君が選ぶべき未来のために
「イガラムイガラムイガラムー!!」
アルバーナ宮殿の一角に甲高い少女の声が響き渡った。
「い、如何なされました、ビビ様」
執務室で書類を書いていた呼ばれた主、イガラムは息せき切って駆け込んで来た幼い少女を戸惑いの色で出迎えた。
「ねえイガラム、今日って何かお祭りなの?!」
うきうきとした気持ちを抑えれないといった態のビビに、ああ、とイガラムは苦笑した。
「今日はバレンタインデーと言いまして、女性から男性にチョコレート菓子を渡す日なのですよ」
「ばれんたいん?」
聞きなれない言葉に首を傾げるビビを椅子に座らせると、イガラムもその向かいに腰掛けた。
「ええ、本来は、ある少女が恋人を病で亡くし、その恋人と自分が天国で結ばれる様、八年間、ある聖人に願ったという言い伝えからバレンタインデーが出来たのです……今では何やら趣旨が変わってしまいましたが……」
ビビはへぇーと感心した声を洩らす。
「誰に渡してもいいの?」
「そうですね…お世話になった方へ渡す方もいれば、好きな方に渡す方もいらっしゃいます」
「そうなんだ〜。ありがとう、イガラム!」
ビビはぴょこんっと椅子から飛び降りると、来た時と同じくぱたぱたと軽い足取りを立てながら部屋から駆け出して行ってしまった。
「おやおや……」
イガラムは座り手を失った椅子を元のあるべき場所に戻しながら、小さな嵐のような少女に笑みを洩らした。
「お!ビビじゃん!」
「あれ?リーダーは?」
いつもの場所へ行くと、そこにコーザの姿はなく、砂砂団のメンバーが何人か居るだけだった。
「コーザならどっかに隠れてるぜ」
近くに居た少年がそう教えてくれ、ビビは首を傾げた。
「隠れてる?何で」
「そりゃあ、今日がバレンタインだからさ」
「?だから何でよ」
きょとんとしたビビの質問に少年たちもきょとんとしてビビを見る。だが、少年達はすぐににやりと笑うと顔を見合わせた。
「や〜、だって、なあ?今日はバレンタインだし」
「リーダー、モテるからな〜」
「でも女どもの騒ぎに巻き込まれたくないって毎年こうだもんな〜」
口々に可笑しげに言うおしゃまな少年たちに、色恋どころか世の中に疎いビビは益々首を傾げる一方だった。
「持てる?何が?バレンタインって男の子は何か持つの?」
『は?!』
ビビの発言に一同は固まった。
「え?私、何か変なこと言った?」
王宮でイガラムたちに正しい言葉使いを習っていた彼女だ。当然下町で使われているような言葉を知っている筈もなく、「コーザに恋している女子がいる」と言えば伝わっただろうが、「モテる」と言った所で伝わる筈も無かったのだ。
「あ!それよりリーダー探さなきゃ!」
『あ……』
少年たちの制止も間に合わず、ごめん、またね!とビビは大きく手を振りながら遺跡の方へ走って行ってしまった。
「ビビ、もしかして、わかってないんじゃ……?」
「うーん………」
遺跡へ向かったビビは、一直線に神殿らしき跡へと走った。
(あ!)
