恋歌3



「それからも僕は隙を見てはソロンと逢っていた。本当に少しの間だったけれど、僕は楽しかった、そしてノースウィンドウをソロン達が攻めてくる前夜も会いに行ってたんだ」


「同盟軍のリーダーに?」
下ろした髪を紐で一つに括りながら、ソロンはカッツェの発言を鸚鵡返しに聞いてくる。
「うん……」
まだ直接言われたわけではなかった。ただ、シュウとアップルが密かに話しているのを聞いてしまったのだ。
「明日の戦が終ったら僕に言うつもりだって言ってた……どうしよう……」
どうしても会いたくて、危険だから来るなと言われていたのにも関わらずハイランド軍の駐屯所に潜入したカッツェは、テント内の簡易テーブルに肘をついて大きな溜息を吐く。
「お前ならできるだろうさ」
どうしてこの冷静さを戦場に活かせないのかと思うほど、平然として紅茶を飲むソロンに苛立ってカッツェは椅子から勢いよく立ち上がる。
「そうじゃなくって!!」
「カッツェ、優先順位を間違うな。たとえ俺と敵対する事になったとしてもそれを気に病む事は許さん。お前はどうすれば自分自身の最善の未来が切り開けるかを優先しろ」
明日の城攻めの資料を、その城主になろうかという自分の前で堂々と読むソロンに「でも!」とカッツェはさらに抗議しようとするがそれもまたソロンの言葉によって封じられる。
「お前を信じてきた仲間を俺の所為で捨てるような事は俺自身が許さん」
「…………」
カッツェは言いたかった言葉を飲み込むとソロンの隣へ行き、ぎゅっと抱き着く。
鎧を着込んでいないその肉体は意外と細かった。
「ソロン、大好きだよ」
「ああ」
カッツェはソロンから離れるとその髪を弄くる。普段は逆立てられ、固められた髪もこうやって下ろすとさらさらとしていてカッツェは彼の髪を弄るのが好きだった。
「絶対髪おろした方がカッコイイよ」
「駄目だ。これは俺なりのけじめの付け方だ」
「………何の?」
「髪を上げている時は軍のためだけに動くと決めている」
「おろしている時は?」
「自分のために動く」
カッツェは暫く何か考え込んでいたが、突然ぶはっと吹き出した。
「ぷっくくくくく……ゴ、ゴメン、つい……ソロンらしくて……くくく…」
ソロンは憮然としていたがすぐに表情を和らげ少年を抱き寄せる。
すると、カッツェは笑いを収め、ふと真剣な顔になる。
「……僕、やってみるよ」
「そうか……ならばこれをやろう」
ソロンはカッツェがここに来た時からずっとテーブルの上においてあった小箱を開け、中にあった物を取り出す。
「指輪…?」
それはまるで銀の糸を紡いだような、シンプルだが繊細な造りの指輪だった。
「母の形見だ」
「そんな大事な物…」
カッツェが慌てて返そうとすると、ソロンにやんわりとその手を押し戻される。
「母はこう言ってそれを俺に下さった。『いつかお前に愛しい人が……自分が居た事を覚えていて欲しい人が出来た時、これを渡しなさい』と。俺は軍人だ。ただでさえ逢う機会が少ない上にいつ死ぬかわからん。だからこうやって自分の想いの証を渡しておきたいのだ」
ソロンはカッツェの左手を取るとその薬指に嵌めてやる。少し緩いその指輪はきらきら光を反射させて、カッツェの心をドキドキさせた。
「俺の身代わりだ」
「ありがとう………」
嬉しくて、再びソロンにしがみ付く。ソロンは子供をあやすかのようにカッツェの背をぽんぽんと叩いてから抱き返してきた。

