恋歌5




そして、現在。

「まあ、そういうワケでさ。内緒にしていてゴメンね」
カッツェはまるで世間話をするかのように軽く、にこやかに語った。
「ソロンが死んでルカに拾われたのが雨の日だったでしょ。だから雨が降るとつい感情の抑えが効かなくってさ。歌ってストレス解消、みたいな?」
対応に窮している二人と、泣きそうな表情をしているナナミに背を向けると、カッツェは軽い足取りで廊下へのドアへと向かう。
「ちょ、オイ、カッツェ!」
ビクトールが止めるが彼はそれを遮る様に「そう言えば」と振り返る。その表情はきょとんとしていて
「いつか僕が死んだ時、僕はどっちの元へ逝くんだろうね。きっと二人で迎えてくれる事はないだろうしねぇ」
再びくるりと踵を返す。

パタン。

扉は閉じられ、その扉の向うからは微かに少年の鼻歌が聞えた。
「…あの子ね、泣かないの」
ナナミはカッツェの消えていった扉を見つめながら呟く。
「ずっと、笑っているの…」
「…お前は知っていたのか?」
シュウは責めるようにナナミを見る。
「そんな目で見ても無駄よ。何があっても私はカッツェの味方だもの」
真っ直ぐにシュウを見返してくるナナミの瞳は、どことなく涙で潤んでいるようだった。
「でも、これは話しておくわ…ソロン・ジーが死んで数日後に私はカッツェから全てを聞いたの。それからカッツェが泣いたのを見たのはただの一度きりよ」
元々ナナミと同じく感情の起伏が激しい方であるカッツェはちょっとした事でもよく泣いていた。
「カッツェは本当は全然、強くないの。私なんかよりずっと、ずっと弱くて脆い子なの。誰かが傍に居なきゃ、前に進めないくらい…。私がカッツェに引っ付いている事がカッツェを私に依存させている事だとわかってるわ。でも、カッツェに大切な人が出来るまでって…」
だから彼に自分より大切な人が出来たと聞いた時は寂しい反面、嬉しかった。
たとえそれが敵の将だとしても。
――報われないから止めておきなさいよ
「あの子がソロンに会いに行くたび思っていたわ」


――ソロンの好きそうなお茶を見つけたんだ


とても幸せそうで


でも現実は優しくなくて



――ルカに僕の作ったケーキ、美味しいって言ってもらえたんだ


とても楽しそうで。



「あの子がルカに会いに行くたび思っていたわ」

――また、悲しい想いをしたいの?

「そんな事、言えるわけ無いじゃない」


そしてやはり現実は悲しくて。


「でも、カッツェは笑って言うのよ」

――僕は大丈夫だから

最愛の者が死んだのなら…それも二度。彼は立ち直れないほどに泣きじゃくると思っていた。なのに。
「泣いたのはあの時の僅かな時間だけ。それ以外はずっと笑っているの…」







愛しい人、愛しい人
あなたは幸せかしら
あなたは幸せだったのかしら
最初に愛したあなたは死んだ
最後に愛したあなたが殺した
最後に愛したあなたも死んだ
私がこの手で殺したの


ティントから帰還して数日が経ったある晩、カッツェの部屋に暗殺者が現れた。その所為か、カッツェは自室よりフェザーのいる屋上にいる事の方が多くなった。五感の鋭い者の傍にいる方が安心できるのだろう。

シュウは屋上へと足を運びながら、聞えてきた歌声に探し人の存在を確信する。
(…また、唄っているのか…)
最後の一段を昇り、目を閉じて唄う少年に視線を送る。


愛しい人、愛しい人
あなたは幸せかしら
あなたは幸せだったのかしら
あなたが幸せだと言ってくれるなら
あなたが私と出会えて幸せだと想ってくれたなら
わたしとてもしあわせよ
わたしとてもしあわせよ
わたしとてもしあわせよ


