選択課題・恋する台詞
「他のひとなんて、見ないで」
(浅瀬〜番外編/テニスの王子様)
乾は時折、眼鏡を外して外出する。 彼曰く訓練なのだそうなのだが、見ているこちらはハラハラしっぱなしだ。 何しろ、彼の視力はあの分厚い不透過眼鏡を掛けていても近くの人の顔が辛うじて見える程度なのだ。 なのにその眼鏡すら外して歩き回るというのだから心配にならないはずがない。 なので、出来得る限り彼が眼鏡を外して出歩く際は一緒に付いて行くことにしている。 そうすると彼は左手を真田の腕に添え、真田のナビゲートで歩いてくれるからだ。 乾は強いと思う。 彼自身、己の眼に劣等感を抱いていることは認めていたし、弱視として振舞う事にも屈辱を感じているのだろう。 しかし乾は厭だと口では言いながらも、表情は相変わらず穏やかに笑って「大丈夫だから」と真田に囁いた。 光を失うという事はどれほどの恐怖なのだろう。 一度、真田は眼を閉じて家の中を歩いてみたことがある。 歩き慣れ、脳裏にも細部まで細かに記憶されている我が家であっても真田はちょっとした段差に躓いたし、壁にぶつかった。 もう何年か後には、乾はこんな世界で生きていかなければならないのかと思うと居た堪れなかった。 しかし乾はそれを仕方ないことだからと笑う。 諦めていると言うよりは、ただ穏やかにそれを受け入れているという感じだった。 本当は恐怖や絶望だってあるだろう。 けれど乾はただただ穏やかな笑みでそれら全てを押し殺し、真田の腕にそっと左手を添えるのだ。 乾は以前、他人の前で弱視を匂わせたくはないと言っていた。 しかし真田の前ではそれを表に出し、真田の助力を仰ぐ。 それは、乾にとって自分が特別であるという証ではないだろうかと真田は思う。 自惚れかも知れないが、乾は真田に対しては随分甘えているように感じるのだ。 そう、例えば乾が眼鏡を外して出かける時。 彼は真田の腕にそっと左手を添えながら言うのだ。 「真田、俺だけを見ててね。他の人なんて見ないで。俺の事だけを考えていて」 そうして彼は子供のような独占欲で、優しく微笑むのだ。 ***** 真田と乾は考えのベクトルは間逆なんですがそのまま突き進んで地球の裏側でぶつかり合うようなおかしな相思相愛であればいいと思います。 |
拍手ありがとうございましたvv