夏の残り香





「ただいま呼び出しておりますので、少々お待ち下さい」
「ハ、ハイ!」
事務員の女性にそう言われ、成瀬はコクコクと頷いた。
成瀬が訪れたのは『南郷大学付属筑波学園高等学校』
その受付前で、彼は限りなくそわそわしていた。
(あー、すっごい緊張してるよ)
初めて訪れた場所。校舎を見た時は「ホントに学校かよ」と思うくらい仰々しい造りで、自分には不似合いだと思わせる雰囲気。
わけの分からない絵が描かれた壁画の良さがわからないまま見詰めていると、成瀬、と背後から呼ばれた。
振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
「あ、三上さん、こんにちは」
「ああ、迷わなかったみたいだな。部屋に行こう」
ふと軽く笑う青年、三上圭悟は成瀬を校内に招き入れた。



「熱いから気を付けろ」
「あ、有り難うございます」
コーヒーの入ったマグカップを差し出され、成瀬は落とさぬ様しっかりと受け取る。
「そう言えば、駅前でK2さんに会いました。」
「K2に?」
三上が意外そうな顔をして、成瀬はちょっと笑う。
「はい、秋葉原の帰りだって言ってました。あと、ここの道順も教えてくれたんです」
「そうか」
会話が途切れ、成瀬はコーヒーに口をつけながらきょろりと部屋を見渡す。広さは六畳ほどだろう。窓にはモスグリーンのカーテンがかかっており、あとはよくある型のデスク。そして今、自分の眼前にある小さなグレイのテーブル。これは多分三上自身が持ち込んだ物なのだろう。何だか、澤村の部屋とはまた違った殺風景さを醸し出していた。
(寮って何処もこんな感じなのかな)
ちらりと斜め前に座っている三上を見ると、三上もコーヒーに口をつけており、僅かに伏せられた目元に成瀬はつい見とれてしまう。
「ぁちっ」
熱さに慌てて舌を引っ込める。ぼけっとしていた所為で舌に軽い火傷を作ってしまった。
「大丈夫か?」
三上は微かに苦笑して自分のマグカップをテーブルに置くと、成瀬の持っていたマグカップも取り上げてコトンと軽い音を立ててテーブルに置いた。
成瀬が「大丈夫です」と笑うと、すっと三上の顔が近づいてその唇が重なり合う。
「ひゃっ…」
成瀬が突然の事に驚きの声を上げると、その開かれた唇の隙間から三上の舌が入り込んで火傷した舌先をちろりと舐められる。
「ん…」
くすぐったさから成瀬が舌を引っ込める。三上の舌もそれと同時に成瀬の口内から出ていき、その唇も離れる。
「み、み、みかっ」
顔を赤くして慌てている成瀬を引き寄せる。そして自分の脚を跨がせ、抱きしめた。これにも成瀬は慌てたが、暫くすると落ち着いたのか三上の肩に手を置いてきた。
成瀬は拒絶していないが受け入れているというわけでもない、未だに途惑っている様子だ。三上はそんな成瀬に感付かれない様にそっと苦笑する。
二人がそんな関係になってからまだ一ヶ月も経っていない。出会った時からもまだ数ヶ月。
拒絶されるのを覚悟して、三上は成瀬に自分の思いを告げた。そして半分だけ、彼は受け入れてくれた。
――俺、自分の気持ちもわからないんです…だから…
それでも構わないから、と。成瀬が自分を愛してくれる可能性が少しでもあるならそれに賭けたかった。
「……」
成瀬の背に回していた腕をトレーナーとズボンの境目にずらす。トレーナーとその下に着ているシャツを引き上げ、その素肌へと続く隙間から手を滑り込ませる。
「っ…」
成瀬は指の冷たさも手伝い、びくりと反応を示したが三上の首筋に顔を埋めたまま抵抗はしない。
「成瀬…」
友情とか、その程度だったのならこんな事されたら嫌がる筈だ。しかも成瀬は素直な分、嫌なら嫌とはっきりそう言うだろう。だが成瀬は戸惑いを露にしても、一度として抵抗の意思を見せた事はなかった。だから自分の判断は間違っていなかったと、三上は信じている…信じたい。
「みか、みさ…んっ…」
成瀬が切れ切れに三上の名を呼ぶ。滑り込ませた手の一方は腹や背に指を滑らせ、もう一方は胸の突起を玩んでいる。
「…っん…」
しがみ付く指の力が増し、呼吸も僅かに速くなっていく。そして肌の上を滑っていた指がジーパンのチャックにかかり、成瀬は制止の声を上げようとする。
トゥルルルル…
「…………」
「…………」
狙ってやったかのような絶妙なタイミングに二人は固まった。そして二度目のコールが鳴る。成瀬は三上からぱっと離れ、赤く染まった顔を俯かせている。三上は成瀬に気付かれない様に小さく溜息を吐くと、内線ボタンが点滅している電話を取った。