すると、コーザが日陰になっている神殿跡の柱に凭れ、ぼうっと砂ばかりの景色を眺めていた。
「リーダー見つけた!」
「あ?」
ビビが声をかけると、コーザは柱から身を起こし、ビビと向き合った。
「よくここが分かったな」
「だってリーダー、前に言ってたじゃない。ここが一番涼しいって」
そう言えば何かの折りに話した気がする。
「ま、いっか。で、どうしたんだ?今日は宮殿に居るんじゃなかったのか?」
「うん、あのね、今日は好きな人にチョコレートをあげる日だってイガラムが教えてくれたの!」
だからほら!とビビは腰に下げた袋から綺麗にラッピングされた箱を取り出してコーザに差し出した。
「チョコクッキー!リーダーにあげる!」
にこにこと笑顔で差し出してくるビビとは対照的に、コーザは確実にこの気温だけではない理由で顔を赤らめ、ぱくぱくと魚の様に口を閉開している。
「?どうしたの、リーダー?」
きょとんとして首を傾げるビビにはっとすると、コーザはその箱をぎこちない動作で受け取った。
「あ、ありがと、ぅ…」
正直言って、この日の女子からの贈り物には幼心にも辟易していた。
だから、こうやって隠れていたというのに。
「どういたしまして!」
貰っても嬉しくないと思っていた筈のその箱は、とても嬉しかった。
何より、目の前でにっこりと笑う少女が、自分を選んでくれた事が嬉しかった。
「ね、開けて見てよ!」
「ああ」
普段なら破ってしまうだろうその包みをそっと剥がし、中の箱を開ける。すると、ビビの言っていた通り、その中にはこげ茶色の焼き菓子が詰っていた。
アラバスタの様な気温の高い国では、まず通常のチョコレートなどは溶けてしまう。大抵はパンなどの生地に練り込んだりして使うのだ。
ビビはその内の一つをひょいっと摘まむと、コーザの口元へ持っていった。
「はい」
「へ?!あ、う……」
コイツは自分が何をやっているのが分かっているのだろうか。
ふとそんな疑問がコーザの脳裏を過ぎったが、半ばパニックに陥っている思考では考えが纏まる筈もなく、コーザは耳まで赤くなりながらもその焼き菓子に噛り付いた。
「美味しい?」
じっと見つめてくるその視線から逃れるように視線を伏せ、こくこくと頷く。
「良かった!パパやイガラムたちにはカップケーキをあげたんだけど、リーダーはケーキよりこういうのの方が好きでしょ?」
「……王様やイガラム…たち?」
何だか自分は不吉な言葉を聞いた気がしてビビの言葉を繰り返す。
「うん!だって今日は好きな人にチョコのお菓子をあげる日なんでしょ?だからパパとイガラムとペルとチャカと……」
「いや、いい。分かった」
一気に脱力し、コーザは大きな溜息を吐いた。
忘れていた。ビビの「好き」は許容範囲が多く、つまりは敬愛、友情、愛情などの区別がまだ彼女にはつかないのだ。
要するに、先程自分に言った「好き」は「サボテンが好き」、とかいうのと同レベルだという事だ。
「どうしたの?リーダー」
だが。
「……いや、何でもねぇよ」
自分ですら覚えて無いほどの、ちょっとした拍子に話したこの場所を、そして、自分の好みを覚えていてくれた。
今は、それだけでも満足しておこう。
「ほら」
コーザはまた一つ溜息を吐くと、先ほどのビビと同じようにその焼き菓子を摘まんでビビの口元へと持っていった。
「お前も食えよ」
「えっ!」
コーザとしてはちょっとした仕返しのつもりだったのだが、ビビは一瞬にして赤面してしまい、予想以上の反応を返して来た。
「な、なんか、さっきは大丈夫だったのに、されてみると恥かしいかも……」
それでも素直にそれを食べるビビに、コーザはぷっと吹き出して笑った。
「な、何で笑うの!」
もう!とビビは怒ったような声を発したが、すぐにコーザと同じく小さく吹き出して笑っていた。
それほど可笑しい事でもなかったのに、それがとても可笑しい事に、楽しい事に思えて来て、腹筋が疲れを訴えるまで二人は笑い続けていた。
