※塚リョアンソロに寄稿させていただいた作品です。
めるも。
「また遅刻……」 寝ぼけて抱え込んだ目覚し時計の示す時間は午前九時。 「あ〜あ。グランド20周〜…」 今頃はウォーミングアップを始めているだろう仲間を思い浮かべつつ、溜息を吐いてベッドから降りる。 今日は第二土曜日。休日でも勿論部活はあるワケで。 そして、更にリョーマを落ち込ませるのは、部活が終わったらそのまま手塚の家に泊まりに行くという約束が有ったから。 これでは約束を取り消されかねない。 「あ〜……」 無意識に声を出すリョーマの脚に、ホァラ、と鳴いて擦り寄ってくるのは愛猫のカルピン。 「コラ、目覚まし鳴ったらちゃんと起こせよな」 半ば八つ当たり気味にそうぶつついて見下ろす。 飼い主と一緒になって寝ている愛猫がそれを了承する筈もなく、「知らないよ」とでも言いたげにもう一声鳴いてベッドに上がった。 「カールー…」 飼い主が寝坊してウンザリしていると言うのに、この愛猫は再び寝ようとしているらしい。 それに腹が立ち、と言うよりは寝ていられるという事実が嫉ましく、リョーマはぼすんっとカルピンの横に倒れ込んだ。 「人の気も知らないで!」 驚きに目を丸くしたカルピンをがばっと抱き込み、ぐりぐりと少々手荒にその頭を撫でる。当のカルピンといえば、飼い主の奇襲に目を白黒させながらその細腕から逃れようと必死だ。 だが、次の瞬間には解放されていた。カルピンはおかしいと思い、それでも十分に飼い主から距離を取ってからそっとその表情を伺う。 「こんな事してる場合じゃないってば!」 自分から仕掛けておいて何を。 カルピンはふっさりとした尻尾を一回だけぱふんと振ると、付き合っていられないと言わんばかりに再び飼い主のベッドに上がる。 「あっ、靴下履き忘れた!」 微妙に慌てふためく飼い主を尻目に、カルピンは己の指定席に丸くなる。 今度は邪魔されません様に。 (慌てて出て来たものの…今更だよね…) 毎度の事ながら、叱られるとわかっていてそこへ向かうのはやはり気が重い。 こんな事なら朝食も食べてくれば良かったと溜息を一つ。 「あれ?」 溜息ついでにポケットに手を突っ込んだリョーマは、指先に当たる感触に声を上げる。 カサリ、と指の動きに合わせて音を立てるそれを摘まみ、目の前に持ってくる。 「……何で飴が…」 現れたのは二つの飴玉。 一つは赤色。もう一つは水色。 二つの球体はそれぞれ透明のセロファンに包まれ、リョーマの訝しげな視線を受け止めている。 リョーマ自身が入れた覚えはない。勿論、誰かから貰った覚えも。 「……ま、いっか」 首を傾げるものの、結局は良く菓子を持ち歩いている菊丸か桃城辺りにでも入れられたのだろうと解釈する事にする。 以前もラムネやら何やらと駄菓子をポケットに入れられた覚えの有るリョーマは、さして警戒せずその包みを開いた。 選んだのは水色の飴玉。 口の中へと放り込まれた飴玉は、カロカロと微かな音を立ててリョーマの舌に翻弄される。 見た目からサイダー味かと思ったそれはミントの味で、爽やかな辛さと甘さが口内から鼻腔へ通りぬけた。 そしてそうこうしている内にも無論、脚は学校へと向かっていたのであり、視界には少しずつ近付いてくる校門が目に付いた。 (あー…着きましたヨー…) 角を生やした部長がお待ちかねです、と引き攣った笑いと共に心中で呟く。 だが、異変は門を潜って間もなく訪れた。 「……?」 不意に関節が軋みだし、リョーマは片眉を跳ね上げる。誰しもこの時期は経験するだろう、成長痛の類だ。 だが、こんな突然現れるのは初めてだった。しかも、全身が同時に。 「…っ……」 ビシッと音がしても良さそうなほどの激痛があちこちに走りだし、リョーマはよろよろと木陰へ歩み寄り、がくりと膝を付く。 