ひねくれ王子




それは昼休みが終わり、五時限目の授業が始まろうとしている時の事。
「今、何か望みはありますか?」
いつもの様に屋上で煙草を吸いつつぼーっと空を眺めている所に、不意に伴田がやって来ての一言。
「は?」
伴田にいつものニコニコ笑顔で問われ、亜久津は咥えていた煙草を落してしまった。
「とうとう呆けたか」
多少哀れみの含まれた、だが、明らかに嘲った笑みでそう返しても伴田の笑みは曇る事はない。
「例えばですねぇ、ささやかな願いを一つだけ叶えてもらえるとしましょう。君は何を願いますか?」
「はぁ??」
さらに訳が分からなくなった亜久津が伴田を見上げると、彼は「そうですねえ」と顎に手をやる。
「例えば、今日の晩御飯はカレーがいいとか、無いですか?」
「ねえよ!」
あほくさ、やってらんねえ。
そう吐き捨てて亜久津は立ち上るとさっさと屋上を出ていこうとする。
「まあまあ」
すれ違い様にその背をぽんぽんと叩く。
「何でも良いんですよ、ささやかなら」
「………」
言わなければ解放してくれそうに無い雰囲気に亜久津は舌打ちし、何か適当に言ってこの場を去ろうと思う。
先程伴田が例に出したように夕飯をカレーにしろとでも言っておくかと口を開いた瞬間、不意にリョーマの顔が脳裏に浮かんだ。
あの小憎らしい笑み付きで。
「……越前リョーマのあの捻くれた性格をどうにかしろ」
冗談半分で言ったつもりが、伴田は「はいはい」と満足げに頷いた。
「わかりました。ではそれにしましょう」
まさか何か妙な呪いでもするんじゃないだろうかとも思ったが、とにかく逃げるなら今だと悟った亜久津は、さっさと屋上を後にした。



結局そのまま授業に出ることは無く、亜久津は学校を出た。
宛てなくぶらぶらとしている積もりだったが、その脚は先ほど会話に上がったリョーマの元へと歩んでいた。
特にこれといって約束があったわけではなかったが、一度脳裏に浮かんでしまうと案外消えてくれないもので、暇ついでだと亜久津は青学の門を潜る。
この時間帯なら部活をしている頃だ。

テニス部を辞めた事、それ事態には後悔していない。
だが、もう彼と勝負ができないと思うと、少しだけ、惜しいと思った。

けれども翌々考えてみればテニスなど部活で無くとも十分できる。
あの昂揚感は忘れる事などできない。
小さな身体で球に追いつき、不適な笑みで亜久津を見下す。
自分が追い詰められようとも、決してそれを感じさせない強い眼。

強さを求める、彼のその表情が。

どんなに扇情的だったか、どれだけ亜久津を煽ったかなど彼は知らないだろう。
「……あ?」
耳をつくざわめきに、意識をそちらへ向ける。
どうやら目指しているテニスコートからのようだ。
「何だ?」
目的地であったテニスコートへたどり着くと、コートの端にレギュラー部員が集まっているのが見える。
「あの越前が…」
「越前…だよなあ…?」
フェンス近くに立っていた部員がヒソヒソと何事かを話している。
(越前?)
越前なんて苗字、そうそう居ないはずだ。となるとやはり騒ぎの中心はリョーマなのか。
(今度は何やりやがったんだ?)
本人が聞いたらアンタに言われたくないと言われそうな事を思いつつフェンスに近寄ると、レギュラージャージの円陣の中心にはやはりリョーマの姿があった。
彼は困ったような苦笑を浮かべ、何か否定するように手を顔の前で振っている。
彼らしくない笑い方だ。
「あ!」
不意にこちらに気付いたリョーマが声を上げた。
その表情はとても明るい。
「亜久津さん!」
「は?!」
亜久津はまた咥えた煙草を落としそうになる。
(亜久津さん?誰が。俺だな。いや、亜久津さんって…)
未だかつて「ねえ」とか「アンタ」とかそんな呼ばれ方しかしなかったリョーマが、「亜久津さん」?
亜久津が呆然としていると、彼は丁寧に謝りながら人垣を割り、亜久津の元へと駆け寄ってくる。
「もう学校は終わったの?あ、また煙草吸ってる!」
駄目じゃん。そう腰に手を当て、頬を膨らますリョーマ。
「……お前、何か悪いモンでも食ったのか?」
「そんな事無いよ!もう、みんなして大丈夫か大丈夫かって」
視線を彼の背後に転じると、どうして良いか分からず呆然としている者、面白がっている者、慌てふためく者と反応は様々の様だ。
「オイ河村!」
おろおろとしている一人である幼馴染を呼びつけると、彼は小走りにこちらへとやってきた。
「どういう事だ?」
「わかんないんだよ。朝は普通だったんだけど昼過ぎからこの調子らしくて……」
「昼?」
五時限目始めの、伴田とのやり取りを不意に思い出す。

――今、何か望みはありますか?