「やっ、圭悟。今受付にいるんだけど、バスケしに行かない?」
内線を繋いでもらった受付で、真琴はここにはいない三上の変わりにか、電話に向かって笑顔を送る。ちょっと間抜けかな、と思いながらもつい笑ってしまう。
『いや、来客中だから止めておく』
機械越しに聞える三上の声。真琴は不満たっぷりに「えーっ」と呟く。
「だって成瀬君だろ?一緒に行こうよ」
そう言うと、三上は少しの間沈黙する。
『…K2に聞いたのか』
相変わらず察しが良い。
「そうだよ、ね、行こうよ」
そう言うと三上は少し待つ様に言い、沈黙が流れる。きっと成瀬にどうしたいか聞いているのだろう。
『……真琴』
暫くして三上の声が再び聞えてくる。
「ん、どうなったの?」
真琴がそう聞くと、何故か三上は溜息でも吐きそうな声で
『今から行く』
と呟いた。





「あー、すっとした!」
真琴がにこやかにレモンティーを飲む。
あれから三人で校舎に囲まれた空き地にあるゴール・リングで、時が経つのも忘れてゲームに熱中していた。気付けば既に四時を回っており、息抜きも兼ねて近くの喫茶店で一息ついていた。
「やっぱ圭悟とゲームしてる時が一番楽しいよ」
そう言われ、三上はちょっと照れたように微笑む。
「それにしても圭悟が他人を部屋に上げるなんて、初めてじゃない?ボクですら入れてくれた事ないのに」
さり気無く「他人」を強調されたような気がして、成瀬はむっとして真琴を見るが、真琴は相変わらず笑顔でいる。
「…今までは遅くまで兄さんと特訓をしていたから呼べなかっただけだ」
三上が憮然として言うが、真琴は子供の様にふくれて抗議した。
「えーっ、でも監督が居なくなってからも部屋に上げた事ないだろ?」
「上がりたいなんて言われなかったからな」
「そぉだっけ?」
するとピーッピーッという電子音が微かに響き、三上がポケベルを取り出す。
「コーチから?」
真琴の質問に、三上は「ああ」と短く答え、成瀬に言う。
「すまない、電話してくる」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
成瀬はにこっと笑い、店内に設置されている電話ボックスの方へ向かう三上を見送った。
「………」
何だか気まずい空気が流れ、成瀬はちらりと三上を見送っている真琴を伺いながら、良く冷えたカフェオレを飲む。すると真琴がその視線に気付いたのか、成瀬と目が合う。
「ねえ、今日ってどっちから誘ったの?」
真琴にそう問われ、成瀬はグラスから口を放し、ちょっと笑って言った。
「あの、三上さんが電話くれたんです」
「圭悟から?」
真琴が小声ながらも、十分素っ頓狂な声を上げる。
「?はい」
成瀬がハテナマークを飛ばしながら頷く。真琴は慌てて笑顔を取り繕うと「変な事聞いていい?」と問う。そして成瀬の了解を得ると、今まで怖くて聞けなかった事を思い切って聞いてみる。
「…圭悟と恋人同士なの?」
「へっ?」
成瀬の動きが止まる。バレたくない事がバレてしまった、という表情だ。真琴はにこぉっと笑う。
「大丈夫、僕は知ってるから」
嘘。ホントは知らない。でも薄々気付いていた。三上自身は隠しているつもりかもしれないが、三上の成瀬への態度でわかってしまった。
(でも…)
もしかしたら違うかもしれない、そんな願いが篭っていた。だが、成瀬は一気に顔を赤くして、照れながら真琴の一番恐れていた言葉を発する。
「えっ、あのっ………はい…」
