きつねのよめいり




狐の子を、拾った。


「……ゴホッ」
 一つの咳と共に猫背の男は足を止めた。
「……」
 いつもと同じ帰り道。
 暗いその道の端に、目を引くものがあった。
 月の光を受けて煌く金の髪を持つ少年。
 ああ、狐の子だ。
 そう思い、蹲って動かない少年に歩み寄る。
 膝を付き、月明かりのみの光源の中、少年の体を不躾に見回す。
 彼方此方が汚れて土の色をしている。
 腕に隠された顔も、きっと汚れているのだろう。
「……ッ…」
 また咳が出そうになり、咄嗟にそれを堪えた。
 咳く音でこの少年が目を覚ましてしまいそうな気がしたのだ。
 男は小さく蹲って眠る少年を抱き上げ、思った通り汚れた顔を見下ろす。
「……」
 関わってはいけないよ。
 そう、声が聞える。
 この子に関わる事が、何を意味するのか。
 男は良く知っている。
 それでも彼は少年を抱え、帰路へと付いた。
 いつも通りの帰り道。
 暗くて、静かで。
 ただ違うのは、腕の中に小さな温もりが、一つ。




「……」
 薬草の匂いがする。
 そう思った途端、意識が浮上した。
 ああ、やはり微かに薬草の匂いがする。
 何処から?
「……?」
 いつもと違うような気がして、ナルトはぱちっと目を開けてみた。
 見上げているのは、見慣れない天井で。
「??」
 更に不思議に思って上半身を起こしてみる。
 殺風景な、最低限しか物の置いていない部屋。その中心に敷かれた蒲団。
 やはり、知らない場所だ。
 昨日は確か訓練の帰りに何人かの同窓生に囲まれた。
 訓練で疲れていた所を囲まれ、成す術も無くフクロにされた。
 動けなくて、痛みが取れるまでじっとしている積もりだったのが、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「?」
 かたり、と物音がした。
 ナルトはのそりと四つん這いで蒲団から出ると、そのまま畳の上を行き、障子をそっと開いてみた。
 現れたのは、歩いたらぎしぎしと音を立てそうな廊下と、手入れのされた小さな庭だった。
 廊下の左奥を見ると、三部屋ほど進んだ所で行き止まりになっている。
「うわっ?!」
 右奥を見ようと首を反対側へと向けた途端、目の前にあった二本の黒い棒に驚いて声を上げた。
「眼が覚めたんですね」
 抑揚の無い声に顔を上げると、そこには顔色の悪い男が盆を片手にナルトを見下ろしていた。
 二本の黒い棒は彼の両脚だった。
「あの、さ…ここ、どこだってばよ?」
「私の家です」
 取り敢えず、中へ。
 そう促され、ナルトは部屋から半分出していた体を引っ込め、蒲団の上へと戻った。
 何処かで見た事がある。
 そう思いながら見詰めていると、男は蒲団から一歩下がった所に座り、手にして居た盆を下ろした。
 真ん丸の盆の上には水の入った湯呑みと、薬包が一つ。
「眼が覚めない様なら気付け薬を飲ませようと思ったのですが…要らぬ心配だった様ですね」
「アンタどっかで…あ!」
 漸く思い出したらしく、ナルトはぽんっと手を叩いた。
「第三の試験予選の時の審判!…で、何て名前だっけ」
 ナルトのそんな態度にも気を悪くした様子も無く、男は名乗った。
「月光ハヤテです」
「そうそう!」
 ハヤテさん。
 そう綻ぶ子供を、男はじっと見下ろす。
「?」
「……痛みは」
 ナルトはきょとんとして男を見上げていたが、やがて
「ああ」
 と溜息の様な声を洩らした。
「大丈夫だってばよ」
「そうですか」
 男はそれだけを告げて己が持ち込んだ盆へと視線を向ける。
「あのさ」
 それに釣られて視線を向けたナルトが男へと視線を戻した。
「それ、貰って良い?」
 それ、と指差されたのは盆の上の湯呑み。
「どうぞ」
 元々君の為に用意したものですから。
 ナルトは応えを聞くなり湯呑みを手にする。
「?」
 無意識に予想していた湯呑みの冷たさを否定され、ナルトはそれを口にした。
「お湯?」
 と言うには温いけど。飲み干してからナルトは首を傾げた。
「冷まし湯です」
 薬を飲む時はこの方が効き目が良いのだと続けると、ナルトは
「ふーん?」
 と首を傾げ直しただけだった。
「なんでオレ、ここにいるんだってばよ」
「私が拾ったからです」
「なんで?」
「気紛れです」
「ふーん?」
 時折混じる男の咳く音が気になるのか、ナルトは質問をしながらも口元を抑える男の手を見ていた。
「どっか悪いの?」
「気管が弱いんです」
「ふーん?」
 取り敢えず聞きたかった事が途絶えたのか、ナルトは辺りを見廻した。
「オレの服は?」
「汚れていたので洗いました」
 ナルトは己の着ているものを改めて見下ろす。
 黒い下衣。サイズが合っていないのはこの男の物だからだろう。
 さすがにこの姿では帰れない。
 第一、ここが何処にある屋敷なのか、それすら不明だ。
「朝餉は食べられそうですか」
「へ?」
 見上げると、男の漆黒の視線とぶつかった。
「味噌汁は葱と油揚げですが」
 男の意を得たナルトの表情が、ぱあっと明るくなる。
「食べるってばよ!!」
「では、こちらへ」
 男は盆を手に立ち上がる。相変わらず物音が一切立たない。
 男の表情も、何処か和らいでいた。