「駄目だったな、コーザ」
謁見の間を出たコーザと付添いの青年たちは門を目指しながら言葉を交わす。
「国王は、街を見殺しにする御積もりかっ……?!」
コーザの右隣を行く青年が悔し気に歯を食いしばる。
「おい、やめろ」
前を向いたままコーザが青年を咎めた。青年がはっとして辺りへ視線を流すと、警備兵の目がこちらへ向いていた。
「すまない……」
「……だが、もう今となってはダンスパウダーだけが唯一の望みだ……国王の言うように自然の雨を待っていては皆死に絶えてしまう……!」
左隣の男も耐え切れない、といった風に視線を足元へと落す。
最早こうなってしまえば自分たちには実力行使に出るしか道は残されていない。
これ以上、水に餓えて死んで逝く人々を出さない為に。
「…………」
三人は暫く無言で進んだ。
だが、中庭を通りがかった時、ふとコーザの足が止まった
「コーザ?」
釘付けにされたように中庭の奥へと視線を送っているコーザを不審がり、二人は彼の視線を追って中庭の奥へ顔を向ける。
「あれは……」
この砂漠の国では数少ない背の低い木々が僅かに繁る中、その根元にひっそりと座り込むのは、鮮やかな水色の髪を後ろで括った少女だった。
「ビビ様!?」
青年が驚きの声を上げる。ダンスパウダーの一軒があって以来、それまでは頻繁に街へ降りて来ていた彼女が民の前に姿を現わす事は無くなっていた。恐らく彼女を人質にダンスパウダー使用を求める者が出てくるのを防ぐ為だろう。
青年の声に気付いたのか、ビビが視線を上げ、こちらへ顔を向けた。
「………」
じっと見つめるコーザと目が合い、見る間にその顔は驚きに染まっていった。
「リーダー!」
そう呼んでビビは慌てて駆け寄って来た。
リーダー、そう呼ばれるのは何年ぶりだろう。
あの頃と変わっていない少女。
「リーダー?」
事情の飲み込めない青年がコーザを見る。
「……悪いが、先に行っててくれ」
「だが……」
「わかった。……行くぞ」
男はまだ納得の行かない様子の青年の腕を掴み、先へと進んでいった。
「………」
二人の姿が見えなくなると、コーザが口を開いた。
「変わっていないな」
瞳を不安げに揺らめかせていたビビにそう言うと、彼女はほっとしたように表情を和らげた。
「ごめんなさい、コーザ。つい癖でリーダーって呼んでしまったわ」
「いや……」
ねえ、それより!とビビはぱっと明るくなってコーザの腕を引いた。
「こっち、来て!」
明るい笑顔でコーザを促すビビ。その笑顔は昔と変わっておらず、コーザは無言でビビを見る。だが、特に抗う気も無く、ビビの好きにさせることにした。
すると、先ほどまでビビが座っていた場所へと連れて来られる。
「?ここは……」
空気の温度変化に声を洩らしたコーザにビビはふふっと笑ってコーザを座らせ、自分もその隣に座り込む。こうやって座り込んでしまうと、殆ど先程の通路からは見えなくなってしまった。
「この街の水路がね、この下にも流れているの。本当にこの一角だけだけどね。だからこの辺りだけ土が少しだけ冷たくて、少し掘ると湿った土が出てくるのよ」
だからこの辺りは気温が低いのだと、そして、聳え立つ城壁が日除けになっているのもあり、それらのお陰でこの背の低い木々が育っているのだと言った。
「それでね、気温が低いから…ほら!」
そう言ってビビは先程の木の影からガラスの器を取り出した。
「……チョコレート?」
その器には、球体や四角形の茶色の固形物が幾つか盛られていた。恐らく先程まで彼女が食べていたのだろう。
「ここだとね、結構固まっている時間が長いのよ」
溶けるのを防ぐためのカカオの粉が塗されたその菓子を、ビビは一つ、そっと摘み上げるとにっこり笑ってコーザの口元へと持っていった。
「はい」
「………」
いつかの幼い日と重なるその仕種。
コーザはくっと片眉を上げ、彼女の持つ菓子には目もくれずただビビを見つめた。
「早く食べないと溶けちゃうわ」