「カッツェ殿」
「え?あ、シュウさん、どうしたの?」
少し驚いたようにこちらを振り返った少年に向けて、言葉は水の様に流れ出た。

「本当に幸せですか?」

「え?」
カッツェは小首を傾げる。
「あなたは、それで本当に幸せなんですか?」
「?うん」
少年の返事は特に迷いは感じられない。
「では、何故唄うのですか。私には幸せであると言い聞かせているようにしか聞えませんが」
「…………」
そこで始めて少年の表情が微かに強張った。
「私だったら、相手さえ幸せならなどと言えるほど無欲ではありません。愛する人には自分を愛して欲しいし、常に傍らにいて欲しい。愛されていたという記憶だけで満たされない」
カッツェは目を見開き、驚いた様にシュウをじっと見詰めてくる。
二人は暫く微動だにせず見詰め合っていたが、シュウの方から視線を外して踵を返す。
「……一時間後に大広間で明日のグリンヒル市攻略についての作戦会議を行います。遅れない様に」
「………じゃない」
階段を降りようとした時カッツェが何かを呟き、シュウは足を止める。
カッツェはぼうっとしたようにシュウを見詰めている。


「し、あわ、せじゃ、ない、よ」


まるで、螺旋の止まりかけた人形のような喋り方に、シュウは振り返って再びカッツェへと近付く。
「カッツェ殿?」
「アハッ…アハハハハハハハハハ!!!!」
突然関を切ったようにカッツェは腹を抱えて笑い出す。シュウが眉を寄せてそれを見ていると、すぐにそれはぴたりと笑い止んだ。
「…幸せなもんか!!」
ガツッ!!
「!カッツェ殿!!」
カッツェは思い切り壁に右の拳をぶつける。鈍い音を立てたその小さな手の皮膚は裂け、血が流れ出す。
「ソロン!ルカ!どうしてここに居ないの?!」
「お止め下さい!!」
カッツェを止めようとその腕を取るが、容易く振り解かれてしまう。
「僕を見て!声を聞かせてよ!壊れるくらい強く抱きしめて「愛してる」って囁いて!!僕を愛してよ!!!」
「カッツェ!!」
シュウが渾身の力を込めてカッツェを抱き竦めると、腕の中の少年は暴れるのを止めた。
「……しゅ、ぅ……」
「乞い歌など、唄うな!!」


恋歌とは、恋願う歌


愛し愛されていた時を取り戻したくて足掻く


乞い願う歌


「駄目なんだ…駄目なんだよシュウ…唄っていないとどこかへ行ってしまいそうになるナナミじゃもう駄目なんだ…あの、幸せだった頃の…全てを分かっていて知らないフリをしていた、あの、幸せだった時の記憶に浅ましくしがみ付いていなければ僕は自分が壊れてしまいそうで怖いんだ…」
「カッツェ………」
自嘲気に呟く少年にシュウは思いの丈を込めて囁いた。

「俺が傍に居てやる。俺がお前を愛してやる」

「シュウさん…?」
「お前を愛しているんだ。お前があの二人を忘れられないのは分かっている。だが、それでも、俺はお前が欲しい」
「駄目だよ…僕にはもう、恋をする事が出来ない……何も残っていないんだ…」
「そんなもの、俺が与えてやる…少しずつでいい、俺を見てくれ」
「……………」
カッツェはそっとシュウの背に腕を回し、その胸に顔を埋める。
「ふ………ふはははは…………」
カッツェが乾いた笑いを上げると、より一層強く抱きしめられる。


この男も、いつかは僕を置いて逝ってしまうのだ
また、失うのだ。
今、ここで殺してやろうか。
今ならまだ、彼を愛していない。


……………でも……………暖かい……………


もう感じる事の出来ないと思っていた、この、全身を包み込む温もりに身を委ねてカッツェは静かに目を閉じた。



一筋の涙が、少年の頬を伝った。








(了)

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……お、終った……終ったのはいいが……なんかいつの間にやらシュウ主になっているのはどうしてでしょう…はて…?予定ではジル辺りでも出して「お兄様とソロンはきっとあなたと出会えて幸せだったと思うわ」みたいな事を言わせて、んでカッツェが「僕は、まだ頑張れるよ…約束を果たすから……見守っていてね」ってな感じに、ハッピーエンドっぽくするつもりでした。なのに……実際書いてみればこの有り様…。ゴメンねシュウ。やっぱり結構書ききれなかった事とかありますね。ソロンに貰った指輪とか(笑)う〜ん…こうなったら番外編でも書くか?う〜ん………最近暇が無いんだよね…疲れが溜まっている………ふう…。
(2000/05/29/高槻桂)



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