成瀬は俯いていて気付かなかったが、真琴の顔はそれとわかるほど強張っていた。それでも、まだ聞かなくてはならない事がある。真琴は出来るだけ明るい声で言葉を発する。
「どっちから告げたの?」
頭の中で声が聞える。
――キットコイツガ勝手ニ付キマトッテイルダケダ
そうに決まっている。
「えと…三上さんから…」
決定打。
(それでもボクは…)
ケイゴハボクノ…
「へえ、それで君の気持ちはどうなの?」
そう聞くと、今まで頬を染めていた成瀬は、打って変わってしゅんとする。
「?どうしたの」
「…俺、わからないんです」
「わからない?」
真琴が鸚鵡返しに聞くと、成瀬はストローでカフェオレと氷をかしょかしょ混ぜながら、こくりと頷いた。
「三上さんの事は確かに好きですけど…それが恋なのか、友情なのか…わからないんです」
そんな成瀬の言葉を聞き、真琴は腹立たしさを覚えた。
自分がいくら望んでも手に入れられなかった彼の心。それを手に入れておきながら、「わからない」などと。
「そんな中途半端な気持ちで圭悟を傷付ける気?」
その童顔からは想像できないほどのキツイ眼差しで成瀬を睨み付ける。成瀬は豹変した真琴に一瞬驚きの表情を見せたが、言われた事に反論できないのか黙っている。
「わからない、なんて言ってるぐらいだったら離れなよ。その程度の想いで圭悟の隣に居て欲しくない。」
きっぱりと言い放つと、成瀬は涙こそ浮かんではいないものの悲しそうな顔をしている。だが真琴にとってはそんな事どうだってよかった。
「圭悟を一番理解してるのは僕だ。圭悟は返してもらう」
成瀬の大きな瞳が更に見開かれる。だが、すぐ俯くとすっくと立ち上る。
「…確かに、真島さんの言う通りかもしれません…俺、先帰ります、三上さんには急用が出来たとでも行っておいてもらえますか?」
「うん、いいよ」
再び真琴がにこりと笑うと、成瀬はカフェオレ代の数枚の硬貨を置いて席を立った。
「ばいばい」
真琴がひらひらと手を振ったが成瀬はそれに答える事も出来ず、足早に店を出て行った。
成瀬が出ていって数分後、三上がようやく戻ってくる。
「長かったね。コーチ、何て言ってた?」
「ああ……成瀬は?」
自分の質問を受け流され、成瀬の事を気にかける事に微かな嫉妬を抱きながらも、いつもの笑顔で「急用が出来たからって帰ったよ」と偽りを告げた。





「ただいま…」
重い足取りで帰路に就き、家のドアを潜る頃には既に日も暮れていた。
階段をぽてぽて上っていると、台所から母が顔を出す。
「徹、ご飯どうするの?」
「後で食べる〜」
気のない返事を発しながら成瀬は自室のドアを開けた。そして後ろ手に閉めるとそのままベッド上にボスッと倒れ込む。
『そんな中途半端な気持ちで圭悟を傷付ける気?』
真琴に言われた言葉がはっきりと脳裏に蘇る。
(そんなの、わかってるよ)
だから断った。だけど、それでもいいと彼は言ってくれた。だから今まで考えもしなかったけれど…
(俺、三上さんの気持ちに甘えてるだけなのかなァ)
はふう、と特大の溜息を吐く。
『圭悟を一番理解してるのは僕だ。圭悟は返してもらう』
(…真島さん、もしかして三上さんの事…好きなのかな…)
ごろん、と体を反転させ、天井を見詰める。
(三上さんも真島さんも…スゴイな…俺なんか自分の気持ちですらわかんないのに…)
『わからない、なんて言ってるぐらいだったら離れなよ』
もう一つ溜息を吐いてきゅっと目を閉じる。
(俺…どうしたいんだろう…)