それでも明るい笑顔で勧めるビビ。
「………ビビ」
だが、その笑顔も名を呼ばれた途端困ったような苦笑いに変わり、上げた腕を下ろした。
「もう、食べてくれないから溶けてしまったわ」
すっかり柔らかくなってしまったそれを器に戻し、指の腹についたチョコへ視線を落すと変ね、と呟いた。
「変ね……昔と同じ事をしているのに……どうしてかしら。ワクワクしないのよ」
顔を伏せ、視線を自らの指先に留めたまま、哀しげにビビは笑った。
「どうしてかしら……とても、切ないわ」
寂しげな笑みを浮かべたまま沈黙するビビの細い手首を掴むと、コーザはそのすらりと伸びた指先を口に含んだ。
「コ、コーザ?」
ビビの頬が一気に朱に染まる。
コーザはその指先に付いたチョコを舐め取ると、甘い、とだけ呟いた。
「やあね、食べたいのなら初めから食べれば良いじゃない」
頬を赤らめながら、くすくすと恥かしそうに、それでもまだ寂しそうにビビは笑った。
「……どうなってしまうのかしら、この国は……」
ぽつりとビビは笑みを消し、そう呟いた。
「ダンスパウダーの件は、確かにこの宮殿にはダンスパウダーが運び込まれていたわ。それは事実。でも、私もお父様にも全く見に覚えの無い事……」
「………」
「でも、今は無実を証明する手立てはないわ。言葉だけじゃ、民はもう信用してはくれない」
ビビは悔しげにきゅっと唇を噛んだ。
「このままでは、反乱が起きてしまう…!」
コーザは依然として何を語るでなく、まるで、祈りのようなそれを聞く。
ビビは知らない。
――俺は、ここに"雨"を奪いに来るぞ…!!
己の目の前にいる男こそが、誰より反旗を翻そうとしている事に。
「………」
コーザはビビの腕を掴むと、ぐいっとそのまま引き寄せた。
「きゃっ…」
突然の事にビビが小さな声を上げる。だが、コーザは構わずそのふわりとした香りのする細い肢体を抱きしめた。
「強くなれ。何より、己のために」
強くなれ。
敵から、俺達から身を守れるほどの強さを。
俺は、お前を守る存在ではなく。
お前を殺す存在だ。
だから、強くなれ。
過酷な道を切り開く力を……
「コーザ……?」
不思議そうに男の名を呼ぶビビの体を、そっと押し戻すとコーザは立ち上った。
「もう、行ってしまうの……?」
「ああ」
そしてそのまま踵を返し、コーザは廊下へと戻っていく。
また、逢える?
そう言おうとした唇をきゅっと結び、ビビはその後姿を見つめていた。
そして、通路の向こうへと消えてしまうまで、彼が振り返る事は、無かった。
「………」
ビビは膝を抱え、顔を伏せた。
どうしてだろう。
彼の後姿が、とても哀しい気がしてならなかった。
哀しくて、切なくて、俯いた瞳に涙が滲む。
――強くなれ……
コーザの言葉が蘇る。ビビはきつく唇を噛み、立ち上った。
そうだ。泣いてはならない。自分はこの国の王女なのだ。
父がこの国を動けないのなら、私が動けば良い。
「イガラムを探さなきゃ……」
彼なら自分の力になってくれる。
もっと強くなり、道を切り開く力を手に入れなければならない。
例え、どれほどの試練が待ちうけていようとも、それを乗り越えなくてはならないのだから。
気付かせてくれて、ありがとう。
ビビはコーザに胸の内で礼を述べた。
そうね。これは、私の役目だわ。
強い決意を胸に、ビビは宮殿の奥へと戻っていった。
(終)
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コザビビです。ええ、コザビビ。ワンピはルフィ総受けが好きなんスけど、ビビ総受けも好きなんス。ペルビビとコザビビが大好き。あとゾロビビも好き。
これは某コザビビアンソロへ投稿したモンです。
次はペルビビが書きたい…ていうか続きが気になるワンピ…。はっ!そう言えば最近のジャンプ捨てちまったよオイ!あああ…!!
20巻が出るまで記憶を頼りに頑張ろう…(涙)
(2001/08/06/高槻桂)