてきた。 「例え誘ってくれてもボクはノれないよ」 「誘ってない」 「フフ、手厳しい」 一呼吸間をおいて、ジーノは人肌がね、と呟いた。 「恋しくなっちゃったんだ」 出逢った時には想像できなかったジーノが達海といる時だけ姿を現す。 例えばこんな風に優しく静かに言葉を紡ぐ姿が見れるなんて思いもしなかった。 特別扱いされてんのか、俺。 一時の興味からかもしれないが、達海には久しく感じていなかった温かさで、それは少しくすぐったい。 「あ、そ。でも俺まだ見なきゃいけない試合が」 「駄目だよ」 起き上ろうとした身体を抱き込められて再び背中を叩かれた。 「今日はもう眠るんだよ、タッツミー」 「なんか、ガキ扱いしてねぇ?」 「ハハ、大きな子供だね。じゃあ昔話でもしてあげようか」 背中を叩いていた手が頬に触れて、親指が目の下を撫でていく、そして背中へと戻っては心地いいリズムを打つ。 「むかしむかし、ある国にそれはそれは麗しい王子がいました」 「ブハッ、・・・言ってて空しくなんねぇ?それ」 思わず笑ってしまった出だしにジーノは少し拗ねたような恥ずかしそうな顔をして達海を肩口へと埋めさせた。 「王子は大変優秀で、見た眼もさることながら頭もとっても良くて、スポーツをさせても音楽をさせても何をしても何でもできる青年でした」 これはもうDVDを見る事は出来そうにないな、そう諦めを付けて達海は瞼を降ろしそろりとジーノの腰へと手を回した。 人肌程度に温かい抱き枕と思えばいいだろうと寝心地の良い場所を探して、ジーノの胸元辺りでようやく落ち着く。 「欲しいモノは欲しいと言えばほとんどが手に入ってきた王子は、」 それは自慢か。背中を優しく叩く手や静かに流れる声は達海の身体にゆったりと流れ込んできて、珍しくサッカーの事を考えていない。 何も考えないまま眠気が襲うのは本当に稀だ。 「ある日の事、自分には全てが揃っていると思っていたのに、自分には無いものを持っている人と出逢いました」 そういえば連日の夜更かしで睡眠を十分にとってなかったな、と霧がかる思考の中気付いて。 ジーノはそれに気付いて、だから来たんだろうか、と自意識過剰にも思った。 「その国の人間にしては珍しい色素の薄い髪の毛は動くたびに軽やかに風に靡いて、芝生の上を走る、それだけでその人は周囲を湧かせていました」 徐々に、徐々に、ぼんやりとしていくジーノの声は胸元にあてた耳から鼓膜を震わせて、ジーノの声はこんなにも優しく響くのかと、無意識に頭を擦りよせた。 リズム良く背中を叩いていた手が一瞬止まり再び動く、その手が、指が、細く出来ている割にしっかりと男らしい力強さを持っている事を知っている。 「タレ目な瞳はいつもまっすぐ前を見据えていて、まるで世界の全てが見えているようでした」 「ツンと尖らせる癖がある唇はあまり多くを語らず、たまに見る事が出来る笑顔は王子が今までに見てきた人の中で一番楽しそうで、輝いていて、王子は生まれて初めて、」 低い声は母親の子守唄のように綿毛で包みこまれる柔らかさではないけれど、全身の力を抜いて全てを預けてしまっても受け止めてくれると思わせる響きだった。 「自分よりも秀でて、綺麗な人を知りました。それは王子にとって奇跡と呼べるほどの出逢いでした」 とろり、ふわり、意識が空(くう)をさ迷っては消えていくのを繰り返しながら、達海はジーノによって深い眠りへと誘(いざな)われていく。 遠くに聞こえる声は既に何を言っているのか捉える事が出来ない。 けれど、決して耳に煩い事も無く、ただただ、心地良い。 「その人が一体どんな人なのか、どんな事を思っているのか、どんなものが見えているのか、王子はいつしか渇望するようになりました。そうして、王子は想わずにはいられなかったのです」 額に触れる、柔らかいなにかを感じながら、達海はすぅ、と意識を手放した。 君の世界を、僕にちょうだい。 甘く切ない、蕩けるような音色を最後に聴いて。 END. |