あれから数週間後の夕刻、成瀬は筑波にいた。
「…何で来ちゃったんだろ」
うろついて見つけた公園のベンチで一人、引き攣った笑いを浮かべる。
あの日以来、成瀬は三上と会っていなかった。三上からの誘いは数度あったがそれを尽く断ってきた。真琴に言われた言葉が心に突き刺さったかのようにずっと響いている。
「…何で来ちゃったんだろ」
成瀬はもう一度同じ事を呟き、溜息を吐く。ただでさえ金欠なのに用もなく、しかも筑波まで来るなんて…。
(午後部活が終わっていつもの電車に乗ろうとしたら…隣の車線に特急が止まってるんだもォんなァ…つい、ふらふらっと…)
もう、会わないって決めたのに。
でも、まだ彼に言う決心がつかない。
「バッカだなァ、俺…」
苦笑し、いつまでもここにいても仕方ない、とベンチから腰を上げ、荷物を抱えて公園を出ようとしたその時だった。
「成瀬?」
「はえ?」
気の抜けた声で振り返ると、そこには三上が立っていた。そしてその隣には真琴。
「あ…」
真琴と目が合う。真琴は何故ここに居る、と言わんばかりの視線を送ってくる。成瀬はその視線に堪えられず、くるりと踵を返すと公園の出入り口に向かって走り出そうとする。
「成瀬!」
だが、三上の反応の方が早かった。成瀬の右腕は三上にしっかりと捉えられてしまっている。
「成瀬、どうしたんだ?お前がこの街にいるなんて…それに何で逃げるんだ」
三上がじっと見詰めてくる。成瀬はその視線を合わせれず、視線は虚空を泳いでいる。
「成瀬…どうして俺を見ない」
(今言っちゃえ!絶好のチャンスじゃないか。言え、言うんだ!)
「…あのっ」
勇気を振りしぼり、逸らしていた視線を合わせ、三上を見詰める。
「俺…もう三上さんとは…会えません…すみませんっ」
「!?」
驚愕から成瀬の腕を掴む力が緩む。成瀬はその隙に腕を振り解き、今度こそ公園出入り口に向かって走った。
背後で三上と真琴の声が聞える。公園を出て角を曲がる時、ちらりと公園内を振り返ると三上が真琴を置いてこちらに駆け出す所だった。
(ヤバイッ、追ってくる)
やっと会わないと決心する事が出来たというのに今ここで捕まったらまた中途半端な自分に逆戻りしてしまう。
だが、この街に不慣れな成瀬と、一年以上も筑波にいる三上では追いつかれるのも時間の問題である。
(どうしよう)
すると横手からぐいっと腕を引かれ、細い路地へと連れ込まれる。とっさに腕を振り解こうとすると「阿呆」と小突かれる。
成瀬を引っ張ったのは藤堂だった。
「三上から逃げるんだろう?」
「藤堂さん!?」
「…ついてこい」
そう言うと、藤堂はさっさと入り組んだ路地を突き抜けていく。成瀬は疑問を抱いたまま、慌ててその後ろをついていった。



「…完全に撒けたようだな」
入り組んだ路地を走り回り、成瀬には自分が何処に居るかわからない、路地裏の一角にいた。
「あの…どうして助けてくれたんですか?」
成瀬がそうっと聞くと、藤堂は片眉を軽く跳ね上げた。
「…………それより、時間…あるか?」
思ってもみなかった誘いに成瀬は自分の質問に答えてもらえなかった事も忘れて首を傾げる。だが特に断る理由が見つからなかったため、こくりと頷いた。