「何をかけますか?」
「砂糖!」
 ところてんを器に押し出した男の問いに、ナルトは迷わず答えた。
「砂糖ですね」
 男は砂糖の小壷を棚から取ろうとしてふとその隣りの黒い小壷に視線を向けた。
「…黒蜜もありましたね。そう言えば」
「黒蜜!じゃあそっち!」
「わかりました」
 砂糖の小壷へと伸ばした腕を疎の隣りへと向け、ハヤテは所望通りの黒蜜の小壷を手にする。
そしてその蓋を開け、ところてんの上にかけるとナルトが一層嬉々とした声を上げた。
「先生は何かけるんだってばよ?」
 自分の器にはかけずに黒蜜の小壷に蓋をした男にナルトの疑問が降りかかる。
「私は酢味噌を…」
「酢味噌ォ?!」
「ええ」
 素っ頓狂な声を上げたナルトに動じず男は頷いた。
「酢醤油の時もありますが…」
「ふーん?」
 ナルトは興味を引かれたらしく、男が酢と味噌を小皿で混ぜる様をじっと見詰める。
 それを己のところてんに垂らした所でハヤテは少しだけ笑みを浮かべた。
「食べてみますか」
「食べるってばよ!!」
 差し出された小皿にナルトは躊躇いも無く箸を差し込んだ。
 彼がハヤテの屋敷に「拾われ」て、早くも一週間が過ぎていた。
 最初の一日目は服が戻ってくるまで、と思っていたのだが、何だ間だと夜まで居座った所、もう遅いからと引き止められた。
 自宅に帰った所で待つ者も居ないナルトは「まあいいか」と、そして何処か人恋しい思いもあったのだろう、あっさり泊まる事を受け入れた。
 ハヤテは毎日昼餉を終えると姿を消す。そして帰ってくるのは夕餉の時刻より少し前。
 二日目の夜、帰って来た男に暇乞いをしようと口を開いた瞬間、
「夕餉は何が良いですか」
 と問われてしまい、素直に「ラーメン」と答えたナルトの要望はあっさりと受け入れられた。
 野菜たっぷりのラーメンと小物少々の夕餉を終え、そしてその日ももう遅いから、と泊まる事になった。
 そして三日目からは何となく暇乞いを言い出そうとは思わなくなり、ハヤテも何も言わない事から今に至っている。
 ハヤテが昼間、何処へ行っているかはナルトは知らない。
 だが、忍びである以上、それなりの事はしているのだろう。
 ナルトが彼の空白の時間を疑問に思う事はなかった。
 ただ、多少の寂寥を覚えただけで。
「なあ、木屑って何処にあるんだってばよ?」
 夕餉のデザート代りのところてんを食べ終ったナルトは蚊遣りの器を手に障子の開け放たれた室内を歩きまわる。
「そこの箪笥の足元にある麻袋の中です」
 言われるままその麻袋を紐解き、中から何種類かの青葉や木屑の混じったそれを蚊遣りの器に一掴み落とす。それに灯を点して燻らせると縁側の片隅に置き、ナルトは縁の下から外用の龕灯を取り出して中の蝋燭にも明かりを点した。
 ナルトは縁側に腰掛け、両の脚をぷらぷらとさせながら龕灯を庭や夜空へと向けてはその微かな光を楽しんでいた。
「……」
 男は座敷で巻き物を広げ、そんなナルトの背中を眺めながら昼間の事を思い出していた。
――もう一週間になるんじゃなぁ…
 煙管を蒸かしながら呟く老人に男が返せたのは咳だけで。
 自宅へ帰らせたほうが宜しいでしょうか?
 その一言を、ハヤテは咳の所為にして無言を通す。
――…仕方ないの…
 折れたのは、老人の方だった。
――君の迷惑にならないのならば、あの子の望むままに…
 溜息の様な吐息と共に白い煙が吐き出されるのを眺めながら、男は老人に一礼を返した。
「……」
 ナルトの背から視線を放し、彼は巻き物へと集中した。