事態が飲み込めていない分、もしこれで何事も無かったらあんな所で倒れるなんて恥かしい。 そんな、年頃には良くある見栄でリョーマは木々の影に隠れる様に縮こまる。 「……ぁあっ…!」 全身を駆け巡る激痛にリョーマの意識は途切れ、その体は草の上に倒れ込んだ。 「……ん…」 ふっと意識が浮上し、リョーマはぼうっと目の前で風に揺れる草を眺める。 「!」 そういえば倒れたんだった、と起き上がり、その違和感にふと自らの体を見下ろした。 「なんっ…!」 驚きに染まった声自体もリョーマを驚かせた。 「何これ?!」 リョーマの体は急激に成長を遂げていた。叫ぶ声は幾段か低くなり、見下ろす体は小さな学ランに何とか収まっているが、ボタンの糸が悲鳴を上げかけている。 リョーマは慌てて上着を脱ぎ、Tシャツ一枚の己の上半身をぺたぺたと触る。いつもなら多少だぶついているシャツが、今は丁度良い。寧ろ少々きついのかもしれない。 立ち上れば視線はいつもとは格段に高い。 「……どうしよう……」 遠くから聞えてくる部活動のざわめきにはっとして辺りを見回す。 そうだ、幾ら隠れているとはいえ、こんな所ではいつ見つかるか分かった物ではない。 リョーマは草の上に転がったテニスバッグと上着、そして着替えの入った鞄を引っ掴むと、猛ダッシュで部室へと駆け出した。 「………よし」 バタン、と勢い良く扉を閉め、ほっと一息つく。 いや、そうもしてはいられない。 リョーマはベンチに荷物を置くと、己のロッカーからハーフパンツを取り出してそれに履き替える。 「このっ……」 ぴちぴちに張ったズボンから、そのサイズに見合っていない脚を抜き出すのは結構な大仕事で、破れない様、慎重に少しずつ脚を抜いていく。 「…っはあ…脱げた…」 ズボンを脱ぐだけでかなり疲れてしまった。リョーマは大きな溜息を吐いてズボンをロッカーに仕舞う。 その点、ハーフパンツは楽だった。こちらは元々一回り大きいサイズだったし、脚の長さをさして問題としない。詰めてあったウエストのゴムを弛め、調節する。 「……ま、これで良いか…」 シャツにハーフパンツ。いつもの自分らしくない格好では有ったが、取り敢えず見れる物になった。靴もキツイがこれは仕方ない。我慢するとする。 さて、ではこれからどうするか。 うーん、と頭を抱え、次の瞬間には諦める。 なってしまった物は仕方ない。そう思うしかない。寧ろこれを理由に遅刻を有耶無耶に出来ないだろうかとまで思う。 あーあ。国光の家にお泊まり、できないカモ。 それが一番の心配事。 「あーあ」 本日何度目かの「あーあ」を呟いて、鞄をロッカーに放り込む。 もしかしたら必要ないかも、と思いながらも一応ラケットを手にしてリョーマは部室をそろっと出た。 部活中だからだろう、外はざわめきは有るものの、人通りは皆無に等しい。 「十分間の休憩!」 コートに着くと、聞きなれた声が響いていた。 このまま回れ右をして逃げたい気持ちを抑え、リョーマはフェンスドアを潜る。 「…ちぃーっす」 『………』 迎えたのは、メンバー全員による見事なまでの沈黙。 「………越前、か?」 確認するような声音で問うて来たのは乾だった。 「ええっ!おチビなの?!」 「ウッソ!」 桃城と菊丸が声を上げる。嘘だったらどんなに良いか、いや寧ろ夢であってくれ、とリョーマは心底願う。 「ッス…なんかこんなんなっちゃいまシター、アハハー…」 ウワー乾先輩と身長同じダー、と、自棄気味にそう言うリョーマ。 「ねえリョーマ君、ここへ来るまでに何か食べなかった?飴玉とか」 にっこりといつものアルカイックスマイルで問う不二に、リョーマはそう言えば、と先程の飴を思い出す。倒れた時に吐き出したか飲み込んだかは記憶に無いが、疾うにリョーマの口内には存在しない。 