――早く、早くこの戦いが終ってこの指輪を眺める日より、あなた自身を見つめる日々が来ればいいね

それが、僕とソロンの最後の語らいだった。

僕の言葉に薄く笑っただけのソロン。もしかして彼は、明日、自分がどうなるのか感付いていたのだろうか……




「ソロン……?」
さらさらと雨が降る中、カッツェはハイランド軍の駐屯所近くに来ていた。危険だとか、そんな事全く気にならなかった。
鳥たちに荒らされたその首は、既に誰であったかよく判らないほど崩れていた。カッツェはその首に近寄り、手を伸ばそうとする。
「何をしている」
背後から突然かかった声に手を止め、振り返らないまま尋ねる。
「コレ、貰っていい?」
顔の崩れたソロンの首を指差す。
「駄目だといったら」
「じゃあいらない」
沈黙。
「逃げないのか」
「何故」
「俺が誰だかわかっているだろう」
「そうだね」
そこで始めてカッツェは振り返る。
白を基調とした鎧に青いマント。そして獣の様な目をした男は、雨を漆黒の髪に含ませてこちらを射るように見つめていた。
「……俺の元へ来い」
「気紛れ?」
「さあな」
「あなたは死なない?」
男は再び「さあな」とぶっきらぼうに答える。
「だが、俺はお前以外の者の手にかかるつもりは無い」
そこで始めてカッツェに表情らしき物が現れた。それは期待に満ちたような、幼い表情。
「じゃあ僕があなたを殺さなければあなたは死なないんだね」
男はそれを肯定するかのように「来い」と手を差し伸べる。カッツェは素直にその手を取ると、男に引かれるまま足を進めた。





それは約十年近く前、キャロの街に王族や貴族達が避暑に来て数日が過ぎた頃だった。
「…なんだそのガキは」
狂暴さをその全身に湛えた十代後半らしき青年は、男が連れ帰ってきた、金のサークレットをはめたびしょ濡れの少年をじろりと見下ろす。
「こんにちは。お兄ちゃん、誰?」
男と手を繋いだ少年が不思議そうに首を傾げると、男がぽん、と少年の頭に手を置く。
「カッツェ、このお方がルカ様だ」
「皇子様?」
カッツェと呼ばれた六、七歳の少年は不思議そうにルカを見上げる。ルカは詰まらなそうにふん、と鼻を鳴らすと男を睨み付ける。
「で?どういう事だ、ジー家の跡取り」
ルカはじろりと見下した視線でソロンを見る。ソロンはこの頃、まだ軍に入って間も無い頃だった。父、アガレスが、王国内でも有力な貴族の出であるというだけで早くも軍団長に指名したソロン・ジーは軍人臭さが無く、それがルカは気に入らなかった。
「ここから少し南に行った所にある池に落ちたらしく…」
「放っておけばよい。落ちるバカが悪いんだ」
ルカの言い様にソロンは何も言わず、メイドを呼んで少年を風呂に入れるように指示をする。
「…あの少年、濡れたまま帰ると姉が心配するから乾くまで帰らないと言っておりましたので、乾くまで俺の私室に入れておきます」
一礼してソロンはさっさと自分の割り当てられた部屋へ向かう。その背をルカはぎっと睨み付けた。
「貴族の安っぽい同情心…虫唾が走る」


「ルカ様、おさんぽ?」
庭園をぶらぶらと歩いていると足元から声がかかる。見下ろせばやはりあの少年で、くりくりとした瞳を大きく開いてこちらを見上げてくる。
(チッ、ソロンの奴、ガキの一人二人見張っておけんのか!)
カッツェはルカの心境に関係なくルカに問い掛けてくる。
「ルカ様は、強いの?」
ルカは怪訝そうにカッツェを見下ろしたが短く「ああ」とだけ答える。
「ぼくもね、絶対強くなるんだ」