 読み終わったそれを巻き直しながら、ハヤテは縁側の子供を呼んだ。
「ナルト君」
 だが、視線の先で子供はその身を縁側に倒して寝扱けていた。
 ハヤテは巻き物を棚に戻してそうっと近付く。気配や足音を消すのは既に習慣だったが、それでも注意して彼は近付いた。
「ナルト君」
 傍らに膝を付き、もう一度呼んでみても安らかに眠る子供に反応はない。
 ハヤテは自室へ向かい、手早く寝床を整える。
 滅多に客が訪れる事の無いこの屋敷には一組しか夜具が無い。その為彼らは床を共にしているのだ。
 ナルトが居座るようになっても新たに夜具を用意しようとしないのは、そう長い間彼が滞在しないからと思っている為か、他に理由があるのかは彼自身にしか分からない。
 寝床を整えたハヤテは縁側へと戻り、まだ僅かにその煙を滲み出している蚊遣りに蓋をし、疾うに灯りを喪っている龕灯を縁の下に片付ける。
 そうして彼はその貧弱そうな体に似合わず子供をいとも簡単に抱き上げ、再び自室へと向かった。
 ナルトを寝かせ、自分は風呂にでもと身を起こそうとすると何か引っ張られる感じがして男はそこへと視線を向けた。
「……」
 視線の先には、寝扱けたまま彼の上着をしっかりと握っているナルトの手があった。
 その手を振り解くのも気が咎め、風呂は朝にしよう、とハヤトは掴まれた服をそのままに彼の隣りに潜り込んだ。
「ん〜……」
 隣りに潜り込んで来た僅かな温もりに気付いたのか、子供が擦り寄ってくる。
 ハヤトは体温の高いその子供に腕を廻し、そして眼を閉じた。




(一応END)
+−+◇+−+
これ、始めはナルトが目を覚ます辺りまでで止まってたんです。続きが浮かばなくて没るしかない、と言う事でほったらかしてたんですが、半年ぶりくらいにファイル開いたら書きたくなってしまってつい。
まあ無駄にならなくて良かったな、と。
こんな話を書いておいてなんですが、私、未だにハヤテさんの名前、間違えます。(爆)
(2003/09/18/高槻桂)

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