それに自分は何と答えたか。
まさかと彼はそれを笑い飛ばし、即座に否、と思い直す。
何せあの伴田だ。常識では有り得ないと思いつつも、それくらいやって退けそうである。
「あンのジジィ……」
がしがしと逆立った己の髪を引っ掻き回し、亜久津は舌打ちをする。
「河村、コイツ貰ってくぜ。原因に心当たりが有るんでな」
「え?あ、う、うん…」
「オイ、リョーマ、さっさと着替えて来い、帰るぞ」
亜久津がそうリョーマを見下ろすと、彼は「ええっ!」と困った様に声を上げる。
「でも、俺どこも悪くないし、部長だって許してくれないって!」
心底「亜久津に付いて行きたいけど、部長に怒られちゃう、どうしよう」という表情で亜久津を見上げるリョーマ。
最早可愛いんだか気味が悪いんだか良くわからない。
亜久津は煙草を指に挟み、盛大な溜息を付く。
「ヅカ!」
省略されているのが微妙な呼び方で亜久津がコート内でどうして良いかと思案している手塚を呼ぶ。
彼は呼び方にさして気にするわけでもなく、意を汲んだようにコクコクと三度ほど頷いた。
「ほれ、部長サンは早退しても良いってよ」
「はーい」
だからさっさと着替えてこいと促して、漸くリョーマはコートを出ていった。



「ねえ、何処行くの?」
「ジジィんトコ」
バスを降り、心持ち早足で歩く亜久津。コンパスの違うリョーマがそれに付いていけるわけが無く、自然小走りになってしまう。
「あ、悪ィ」
それに漸く気付いた亜久津が歩調を緩めると、リョーマはほっと息を付き、ありがとう、と微笑う。
「………」
普段なら「ねえ、速いんだけど」とか「アンタ、コンパスの差考えてよね」とかの憎まれ口が飛んでくるか、端から付いてこず、マイペースで歩くかのどちらかだった。
その度にむかっ腹を立てていたのだが、今はそれが無い。それどころか謝礼と笑顔付き。
(このままの方が良いんじゃねえの?)
不意にそう思い、足を止める。
「亜久津さん?」
きょとんとして見上げてくるリョーマ。その視線に訝しむ物はなく、純粋にどうしたのかという視線を注いでくる。
このままで良いじゃないか、と重ねて思う。
あの、これ以上にないくらい生意気で、挑戦的で、人を小馬鹿にした態度のリョーマより、今の素直で従順な方が好感を持てるし、我侭を言わないから都合が良い。
下手に伴田の元へ連れて行って、元に戻されたりしようものなら勿体無い事この上ない。
亜久津は山吹中に向いた爪先を変え、来た道へと向ける。
「………」
じゃり、と踏んだ砂がアスファルトを擦れる。

――アンタ、良い踏み台になるよ。

口元を笑みに歪め、少年は言い放つ。
その頬を汗が伝う。
それはとても扇情的で、亜久津を興奮させた。

それは、彼が「越前リョーマ」だからこそで。

「……行くぞ」
再び山吹中へと爪先を向け、歩き出した。



「おや、どうしたんです」
山吹中へ辿り着いた二人は伴田を探すべくテニスコートへと向かう途中だった。だが、探すまでも無く彼は散歩中だったらしく、校庭側の木陰に佇んでいた。
「どうもこうもねえよ!コレ、戻せ!」
ぐいっとリョーマの首根っこを引っ掴んで伴田の前に突き出すと、彼は「おやおや」と心外そうな表情をする。
「戻すんですか?君の願いだったんでしょう?」
いいから戻せと怒鳴る亜久津に、伴田は残念そうに息を付いた。
「わかりました。ただし、一つ質問に答えて下さいね」
「あ?」

