SIGNAL
昼休み、リョーマは図書館で手塚国光の顔を眺めていた。 「何調べてるの?」 図書当番の仕事を終え、暇を持て余したリョーマは手塚が開いている本をひょいと覗く。見開き一杯に並ぶ古文に、古典の苦手なリョーマは顔を顰めた。 「古典?」 「ああ。明日までに訳すのが課題だからな」 だから邪魔をするなと言わんばかりの手塚に、リョーマは詰まらなそうに唇を尖らせる。 「折角二人きりなのに」 広い館内には二人以外の気配はない。司書の女ですら隣の司書室に篭って出てこない。 「ねえ、キスしていい?」 「却下」 視線をノートから上げる事無く答える手塚。 リョーマの機嫌は本格的に悪くなり始め、むすっとして肘立てした手に顎を乗せる。 「……」 それをちらりと横目で見た手塚は小さく溜息を吐き、ペンを持たない手でくしゃりとリョーマの髪を撫でてやる。 それに多少は機嫌を直したのか、リョーマは微かに顔を綻ばせ、ぎゅっと抱きついてきた。 「ね、オレの事、好き?」 「ああ」 「ちゃんと言ってよ」 短い応えが気に食わなかったのか、手塚の首筋に顔を埋めて少し怒ったように呟く。 「越前、学校では言わないと言っただろう」 「………」 リョーマは無言で腕を放すとまた元の様にふて腐れて椅子に座る。 手塚はリョーマが納得したのだと思い、再びノートと教本へと視線を戻した。 「越前君」 そのまま幾ばかの時が過ぎ、司書室の扉が開いて司書が顔を覗かせた。 「越前君、悪いんだけど、このカードも処理してくれるかな」 司書の言葉にリョーマはちらりと手塚を見るが、気にした風も無く彼はペンを進めている。 「……」 席を立つとカウンターまで行き、その幾枚かの図書カードを受け取った。 「判子だけで良いから」 「…っす」 こくりと頷くと、司書は礼を言って再び事務室へと篭ってしまった。 「………」 リョーマは小振りの朱印を返却欄に押しながらちらりと手塚を伺う。 先程と同じく視線に気付かない手塚。 リョーマは視線をカードに戻すと唇を噛み締め、目の前の作業に没頭した。 いつもの様に放課後部活を終え、さっさと部室を出るとそこには先に部室を出た筈の乾が立っていた。 「途中まで良いかい?」 珍しい誘いに内心首を傾げながらもリョーマはこくりと頷いた。 「調子悪い様だね」 並んで校門を出た所で乾が口を開く。 「誰だって不調の時くらいありますよ」 素っ気無く言い返すと、乾はふぅん?と意味ありげに相槌を打つ。 「手塚の事とか?」 「………」 図星を突かれ、リョーマはむっとしながら歩くスピードを上げる。だが、コンパスの差からしてそれは徒労に終わり、リョーマは一層機嫌を悪くした。 「ところで越前、俺んち、すぐそこなんだけど」 だからどうしたと言い返そうとしたリョーマは、乾の意図を察し、彼を見上げた。 「手塚の事、なんだろ?」 再度確認するような言葉に、リョーマは歩みを止める。 「少し、話をしようか」 「手塚」 廊下で知った声に呼ばれ、振り返るとそこには乾が立っていた。 「何だ」 「最近、越前とはどう?」 その問いに手塚はいぶかしげに乾へ視線を送る。 「何が言いたい」 「先週の土日の事、残念がっていたよ」 乾の言葉に手塚の表情が険しくなる。 先の土日はリョーマが留まりに来る筈だったが、急遽入った手塚の都合で保留になってしまったのだ。 だが何故乾がそれを知っているのだろう。 リョーマが話したのだろうか。私事を打ち明けるほど二人の仲が良かったわけでもない筈だが。 「子供はね、手塚。いつでもシグナルを発しているんだよ」 「何を……」 それに答える事無く乾は踵を返してその場を立ち去った。 追いかけて問い質したい衝動に囚われたが、委員会の時間が迫っている。手塚は仕方なく会議室へと足先を向けた。 「では、解散」 委員長の声と共に正味二十分ほどの会議は終わり、ふと窓からテニスコートを見下ろした。無意識にリョーマの姿を探した手塚は、さほど時間を掛けず桃城と打ち合うリョーマの姿を見つけ、その表情を僅かに緩ませる。 不意にそのラリーを乾が止めた。 乾はリョーマの傍らに立つと、一言二言話し掛け、桃城側の左コーナーを指差した。 リョーマが小さく頷くと同時に乾は再びコートを出てリョーマがサーブを打つ。 桃城が打ち返す事を許さない見事な打球。 リョーマが乾を振り返ると、再び傍らに立った乾はリョーマの頭を帽子の上からぽんっと手を乗せた。 誉められたのが嬉しかったのか、リョーマははにかんだ様に笑った。 遠目ではあったものの、それは紛うことなく手塚だけに見せていた彼の素直な笑顔だった。 「………」 沸き上がる不快感を抑え、手塚はその光景に背を向けた。 「ちゃんと見てたようだね」 他の部員たちが全員返って行くのを見送った後、乾はそう切り出した。 「どういうつもりだ」 内面の激情を消し去ったかのように低く、静かな手塚の声音。 「何か勘違いしてるようだから先に言っておくけど、別に俺と越前は君らみたいな関係じゃあないから」 「だが…」 なあ手塚、と乾は彼の言葉を遮る。 