連れてこられたのは、一度来た事のある喫茶店だった。
(ここは…あの時の…)
『フォルテシモ』と名づけられたその喫茶店は、以前真琴にきつく言われたあの喫茶店だった。
時間が中途半端だからか、ぽつぽつとしか客のいない店内のカウンターでカップを拭いているマスターらしき中年の男は「やあ」とにこやかに笑った。
「後ろの子はバスケ仲間かい?」
「…………」
藤堂はこくりと肯き、奥の扉を指差す。男はそれだけで分かったらしい。
「ん?ああ、開いてるから好きに使いな」
藤堂は勝手知ったる足取りで店の一番奥にある。「従業員休憩室」と書かれたプレートが下がっているドアを開け、成瀬に入る様目で伝えてくる。成瀬はそれに素直に従い木製のドアを潜るとそこには三人座りのソファが左右に一つずつあり、その間には楕円形のテーブルが置いてある。まるでカラオケボックスかのようなこぢんまりとした部屋だった。成瀬は、藤堂が右側のソファに座ったるのを見ると、反対側のソファに腰掛けた。
腰掛けたところで藤堂が口を開いた。
「……お前、まだ自分の気持ちが分からないのか?」
藤堂の言葉に、成瀬の目が見開かれる。
「知って…いるんですか?」
藤堂は答えない。ただ先程と同じように、その視線が「知っている」と言っていた。成瀬は素直に「はい」と答えると、藤堂は小さな溜息を吐いた。
「……全く……」
何が「全く」なのかはわからなかったが、呆れられているのだと言う事は成瀬にも分かった。だが、むっとするより悲しさの方が強かった。
すると、藤堂は立ち上って成瀬の前に立った。
「?藤どっうわっ!?」
突然肩に強い力を感じ成瀬の視界が揺れたと思うと、背にソファの感触がして視界には覆い被さった藤堂の姿が広がった。突然の事に呆然としていると彼の片手は成瀬の両腕を捕え、もう一方は服の中へと差し入れられる。
「とっ藤堂さん?!」
困惑と驚愕の入り交じった表情で藤堂を見るが、当の本人はお構い無しにするりと指を成瀬の素肌に這わせていく。
「やっ…藤堂さんっ!」
成瀬は抑えられている腕を解こうとするが、押さえつける力は強くてそれも叶わない。
(嫌だっ)
されている事は三上と殆ど変わらないのに、凄く嫌な感じがする。鳥肌が立つ。
「嫌だぁ!」



「圭悟!」
追いついてきた真琴が、まだ辺りを見回している三上の袖をくっと引っ張る。
「圭悟、もういい加減にあきらめなよ」
「放って置いてくれ」
尚も成瀬を探そうとする三上の袖を更に強く引っ張る。
「彼はもう、圭悟とは会わないって決めたんだ。それが圭悟にとっても、一番良い結果なんだよ」
「それでも…俺の側に、いて欲しいんだ」
三上が辛そうに顔を顰める。それでも真琴は尚も言い募る。
「あいつ言ってたよ。圭悟の事、好きなのか分からないって。そんな圭悟の事好きかどうかも分からないまま付き合うような中途半端なヤツの事なんて忘れなよ」
真琴の言葉に三上は首を左右に振る。
「圭悟!」
「そんな事、初めから知っていた」
「え……」
ぐいぐいと三上の服の袖を引っ張っていた手が、ぴたりと止まる。
「成瀬は、自分の気持ちが分からないから付き合えない、そう言ったんだ。だが、それでもいいと俺が強引に引き止めたんだ」
真琴の顔が見る間に強張っていく。だが三上はそれに気付かない。
「少しでも可能性があるのなら、と」
――成瀬が自分を愛してくれる可能性が少しでもあるなら……
「圭悟…」
真琴が呆然として三上を見る。
「…クソッ…藤堂が行きそうなのは…」
「………『フォルテシモ』」
ぽそりと真琴の口から零れ落ちたのは、以前成瀬とも共に行った、学園に一番近い喫茶店の名前。
あの場所を教えてくれたのは藤堂だった。マスターが知り合いだからと言って。
「フォルテシモ?…そうか…行ってみる。お前は先に帰ってろ」
三上はそう言い残し、再び街の喧騒の中に消えていった。残された真琴はぽつりと呟いた。
「あいつ、何も反論しなかったから…」
――わからない、なんて言ってるぐらいだったら離れなよ。その程度の想いで圭悟の隣に居て欲しくない。
「あいつが…圭悟に知らせないまま中途半端に…付き合っているんだと…」
頭の中にいつかの自分の声が響く。
――きっと、こいつが勝手に付きまとっているだけだ…
「僕は…」
自分の中にある、圭悟の「イメージ」と、本当の圭悟との区別がついていなかったのかもしれない。
――圭悟を一番理解してるのは僕だ。圭悟は返してもらう
「僕は」
僕は…一番肝心なトコで圭悟のコト
「何も…わかっていなかったのか…」



