Baroque
私には双子の兄がいる。 名を乾貞治。 私と彼は二卵性双生児だ。 貞治が男で、私が女であることからしてそれは明白なのだが、私たちを見た人たちは大抵が一卵性だと勘違いする。(それは同時に私を男だと勘違いしているのだと同義語である) それほどに私と貞治はそっくりだった。 私の血液型はB型で、貞治はAB型。体重は当然私の方が遥かに軽い。 しかしそれは目に見えない差異であり、目に見える差異、つまり身長や髪質、顔立ちなどは我ながら一卵性双生児と間違われても仕方ないとすら思えてしまうほど似通っていた。 勿論、骨格は成長するにつれ男女の差が現れていたが、身長が全く同じな為か、それとも貞治と一緒になってスポーツを嗜んでいた為か、私の体格は通常の女子よりもしっかりとしており、服を着込んでしまえば貞治と殆ど変わらなかった。 幼い頃から両親ですら見分けが付かなかった私と貞治は、服装で区別しようとする両親に対し、服を交換して遊んだりすることは当たり前だった。 しかし、いつからだっただろうか。貞治と同じであることが嫌になってきたのは。 それは恐らく、小学生になり、男女の違いを本能的に感じてきた頃だったと思う。 確かに私と貞治はそっくりだった。 というよりも、私が貞治にそっくりだった、というべきだろうか。 誰もが私を貞治と間違えた。 女の子らしく振舞えば気味悪がられた。 スカートなんて論外だった。 そんな中で私は自然と男らしく振る舞い、胸の内に芽生えていた女らしさを排除した。 そうせざるを得なかった。 いつだったか、女の子らしさの欠片も見せない私に母が嘆いたことがあった。 その時初めて、私は泣いて母に訴えた。 ならば何故私を普通の女の子に産んでくれなかったのかと。 何故私は貞治の双子の妹として生まれてしまったのかと。 せめて弟ならよかったのに。 せめて全く似てない兄妹だったらよかったのに。 貞治という比較対象が居なければよかったのに。 その時になって漸く母は娘の幼いながらの苦悩を知り、泣きじゃくる私を抱きしめて何度も謝った。 それ以来、母は私のする事に対して何も言わなくなった。 貞治と同じであることが嫌だった。 けれど結局私は貞治と瓜二つのままで。 女であろうとすることを諦めるのは、容易かった。 自分の事を「俺」と言い、男物の服を纏った。 歯止めの無くなった私は何もかもを貞治と同じにした。 服装も、小物も、眼鏡すら同じ物を選んだ。 貞治はそれに対して特に何も言わなかった。 あれでいて貞治は案外物臭なところがあり、衣類の共有については全く無頓着だったし、寧ろ自分が買いに行く必要が無いので(服や小物を選ぶのは専ら私の役目だった)丁度良いとでも思っているようだった。 というより、自分と私が同じ物を選ぶ事に何の疑問も持っていなかった。 貞治は自分の事になるとてんで鈍いから、私の苦悩など全く思いつきもしないのだろう。 実際、貞治は私を妹、というか、女として全く意識していない。 着替え中でも平気で入ってくるし(そのまま平然と着替え続ける私も私だが)、小学六年生になっても当たり前のように一緒に風呂に入っていたくらいだ。(あれ?これって裏を返せば私自身も貞治を異性として見てないって事だよな?…まあいい) 結局、貞治にとって私はあくまで自分の分身であり、女でもなければ妹でもなかったのだ。(せめて私が肉体的に女性としての発達が著しければ否が応でも気になったのかもしれないが、不幸にも私の胸は小学六年生の時点で見事に真っ平だった。つまり下半身に付いているか付いていないかぐらいの差しかなかったのだ。虚しい事に) しかし、小学校を卒業と同時に私と貞治は離別した。 両親が別居する事になったのだ。 前々から両親が不仲であることは知っていたし、いつかはこうなるだろうとは私も貞治も思っていた。(離婚しなかっただけまだマシといえるか) しかし私も貞治もそれによってお互いが引き離される事態になるとは何故だか全く思いもよらず、家を出て行くという母が私を引き取り、貞治が父の元に残るのだと言われた時、思わずお互いに顔を見合わせてしまったほどだった。 そうして私は十二年間を貞治と共に過ごした部屋を後にしたのだった。 やがて貞治はそのまま青学中等部に入学し、私は新居から一番近かった山吹中に通うことになった。 それは、私が「乾貞治の妹」というレッテルから開放された瞬間だった。 *** つい勢いに任せて書いてしまいました乾双子妹夢。名前出てないけど。 以前に書いた設定とちょっとずつ違ってますが、大筋は同じです。 主人公の乾との別居に対しての心境とかそういう細かい所は全て省きました。話の流れ的に今ここで書くべきことじゃないと思ったので。主人公と乾が実際の所、お互いの事をどう思っているのかとか、そういうのはもう少し話が進んでからの方がいいかな、と。(続き書く気満々だよこの女) |