(どこへ行ったのだ、あの子供)
ソロンは足早に廊下を突き進む。少し目を離した隙にどこかへ行ってしまったのだ。
そして庭園の側を通り過ぎようとしたその時、ソロンは目的の人物を見つけて足を止めた。そしてその傍らに居る人物に気付くと彼の全身はぎくりと強張るのを感じた。
カッツェの傍らにいたのはルカだった。
ルカはこちらに背を向け、少年を見下している。
「ぼくの夢なの」
静かな空間を幼く甲高い声が切り裂き、ソロンの耳にも聞えてくる。
「頂点に立ちたいのか」
カッツェはふるふると首を左右に振る。
「ちがう。守りたいものの盾になるためだよ」
「頂点に立てば何もかも自分の思い通りだぞ」
「頂上には行かない。上り詰めてしまうのは悔しいから」
「ほう?」
カッツェの言葉にルカは関心を引かれたらしい。その声にはどこか、嬉々とした色が僅かに混ざっている。
「上へ行きたいから強くなる。でも、ほんとうに一番上まで行ったら、そこには何があるの?」
ルカが何も答えないでいると、カッツェはきゅ、と愛らしい顔を顰めて
「一瞬の達成感と、その後に訪れる虚しさを味わうのはいやだ」
と、産まれてほんの数年しか経っていない子供の言葉とは思えないほどはっきりと言いきる。
「ぼくはそんなもの、いらない」
ただ、大切な人を守れればそれでいいと言う少年に武器は何を学んでいるかと問う。
「トンファーだよ」
「剣にしろ。そんな獲物では敵を殺せん」
「トンファーでいいの。ぼくはすべてが大切で…守りたい。だから、殺さない」
「所詮は子供の浅知恵か」
「それでもぼくはやってみたい。やらずに「出来ない」って言うのとやってみて「出来なかった」って言うのでは全然違うもん」
「カッツェ」
ソロンは話を断ち切るように少年の名を呼ぶ。
「ソロンさん」
カッツェがぷあっと笑顔になる。
ルカはこちらを向くと
「子守りもまともに出来んのか」
と、あのいつもの見下した視線で見てきた。
「申し訳ありません、すぐに引き取らせて頂きます。来い、カッツェ」
ルカに形ばかりの礼をしてカッツェに手を差し伸べると、カッツェはとてとてとソロンに駆け寄って来る。
その手を取り、もう一度礼をして踵を返す。
「カッツェ」
呼ばれ、振り向くとルカはにいっと口の端を歪めて笑った。
「やってみるがいい。俺を止められるか、人間共を守れるか…やってみるがいい」
カッツェは「俺を止められるか」と言われた意味はよく分からなかったが「人間共を守れるか」と言われたのは理解できた。
カッツェは力強く頷いた。
ソロンはそんな二人のやり取りを物珍しそうに見たが、ルカに視線で「さっさと行け」と促され、その小さな手を引いてその場を後にした。





(あれから、もう十年近くになるか……)
ルカは寝台の上で身を起こす。傍らで小さな寝息を立てているカッツェを見下ろし、微かに笑みを浮かべる。そっとサークレットの跡の残る額を撫でると懐かしさが溢れてくる。
(やっと、手に入れた)
あの時、自分はこの少年を欲した。すぐにでも自分の物にしたかった。
だが、
(俺は、待つと決めたのだ。それが何年であろうと……)
いつか、少年が自力で自分と同じ舞台にまで這い上がってくるのを待った。
それが敵同士であったとしても。
(わかっていた事だ)
人間共全てを守ると言った少年。そして、自分は彼の守りたい人間共を根絶やしにしようとしている者。最初からわかりきっていた。
だから、誓った。
「お前を殺す権利を持つのは俺だけだ」
そして
「俺を殺す権利を持っているのはお前だけだ」
ルカは再び寝台に潜ると、眠るカッツェを抱き寄せる。素肌をあわせると、やはりカッツェの方が体温が高い事が分かる。
そのぬくもりを感じながらルカは呟いた。
「今すぐじゃなくていい。いつか、俺のために笑ってくれ…」
その小さな存在を全身で包み込みながら、その瞳を閉じた。






(恋歌4に続く)

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はい、やっとルカ様の御出ましです。が、予定では、?の始めにさっさと死んで頂きます。ホンマすんません!!いや、俺かてもっと出したいってーー!!最近、何だかキャラが暴走して何が何やらさっぱりです。こうなってくると最早高槻自身、この回想が終ってからの展開が全く予想付きません。だって最初の予定と全く違うからさ…
(2000/05/17/高槻桂)



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