「どうしてこのままではいけないのです?」

それは、ついさっきまでの亜久津自身の疑問。
「……馬鹿は太一だけで十分だ」
それに、と状況の飲み込めていないリョーマを見下ろす。
「コレは、俺の越前リョーマじゃねえ」
「そうですか、そうですか」
満足そうに頷く伴田に、亜久津ははっと我に返る。
もしかしなくとも、今自分はとてつもなく恥かしい事を言ったのではないだろうか。
「ちょっ、今の…!」
無し、と言おうとするのを「しっ」と伴田の口元に立てられた人差し指に止められる。
「ご苦労様です」
伴田はそうリョーマに労いの言葉を書けると、ぽんぽんと少年の肩を叩いた。
途端、リョーマの体は傾げ、亜久津の胸に凭れ掛かるように倒れる。
「リョーマ!」
慌てて崩れ落ちるリョーマを受け止める。
その瞳は閉ざされ、ぐったりとしていた。
「すぐ眼を覚ましますよ」
「オイてめえ…!」
何をしたんだと顔を上げると、伴田は既に二人に背を向けて校舎のある方へと向かっていた。
「チッ…」
伴田を追いかけるにしても、リョーマを置いて行くわけにはいかない。
亜久津はリョーマの脇と膝裏に腕を回し、抱き上げる。
所謂お姫様抱っこという奴だ。
そのまま木陰へ入り、樹の根本に座り込む。
「……リョーマ」
ぶっきらぼうに名を呼ぶが、まだ彼の目覚める気配はない。
「………」

――亜久津さん!

無邪気に笑い、自分を見上げてくるリョーマを、気味が悪いと思う反面、可愛いと思った。
いつもこうだったら良いのに、と。
けれど。

――ねえ、喉乾いたんだけど。

生意気な方が、似合っている気がしたのだ。
ムカツクし、可愛げは無いし。
それでも。

「リョーマ」
瞳の色と同じ、漆黒の髪に口付ける。


それを、とても愛しいと、思うのだ。


「ん……」
腕の中の少年が小さく喉を鳴らし、その瞳を薄らと開いた。
それをじっと見下ろしていると、リョーマはぱちっと目を開き、「あれ?」と声を上げる。
「……ちょっとアンタ、何してんだよ。つーか、ここ何処」
自分の置かれている状況を把握したリョーマが、もそもそと亜久津の膝から折りつつ棘のある視線で見上げてくる。
「学校は?ちょっと今何時?うわ、授業終わってるし!」
「お前、」
「あーーーーーーー!!!!」
覚えてねえのかと続く筈だった言葉は、突然の第三者の叫び声に遮られた。
「亜久津がリョーマ君襲ってるー!!!」
ジーザス!!と両手で頬を覆った人物は千石清純。
煩いヤツが来たと溜息を吐く間に、千石の絶叫に呼び寄せられて太一までやって来た。
「ああ!亜久津先輩ズルイです!!」
「だよね〜!あっくんってば伴爺が居ないからってそーゆーことしちゃダメだよ〜」
「あっくんって呼…ちょっと待て、ジジィが居ないってどういう事だよ」
「どうって、今日は伴爺、どっかの学校の監督んとこ行ってるから居ないって。南が朝練の時言ったジャン」
なあ、と千石が隣りの太一に同意を求めると、太一は「そうですよ」と頷いた。
「さっきそこにいたじゃねえか」
ここからあっちへ、と指で伴田の消えた方を示すと、太一がそれを否定する。
「僕らあっちから来ましたですけど、会いませんでしたよ?」
「…………」
ならあれは誰だと沈黙すると、ぐいっと袖を引かれた。
「ねえ、どうでも良いからさっさと送ってってよ。ここ、山吹なんデショ?帰り方、わかんないんだからさ」
一人蚊帳の外にされていたリョーマは不機嫌そのものの表情でそう言い放つ。
「ああ?」
んなモンてめえで帰れと言おうとして、ふと口を噤む。
「リョーマ君!俺が送っていってあげるよ!」
「越前君、僕と帰るです!」
二人の誘いをリョーマはつんとした表情で払いのけた。
「ヤダ。亜久津じゃないと帰らない」
そんなリョーマのふて腐れた表情に、亜久津はくっと唇の端を吊り上げる。
「仕方ねえな、行くぞ」
草を払いながら立ち上がり、さも当たり前のように差し出されたリョーマの手を取る。
「喉乾いた。ファンタ飲みたい」

ああ、やっぱコイツは生意気な方が、可愛い。







(END)
+−+◇+−+
エセファンタジー!!ワーー!!(痛)
何かもう無茶苦茶でスミマセン!!
この話、王子から生意気さとかを抜いたら太一と被るなーと思ったのが切っ掛け。
でもそれじゃあ王子じゃないなあと。あの生意気さとかがあってこその王子だと思っているのでそれを亜久津リョでやってみました。
橘リョを同時進行していたんですが、気付いたらこっちが先に書き上がってました。あれまァ。
それにしても、最近暇過ぎて何もやる気が起きません、最悪です。(爆)
働いている時間以外は寝てる気が…SSなりゲームのプログラムなり進めろよって感じですね。
(2002/02/19/高槻桂)

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