「前にも言ったよね。子供はいつでもシグナルを発しているって」 「?ああ」 「何故それに気付かないんだ?それとも本当は分かっててそうしているのか?」 「何の事だ」 本当に分かっていない風体の手塚に、乾はやれやれと心底呆れたように息を吐く。 「受信者が朴念仁だったら意味の無い事だったね」 「先程から一体何が言いたい」 イライラとした声音に乾は軽く小首を傾げてみせる。 「寂しいんだよ、越前は」 「……何?」 手塚の切れ長の眼が微かに見開かれる。 「手塚、忘れてるだろ。越前はちょっと前まで小学生だったんだぞ?」 リョーマはそのテニスの才故に幼い頃から大人達の世界にいる事が多かった。 甘える事より、何より大人達に「子供だから」と侮られない様、その不遜さ、余裕を纏う事で背伸びをしていた。 それは彼にただ無邪気に甘えるのではなく、駆け引きとしての甘え方を覚えさせた。 それでも彼が幼い事に変わりは無い。特にあの少年の性格からして人一倍甘えたい気質だったろうに、少年はそれを表に出す事はなかった。 「そこに君の存在だ」 今まで抑えられていたリョーマのその思いは手塚国光ただ一人へと向けられた。 それは今まで純粋に甘えると言う事を耐えて来た分、過剰なほどのスキンシップとなり溢れ出す事となった。 だが、最近は特に忙しくなり、手塚がリョーマに割ける時間はほんの僅かだった。 僅かな時間だからこそと手塚に甘えれば、彼の表情に嘆息の色が伺えてしまう。 手塚を困らせたいわけじゃない。 だが、一度溢れてしまったものをもう止める事は出来なくて。 そして行き場の無くなった、甘えたいと言う感情と衝動。 「越前は俺の後ろに手塚を見ているだけだよ」 どうしようもないのなら、俺が変わりに構ってやると手を差し伸べた。 それは救いとなる手ではなかったけれど。 「お前は気付かなかったのか?」 乾に頭をなでられ、嬉しそうに笑った少年。 その直後、はっとしてその唇をかみ締めたことに。 それは満たされない寂寥感をかみ殺したようで、その仕草は憐憫を漂わせた。 所詮、乾は乾でしかなく、手塚ではない。 「お前のことだからそんな事にも気付かず誤解していたんだろう」 「………」 手塚の記憶の中のリョーマはよく笑い、よく拗ねていた。 勝ち誇った不遜な笑みを唇に掃き、負の感情から程遠い場所に居る様に伺えるリョーマ。 気まぐれ屋で、怒っていたと思えば次の瞬間には笑っている。 構ってやればそっぽを向き、構わなければ構えとじゃれ付いてくる。 自分の思うが侭に動く。 そんな、天真爛漫な少年。 些細な事で怒ったり嫉妬したり、拗ねたりする事はあっても、まさか寂寥を抱いていたとは思いもしなかった。 彼が余りにも余裕綽々、傍若無人に振る舞うものだから忘れていた。 「そう、だったな…」 彼は自分より二つも年下だったのだ。 不意に扉が開いた。 突然の闖入者に視線を向けた手塚はその目を微かに見開く。 「越前……」 リョーマも手塚が残っているとは思っていなかったらしく、その目を驚きに見開いていた。 「やあ。ちょうど良いタイミングだ」 一人落ち着いている乾がそう声をかけると、越前ははっとして乾へ不満気な視線を向けた。 「謀ったわけ?」 「うん。お探しの財布はここにあるよ」 乾はいけしゃあしゃあとそう言うとポケットから彼財布を取り出し、リョーマに返した。 「越前、手塚は受信が悪いんじゃなく、アンテナ自体が無いからちゃんと言わないと」 それじゃあ、と乾は荷物を背負い、さっさと部室から出ていってしまった。 「………」 気まずい沈黙が流れ、二人は視線を漂わす。 「……乾に聞いた」 呟かれた手塚の言葉にリョーマの肩が小さく揺れる。 所在無さげに立つリョーマに近づき、手塚はその体をそっと抱きしめた。 思えば、こうやって触れ合うのも久しぶりだった。 「すまなかった…」 「………」 呟く手塚の背に腕を廻し、リョーマはぎゅっとその学ランを掴んだ。 「……オレがアンタの近くに居る時は、オレを一番に構ってよね」 逢えない時間は、部長がオレの事想ってくれることで妥協するから。 ……オレがこれだけ我慢するのって手塚国光に対してだけなんだからね? そういつもの拗ねた口調で言うリョーマに、手塚は表情を和らげた。 「ね、オレの事、好き?」 いつか聞いた、何度も聞かれたその問いに、手塚はゆったりと微笑む。 今度こそ、間違えることはない。 「ああ、好きだ、リョーマ……」 その言葉に、リョーマは心から嬉しそうに微笑んだ。 (END) |
*―*◇*―*
塚リョで邪魔ものありとの事でしたv
「第三者か…不二はいつも使ってるし…あ、俺って交換日記で乾さんやってるから乾さんに出張ってもらおう」…と言う事で乾さんが出張ったのですが…邪魔して無いし!しかも前半と後半は書いた時期が違うので微妙に話がずれてる様な気も…;;何より別人ですみません。特に王子。(爆)
斎覡兎様、これからも見捨てず宜しくお願いしますvv