ぴたりと動きが止まり、成瀬は固く閉じた瞳を恐る恐る開く。
「…藤堂さん…?」
不覚にも浮かんできてしまった涙のせいでその表情は読み取れなかったが、きっといつものポーカーフェイスなのだろう。
「…これでもわからないか?」
「え…」
「三上なら平気なんじゃないのか?」
三上ナラ平気ナンジャナイノカ?
「………あ………」
三上に触れられた時…
(嫌じゃなかった)
でも今は凄く怖くて、嫌だった。
「…何で…こんな簡単な事…」
もっと早く気付いていればよかった。
そうすればあんな哀しい事、言わなくてもよかったのに…
藤堂はそれ見た事か、と言わんばかりに溜息を吐くと戒めていた彼の腕を自由にしてやり、その目尻を伝う涙を親指で軽く拭ってやる。
「すまない。泣くとは思わなかった」
成瀬は何を言って良いのかわからず、ただ首を左右に振った。
するとドアがバタンと開き、二人はぎょっとしてそちらを見る。
「三上さん!」
入ってきたのは三上だった。ここまで走ってきたのか、息が少々上がっている。
「何をしている…ッ」
怒りを押し殺した声に、成瀬は今自分の状況を思い出した。それと同時に藤堂が退き、成瀬は慌てて服の乱れを整える。
「藤堂、どういう事だ」
三上が今にも掴み掛からんばかりに藤堂を睨み付ける。
「三上さんっ、違うんです!」
成瀬が慌てて止めに入る。
「藤堂さんは僕に気付かせてくれただけなんです!」
「何?」
三上が困惑の表情で藤堂と成瀬を見る。
「痴話喧嘩は他人の迷惑にならない所でやれ」
しれっとして藤堂は二人を小部屋から押し出し、自分はさっさと店を出ていく。
「藤堂!」
引き止めようとした三上の腕に、成瀬はしがみ付き、それを制する。
(藤堂さん…)
「ありがとうございます!」
三上を抑えたまま、成瀬は藤堂に向かって叫ぶと、まだ数人いた客が驚いてこちらを見てきた。成瀬ははっとして客に頭をぺこっと下げ、藤堂を見ると彼は扉の所で立ち止まり、こちらをちらりと見てきた。そして、ふ、と本当に微かな笑みを見せ、店の外へと姿を消した。
成瀬は「よしっ」と呟くと、困惑顔の三上を見上げる。
「話したい事が沢山あるんですけどここじゃ言えないから…今から三上さんの部屋、行ってもいいですか?」
三上は相変わらず困惑したまま、「ああ」と成瀬に答えた。





訪れる事はもう無いと思っていたその部屋に足を踏み入れる。二人とも以前と同じ場所に座る。先に口を開いたのは成瀬だった。
「俺…三上さんの気持ちにに甘えてたんです」
あの時と同じようにコーヒーが置かれる。成瀬は置かれたカップから視線を外し、三上の目をじっと見詰める。
「俺、三上さんの事が好きです」
「成瀬……」
三上の目が見開かれる。成瀬はゆっくりと反芻するようにもう一度想いを告げる。
「三上さんが、好きです」
三上は立ち上がり、成瀬の前で腰を下ろす。
「本当にか?」
「はい」
ずっと、欲しかった言葉。
三上はふわりと微笑む。
「……ありがとう」
そっと成瀬を抱き寄せ、その髪に顔を埋める。
その柔らかな髪からは、シャンプーの甘い香いの中、微かに夏の香りがした。






(END)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
うおう、これいつ書き始めた作品だ?半年以上前だぜオイ。ずうっとほったらかしてあったからな〜…フロッピー整頓してたら出てきたから書き上げました。本当はやおいが有って、後日談があったんだけど長いからパス。元々オフセ本用だったからSSとして見ると長め。だから無し!三上×成瀬は私的に一押しです。
(2000/10/14/高槻桂)

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