「食べてたっすけど…何で知ってるんすか」 まさか、と不二を睨むと、不二は隣りに立つ乾を見上げ、にこっと笑う。 「成功だな、不二」 「やったね!」 ぱんっと乾と不二は手を合わせ、固く握手を交わす。 「ちょっと二人とも!喜んでないで説明して下さいよ!」 ヤッタヤッタ!アハハハハ!と、その内踊り出すんじゃ無いかと思うほどの喜びを分かち合っている二人に怒鳴ると、ああゴメン、と明らかに悪いと思っていない笑顔で謝られた。 「いや、実はね、乾と二人で造ったんだ、あの飴」 クッキーでも作ったかのような調子で不二はあっけらかんと答え、実験の成果であるリョーマを眺める。 その肢体はすらりとしなやかに伸び、顔はあどけなさが残るがそれでいて艶やかだ。その声も幾分か低くはなっているものの、耳に心地よいテノール。 うんうん、と不二は満足げに頷く。隣りでは当然のように乾がノートを取っている。 「不二がさ、君の幼い頃や将来どんな姿になるのかがみたいって言うからさ」 「だからってそんなの造らないで下さいよ!!」 アンタらテニスしてないで研究所にでも行けよと怒鳴るが、それで堪えるような二人ではない。 「幼い頃なら越前からアルバムを見せて貰えばって言ったんだけどさ」 「どうせ見るなら本物の方が良いぢゃないのさ。あ、リョーマ君、今度は赤い方も食べてね」 キャッ、と可愛い子ぶる不二に、リョーマはちゃぶ台返しを通り越して畳返しをしたい気分だった。 「誰が食べるかーー!!!」 「まあまあ越前、そう興奮すると体に悪いぞ」 「誰の所為でっ…!」 視界に入った人物にはっとする。 「……部長」 うわ、どうしよう、国光より背が高い…。 どうして良いか分からず、あたふたしていると当の手塚が歩み寄り、じっとリョーマを見詰めてきた。 「あ、あの……」 じっと見詰めていたかと思うと、不意にその視線は逸らされ、乾へと投げかけられる。 「戻るんだろうな?」 「そりゃモチロン。半日もすれば戻ったよ、ラットでは」 鼠と一緒にするな!と叫ぼうとするが、再びこちらに向き直った手塚によってそれは遮られる。 「痛い所とかは」 「特に、無いっす」 「では問題ないな。越前、遅刻の為二十周。不二と乾は四十周」 どうやら目の前の非現実的な光景をさらりと流す事によって冷静さを保つ事にしたらしい。 えーっと不二から抗議の声が上がったが、「不二は十週追加」の声に切り捨てられた。 「あの…部長……」 「何だ越前。早く走りに行って来い」 「その…今日、国光んち、行っても良い、のかな…」 彼にしてはおどおどとした声に、手塚は微かに苦笑する。 「構わん」 気まずい。非常に気まずい。 リョーマは手にしたカップに口を付け、麦茶をちびちびと飲む。 部活中はこれでもかという程他のメンバーに玩具にされ、原因である乾と不二をリョーマの中でブラックリスト入りさせた。 そして何だかんだと午前だけの部活は終わり、周りの目を気にしつつ手塚の家にやって来たのだが。 「………」 彼の部屋で二人きりになっても、お互い、無言で麦茶を啜っていた。 手塚は何か考えているのか、自分の手元に視線を定めたまま動かない。カップの中身を空にしてしまったリョーマは落ち着かなくて視線を上げた。そして壁に飾られた幾つものルアーを眺める事で間を潰そうと必死になる。あ、あのルアーの色合い好きだな、とか。うわ、何かあのルアーグロい、とか。 「……リョーマ」 「はっはい!?」 「すまない。不二と乾が何かやっているのは気付いていたのだが…」 「イイよ、治るらしいし。それに国光の所為じゃないデショ」 手塚の続く言葉が「さして大した事だとは思わなかったのだ」、ではなく、「あの二人が組んで何かをしているなどと、恐ろしくて近寄りたくなかった」だと察してリョーマは苦笑する。 「だが…まさかお前が被害に遭うとは……」 「俺がターゲットだって知ってたら止めてくれたんだ?」 すると、即座に「当たり前だろう」と応えが返って来てリョーマを喜ばせた。 唯一、嫌だな、と思うのは、今彼に抱きつきたいと思うのに、この体では何だかな、という気がしてそれが出来ない。 元来、我慢するなんて事は滅多にしてこなかったリョーマにとって、それは多大なストレスとなり、凄まじく陰鬱な気分にさせる。 「俺さ、早く大きくなりたかったんだよね」 ぽつりとリョーマが呟く。 「子供扱いされるのが嫌で、国光と対等でいたくて…それで、早く大人になりたいって思ってた」 けど、と自嘲めいた笑みを浮かべる。 「こうして、体だけだけでも大きくなってみるとさ、国光に甘えたりとか、しちゃいけないような気がして…嫌だなぁって、思ってる」 二年の差は大きくて、もどかしかったけれど。 「二年くらい差があった方が、丁度良いのかもしれない」 「……そうか」 小さく微笑んでくれた手塚に、へへっと笑い返す。 「……あ、れ…?」 途端、全身を包み込むように訪れた酩酊感に、リョーマは手にしたカップを取り落とす。 「リョーマ?!」 幸い、中身は飲み干した後だった為に被害はなかったが、それを確認すると同時にリョーマの体は傾げ、毛足の短いカーペットの上に倒れる。 手塚に抱え上げられるような感触がしたが、それすら判断しかねるほどリョーマの意識は混濁していた。 融けていく意識の中、リョーマは手塚の声を聞く。 (国光のそんなに慌てた声、初めて聞いた…) 「……」 ぱちっと眼が覚めた。ああ、また倒れたんだな、とさすがに二度目になると理解するのも早い。 「………」 どうやら自分は手塚のベッドを占領しているらしい。もぞもぞと起き上がり、時計を見上げる。 然程長い時間は経っていない様だ。 体は元のサイズに戻っており、乾の言っていた事は嘘でなかったと証明された。 「……国光?」 だが、部屋の主は居らず、リョーマはベッドを降りる。緩めていた為にずり落ちそうになるハーフパンツのウエストゴムを調節し、リョーマは部屋を出る。 「…るなよ。不二にもそう言っておけ」 ふわりと漂ってくる良い匂いに誘われてキッチンへ向かうと、探し人の姿があった。どうやら電話中らしい。 「……国光」 ひょこっと扉から顔を出し、そっと声を掛けると手塚は僅かに目を見開いた。 「リョーマが目を覚ました。切るぞ」 手塚は電話の子機をテーブルに置き、リョーマの元へとやって来る。 「起きて大丈夫か?熱は?」 「大丈夫」 「乾が、熱が出る可能性も有ると言っていたからな…」 どうやら先程の電話の相手は乾だったらしい。リョーマが倒れ、元の体型に戻ったは良いが目を覚まさない。途方に暮れて乾にどうすれば良いのか聞いていたのだろう。 「大丈夫だって。それより、何作ってるの?」 先程から気になっている香りに、リョーマが手塚を見上げる。 「ああ、母が作り置きをしていった煮物だ。そろそろ起きると言っていたから電話ついでに温めていた」 「ふぅん…ねえ、国光、俺、ちゃんと戻ってる?変なトコ、無い?」 両手を広げてそう示すと、「大丈夫だ」と髪を撫でられた。 「ちゃんと、いつものお前だ」 「良かった」 リョーマはそう笑い、手塚にぎゅっと抱きつく。 ああ、やっぱりこの方が良い。 「ねえ国光、キスして」 求めればすぐに降ってくる唇。(少し冷たい) 抱きしめられて、髪をそっと撫でられる。(ちょっとくすぐったい) 小さくても、二年も年が離れていても、もう文句は言わないよ。 こうやって抱きしめて貰うのが凄く好き。 だってほら、アンタの鼓動が聞える。(ドキドキしてる) ちょうど良い位置なんだよね。 それに気付く事ができたから、不二先輩と乾先輩に、ほんの少しだけ感謝。(本当にちょっとだけね) 「ねえ国光」 「何だ」 「……ダイスキ」 (END) |